2009年4月9日木曜日

古本コーナー:お腹召しませ


● お腹召しませ


 昨年末、Sマートがオープンした。
 店の奥にあるのが写真の古本コーナー。
 通常なら陳列棚になるところだが、まだまだ開店早々で、商品の数がそろっていない。
 2,3年もすれば、この棚も販売用の和食品で埋まり、下手すれはコーナー廃止、あるいは1/3以下の縮小という憂き目にあうかもしれない。




● 店奥の古本コーナー

 本代はハードカバー本「1ドル50セント」、ソフトカバー本「1ドル」。
 読み終わった手持ちの本は持ち込めば引き取ってくれる。
 ハードカバー本「50セント」、ソフトカバー本「30セント」。
 もちろんなんでも買ってくれるわけではない。
 チョイスされる。
 同じ本が複数あっても、商売にはならないということだろう。



 貸し出しもしてくれる。
 料金は?
 「タダ」
 「?」
 Sマート会員になると「1週間」以内なら無料で貸本してくれる。
 客寄せのサービス。
 ということは、本を借りると1週間毎に出かけないといけなくなる。
 我が家からは有に往復50キロはある。
 ガソリン代ではるかに足が出てしまう。
 毎週でかけられる場所ではない。
 近くの人は便利だろうと思うが、私はたまに行くことになるので、いい本があればためらわずに買うようにしている。

 開店、2日目だったか3日目だったか、どんなところか覗きに行ったときに買った本がある。
 浅田次郎の「お腹召しませ」である。
 つまり最初の購入本ということになる。
 この本の他の部分については、別のところで取り上げていますので、「お腹召しませ」に焦点を絞ってみる。


● お腹召しませ


 Wikipediaにも載っていますので、ご存知の方が多いでしょう。 

 『お腹召しませ』(おはらめしませ)は、浅田次郎による短編時代小説

 6編とも幕末
から明治維新期を舞台としており、作者自身が祖父から聞かされた思い出話や、身の回りで起きたことなどを基に執筆された。

 「第1回 中央公論文芸賞」と「第10回 司馬遼太郎賞」を受賞した。
 

「お腹召しませ(おはらめしませ)」
あらすじ:
 高津又兵衛(たかつ またべえ)は困り果てていた。
 家督を継がせた入り婿の与十郎(よじゅうろう)が、藩の公金に手を付けた上、新吉原の女郎を身請けし逐電してしまったのだ。
 家を守るためには“腹を切る”しかない、と知恵を授けられるが、まだ45歳の身を思うと踏み切れない。 妻と娘はと言えば、家を守るためならと、いともあっさり「お腹召しませ」と言う始末。
 又兵衛が下した決断とは……。



 まず最初の話題。
 なぜにこれが「司馬遼太郎賞」を受賞したかは不思議。
 というのは、その跋記で司馬風歴史小説を皮肉っているのである。

  私は子どものころから、文学が好きで歴史も好きだった。
 だが、ふしぎなことに、この二つの興味を融合した歴史小説は好まなかった。
 自由な物語としての文学様式を愛し、一方では真実の探求という歴史学を好んでいたせいである。
 つまり、小説というのはその奔放な嘘にこそ真骨頂があり、歴史学には嘘は許されないと信じていたから、歴史小説を楽しむことなどできるはずがない。
 小説としてよめばわずかな学術的説明も邪魔に思えてならず、また歴史としてよめばところどころに腹立たしい記述を発見してしまう。
 自分が歴史小説なるものをい書くにあったえ、最も苦慮した点はこれであった。
 嘘と真実とが、歴史小説という器の中でなんら矛盾なく調和していなければならぬ。
 これは奇跡である。

 随所にわたってこうした「嘘」を持ち込まねば、多くの読者を納得させる歴史小説は、まず成立不可能であろう。
 私は歴史小説という分野を、「歴史好きの読者の専有物」にはしたくないのである。


 これを読むかぎり、明らかに司馬遼風の小説を槍玉にあげて叩いていることがわかる。
 藤沢周平が司馬遼の作品を「あれは小説ではない、歴史エッセイだ」と言わしめたものと同じ。
 結構、辛辣に叩いているように見えるのだが。
 それが、司馬遼太郎賞を。
 受賞を聞いた浅田次郎はどう思ったのだろうか。
 ちょっと聞いてみたかった。
 きっとどこかで、その一文に遭えることだろう、と今から楽しみにしていようと思っている。


 ちょっと気になったのがカバーの絵。
 どこかでみたことがある。
 文庫本のカバー表紙をインターネットから拾ってあげてみます。


 もしかしたらと思って、書棚をめくってみたらやはりそうだった。
 「物書同心居眠り紋蔵」の作画者と同じであった。
 「村上豊」という方。



 実にほのぼのとした絵。
 というより、ちょっと抜けた感じがなんともいい。


 次の話題がこれ。
 「お腹召しませ」の導入部分がひどくシリアスである。
 抜粋で。

 病み上がりの祖父と二人きりで、あばら家に暮らした記憶がある。
 家産が破れて一家は離散し、行き場を失っていた私を、結核病院から出てきた祖父が引き取った。 
 よほど無理な退院であったのか、台所で煮炊きするときのほかの祖父は、床に就いているか、痩せた背を丸めて火鉢を抱えていた。
 廃屋同然の家は私の生家であった。
 父母の所在は知らなかった。
 幼いころの躾けのたまもので、落魄しても妙に行儀だけよかった私は、祖父の枕元に膝をそろえて、朝の挨拶をした。

 事情が事情であるから、いささかでも現実味を帯びた話は、私たちの禁忌であっただろう。
 祖父は未来と過去ばかりを語り、今というものを決して口にしなかった。
 そうは言っても、七十を過ぎた病み上がりの祖父に語るべき未来はない。
 私の家には、父や祖父の話は膝を揃えて黙って聞かねばならないという武家の気風があった。

 そんなときふと考えた。
 我が家が没落したのは、これが初めてではなかろう。
 それほど遠からぬ昔に、同じ憂き目を見た子供らがいたのではなかろうか。

 昔のお侍(さむれえ)てえのは、さほど潔いもんじゃなかった。
 そこいらを映画だの本だので勘違いしちまったから、世界中を敵に回した戦争なんぞして、あげくの果てはこのざまだ。
」 
 それは行く知れずの私の父母への、厭味のようにも聞こえた。
 今を語ってはならず、語るべき未来もないとすれば、祖父が口にできる話はそれしかなかったかもしれぬ。


 ウーン、と思わずため息がでる。
 「お腹召しませ」はその小説より、全6編の短編にこうした浅田次郎のまえがきらしきもの、落語でいうマクラがついていて、これがいける。
 お勧め。

2009年3月20日金曜日

鬼太郎の家と水木しげるのサイン


● 水木しげるサイン集


 以前にゲゲゲの鬼太郎の家を紹介した。
 正確な場所は都立小金井公園にある「江戸東京たてもの園」です。

 Wikipediaの「ゲゲゲの鬼太郎」にはこういう不思議な一文が載っている。

 ● 江戸東京たてもの園内にはパンフレットに載っていない鬼太郎の家がある。


 これだけ。
 なにか、鬼太郎の家より、この文のほうがはるかにおどろおどろした不思議さを感じさせる。


● 鬼太郎の家

 では、そのパンフレットの載っていない家とはどんなものか、写真を載せておきましょう。
 サイトから抜粋させていただきます。


★ 主婦のお出かけ帳
http://plaza.rakuten.co.jp/higumado/diary/200704180000/

● 「鬼太郎の家」とある





★ 余寒 2009年2月20日
http://blue.ap.teacup.com/819maker/269.html




★ 「ゲゲゲの鬼太郎の家」を訪ねる 三太・ケンチク・日記
http://ameblo.jp/tonton1234/entry-10003048023.html

 「ゲゲゲの鬼太郎の家」があるというので、自称「ケンチク家」としては、これは是非見ておきたいと思い、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」(小金井市桜町3丁目)へ行ってきましたよ。

 正式には「墓場鬼太郎の家」。

 「ゲゲゲの鬼太郎」が雑誌連載されていた頃の題名が「墓場の鬼太郎」だったそうです。画像をご覧になればわかりますが、3メートル四方ほどの戸板が壊れ、すきま風が吹き抜ける掘っ立て小屋です。内部は地面の上にむしろが無造作に敷いてあるだけです。表札?もしっかりと掲げてあります。

 そんな妖怪の家が歴史的建築物を移築した格調高い「江戸東京たてもの園」にどうしてあるのでしょうか?実はこの家、昨夏に開催されたイベント「水木しげるの妖怪道五十三次 妖怪と遊ぼう展」のために作られたものだそうです。イベント終了後に取り壊す予定だったのですが、この家が新聞に載ったこともあり、口コミで訪れる見学者が後を絶ちません。壊すにこわせず、やむなく残してあるそうです。やむなくと関係者は言っていますが、どうしてどうして、風景にしっかり溶け込んで、元々そこにあったように見えるのは、どういうことなのでしょうか?






 DVDの案内から

 【ストーリー】
 霧の中に浮かぶ不思議な町。
 そこは妖怪横丁。
 商店街を抜けるとやがて鬱蒼たる森、大きな沼のほとりに一軒の家…、それがゲ ゲゲの森の鬼太郎の家なのです。
 おわん風呂につかる目玉のおやじ、湯を足す鬼太郎にカラスが郵便を届けます。
 それは人間からの“SOS”の手紙。
 人間界の 常識では解決できない不思議な事件を鬼太郎は目玉のおやじ、猫娘、砂かけばばあ、子泣きじじい、一反もめんといった仲間たちと解決してゆきます。
 いつか人 間と妖怪が共存できる日を夢見て…。







 いつものように古本コーナーを漁って見つけたのがこの本。

 その中に「水木しげる」のサインがありました。
 たった4つ。
 その4つすべてをパクッてしまいます。









 絵を楽しむだけでなく、<クリック>して、文章の方も読んでください。
 
 本稿はこれで「オシマイ」。


 なのだが、これではいかにもさびしい。
 そこで、この本のなかから、ドラマチックな天皇についてのいくつかの水木しげるらしいフレーズを拾ってみます。


 ぼくの小学校の頃は、入り口に「奉安殿」という、小さな建物があって、学校のゆきかえりに、頭を下げて通らねばならなかった。
 ぼくは朝寝坊だったから、よく遅れて小学校にゆく。
 すると、かけ足で「奉安殿」の前を通り過ぎ、頭を下げるのを忘れて教室に入ることがあった。
 それを校長先生が見ていて、よく注意されたものだ。
 子供心に、複雑なものが入り口にあるなあ、と思ったものだった。

 その次は軍隊だった。
 「天皇陛下」と叫ぶ場合”気を付け”をしなければならないのに、それをしなかったというので、ひどく殴られた。
 南方の最前線に行ったとき”陛下”から頂いた”小銃を落とした”というので、半殺しの目にあった。
 その頃は、何でも「天皇陛下」という名でいじめられた。



 昭和から「平成」になって、なぜかぼくの心もヘイセイ(平静)になった。
 それは、あの戦争への「やり場のない怒り」から、開放されたような気になったからだろう。
 戦争中はすべて天皇の名ではじめられ、兵隊もその名でいじめられたものだから、ついやり場のないイカリを、天皇にはわるいけど、なんとなく無意識に「天皇」にむけていたのだった。
 それがなくなってしまったのだ。



[大久保(編集者)]:
 先生は勲章(1991:紫綬褒章、2003:旭日小綬賞)をもらった際に実物の天皇に会っているでしょう。
 そのときはどんな感じがしました?
[水木]:
 いやあ、あの天皇ってのは他人に頭を下げて人をアリガタがらせる演技ってのが、すごくうまくってねえ。
 最高でしたよ
 あの時は。
 へっへっへっ
[大久保]:
 なるほど。
 水木さんは天皇制そのものについては何か意見はありますか?
[水木]:
 (天皇制については)水木さんはど~だっていいですけどね。
 ただ昔みたいに天皇制ってのが拡大解釈されて軍部が利用して、みたいのはいやで‥‥。

 だけど実際に会って
 あの人の「挨拶さの上手さ」を見たら、
 やっぱりこういう人はいなきゃいかんのかなあ~、

 と思いましたのですね。



 日本人は昔から「大国主(おおくにぬし)」じゃないが、「池の主」とか「森の主」とかいって、何かの
 「主(ぬし)
 という心のよりどころみたいなものが好きな国民だ。
 そういう意味において、日本の一番古い家柄である「天皇家」が、「国の主」として、やさしく国民を見守ってくださるというのは、決して悪い制度ではないと思う。
 愛国心があまり強くないと思っているぼくでも、ラバウルから日本に帰る際、海から富士山を見たときは、「日本に帰った」と思い、「日本人」だと思った。

 日本人の中心である「」としての天皇はかけがえのない存在であると思う。

 ただ、あの「戦争中の主」は、ぼくには恐ろしかった。
 「カミサマ」であらせられるより、「人間」であらせられる方が、われわれには好ましい。




 思うのだが、
こういうこと(本のコピーとか写真のコピーとか)海外から発信しているから大目に見てもらっているように思えるのだが、日本でやったら著作権とかいろいろうるさいことになるのだろうか。




【Home】




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2009年3月14日土曜日

サンダカン八番娼館


● 1976/06[1972/05]


 Sマートで買った最も新しい本。
 カバーがついて、ちょっと見てくれはよかったが、手にしておっとっと。
 カバーうらの布表紙はしみが出て、その裏にはカビらしきものが点々とある。
 これだけならどうということもなかったが、持った手からずるりと中身が落ちそうになった。
 ハードカバーと本体をつけているノリの効き目が失せて、バラバラになる寸前であったのである。
 となれば、買うのをやめるのだが、この本の表題をたびたび聞いたことがあり、どんなモノか気になっていたので、つい手が出て買ってしまった。
 といってもたった1ドル50、日本風なら150円、捨ててしまってもどうということはない値段。
 だから買ったということでもあるが。
 つまり、あまり期待していなかったということか。
 もの珍しさ、ということだったのかも知れない。

 家に帰ってから、まず本の補修から始めることになった。
 木工ボンドを使い本体を表紙に接着させている部分を貼り付ける。
 次に背の部分にタップリとボンドを流しこみ、本体と表紙を完璧に固定させる。
 そして数日おけば、ボンドが硬化して、らしくよみがえってくるはずである。

 本に木工ボンドを使っていいかどうかは知らない。
 紙用のボンドがあるのかもしれないが、スーパーマーケットで容易に手にはいるのは木工ボンドしかない。
 これまで、このボンドを使ってずいぶん修理してきた。
 最大のものは新潮社の国語辞典で昭和40年(1965)発行の初版本。
 その時分で1,400円という値段で、現代語と古語がセットで入っている、実に便利なもの。
 新聞の書評で絶賛していたので、すぐに買った。
 薄手の紙で2,000ページを超える分量がある。
 でも使う頻度が大きいためぼろぼろになって、表紙と本体の分離が進行してしまった。
 海外では気軽に新しい辞書を手にいれるというわけにはいかない。
 慣れたものは出来る限り使い続ける手立てが必要である。
 いろいろな方法で補修を試みた。
 そのときの経験から、最も有効だったのが木工ボンド。
 以後、本の修理にはこれを常用することになった。
 本の補修についてはどこかに書いたが、どこに書いたか忘れてしまったので、もし内容が重複しているようなら、ご容赦。

 そこそこ原状を回復した古本を開いてみる。 
 読み始めて、ガクーンときた。
 暗すぎる、あまりに暗すぎる。
 このままだと、書棚に戻って下手すると永久にページが開かれないで終わってしまう。
 インターネットで調べてみる。
 インターネットで概要をみれば、読むに価値あるものか否かの判断は容易につく。
 この本、映画化されていた。
 それも栗原小巻と高橋洋子。
 なんとまるで、ダウンタウンヒーローズの薬師丸ひろ子のような展開。
 もうこのニュースだけで、絶対読みきってやる、と思うようになる。
 
 栗原小巻といえば、我が世代で「サユリスト」か「コマキスト」かとファンを二分した女優。
 私は? サユリストであったが。
 高橋洋子はご存知、素九鬼子原作の「旅の重さ」でデビューしたカワイコちゃん。

 You Tube で特報と予告編をどうぞ。



「サンダカン八番娼館 望郷」特報
http://www.youtube.com/watch?v=9mU1BzE-ksc

「サンダカン八番娼館 望郷」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=fRLT9mRT3-I
http://www.dailymotion.com/video/x8daye__shortfilms

(注:上記You Tubeは内容が変わってしまったため、見られなくなっています。昨日までは見られたのですが)


★ 映画 サンダンカン八番娼館 - allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=144882

 南方の島へと売春の出稼ぎに渡った“からゆきさん”と呼ばれる日本人少女たちの、辛く波乱に満ちた実態を描き第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した山 崎朋子の原作を、社会派・熊井啓監督が映画化。
 女性史研究家・三谷圭子は、“からゆきさん”のことを調べる過程で天草で小柄な老女サキと出会った。
 サキが からゆきさんと確信した圭子は、彼女が経験した過去を聞き出すため、共同生活を始める。
 やがて、サキはその重い口を少しずつ開いて、あまりにも衝撃的な生 涯を語り始めるのだった……。
 本作が遺作となった日本映画を代表する女優・田中絹代が全霊をこめた演技で自らの最期を飾った。



 映画感想をサイトから抜粋で。

★ サンダカン8番娼館 望郷
http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou21/sandakanhatibansyoukan.html
1974年、東宝+俳優座映画放送、山崎朋子原作、広沢栄脚本、熊井啓脚本+監督作品。

 ライター役の栗原小巻が「からゆきさん」の実体を取材するため、あばらやのように粗末な家屋に住む老婆(田中絹代)に近づく。
 老婆は自分の生涯を語り始める…。
 貧しい家に生まれた少女(高橋洋子)は、東南アジアに単身、身を売られて行く。
 海を渡る彼女を崖上から見送る兄(浜田光夫)が、悲しみのあまり、自らの太股に鎌の刃を突き立てるシーンが、後半の悲劇を強調する。
 少女は訳も分からずに、異国の地で多くの男たちに抱かれる娼婦として生きて行く事になるのだが、悲劇はこれだけではなく、一旦、帰国した主人公が兄を訪ねると、そこで待っていた現実の冷たさがさらに、少女を打ちのめすのだった。
 国にも肉身たちにも見捨てられ、一生を異国で終え、その墓を祖国とは逆の方向に向けて立てる事で、最後の意地を貫く、多くの女性たちの悲劇性が重く観る者にのしかかる。
 少女を演じた高橋洋子、娼婦たちのリーダーを演じる水の江滝子、そして、老婆を見事に演じ切った田中絹代の名演技が光る感動の大作。
 貧しさと言うものが実感として分かり難くなっている現在、かつて、日本がどういう状況であったかが背筋が寒くなるほど伝わってくるこの作品を、機会が合ったら一度観てみるのも悪くないと思う。
 南方が主要な舞台になっているせいか、画面的には陰惨な感じは薄く、意外と明るい画面作りになっている所が、逆に話の残酷性を際立たせているようにも感じられる。

 映画ファン必見の名作の一本だろう。



★ サンダカン8番娼館
http://sky.geocities.jp/ppp_dot/index1-sandakan8.html



 「あとがき」から抜粋します。

 本文の没頭に記したように、わたしは天草下島でかってからゆきさんだった老婦人と三週間あまりの共同生活を行ったのは、1968年----今から四年前のことであり、その体験をつづった本書の原稿を書き上げたのは、それから二年後の1970年のことでした。
 研究者であるからには、完成した原稿を発表したくない者はないでしょうが、にもかかわらずわたしがその原稿を机の抽出にしまいこみ、今日まで誰にも見せなかったのは、二つの理由によっています。
 一つは、わたしの心から、私は本当にからゆきさんの声を聞き取り得たのだろうかという自省の念が去らなかったこと、
 そしてもう一つは、原稿発表によって、わたしのお世話になった多くの天草びとに迷惑がかかってはいけない、と思ったことです。

 しかし、それから二年後のいま敢えて公刊に踏み切ったのは、諸種の条件が大きく変わってきたからなのです。
  まず第一に、近年いわゆるマスコミのあいだに底辺指向が流行し、からゆきさんにもジャーナリステイックな照明が当てられはじめ、わたしのところへも、どこ で耳にされてか、からゆきさんについての資料を貸してほしいとか、からゆきさんだった女性を紹介してもらいたいといった連絡が多くなって来たことが挙げら れます。
 ここのようななりゆきを見ているうちに、わたしには、わたしの黙否がどこまで有効か疑問に思えてきましたし、なかには興味本位の記事も あるので、わたしは、からゆきさんの名誉のためにも、精魂こめて聞き取ったこの記録を世に出す必要があると考えざるを獲なくなったのでした。
 これに次いで第二に、わたしを受け入れてくらた老からゆきさん----おサキさんが、一年ほど前に、わたしが一緒に生活させてもらっった家から事情があって転居をし、外部の人には訪ね当てにくくなったことがあります。
 それに加えて第三に、おサキさんが昨今とみに弱って来られ、わたしとしては、せめて存命のあいだに、彼女の人生の記録を書物として贈りたいと、切実に思うようにもなったからです。

 全体の構成は紀行文のようですが、わたしとしては、これでも研究書のつもりなのです。
 普通の研究書のように、主観や感情を表に出さずに加工と思ったのですが、主題の性質および取材方法の特殊性から、どうしても紀行文のような構成を採るようになってしまいました。
 内容について言えば、些少のフィクションをまじえたほかはすべて事実を精確に記録してありますが、ただ、迷惑のおよぶのを避けるために、村名その他いくつかの地名を****印を記して伏せ、人名はひとり残らず仮名を用いています。
 それでは戸籍簿にまで当たった意味が半減すると言われるかもしれませんが、今日のところ、止む得ない処置だとしなくてはなりません。
 また、おサキさんの現在の生活を映像面でも記録にとどめておくべく、わたしは天草へ三度目の旅を行い、画家の山本美智代さんに撮影者として同道してもらいましたが、その折撮影した写真を発表することも、同じ理由から現在では見合わせておきます。

 なを余白を借りて、昨秋おサキさんから来た手紙を一通、ここの紹介しておきましょう。
 一字も読み書きできない彼女とわたしととのこの4年間の文通は、わたしが折りにふれ何か送ると、近所の人の代筆になる礼状が来るというのが普通だったのですが、今は彼女の隣に住む小学生の女の子(サチコ)の代筆でかわされ、すでに五十通近くになりました。
 いや、手紙ばかりでなくおサキさんの方からも、乏しいふところを割いて、小女子やワカメ、石蕗の茎の干したものなどを、わたしのところへ送ってくれています。
 そしてわたしは、このような4年間のふれ合いのなかで、今はもう心から、彼女を<おかあさん>と呼べるようになっているのです。
 ここに引く手紙は、その小学校の女の子の代筆になる最初の一通で、他のどれよりもおサキさんの気持ちが出ているように思われるのです。


 お金はいつもありがとうございます。
 わたしはぜんそくで、体がとてもよわくなりました。
 こんどの家も、こたつはないけれどおくらないでください。
 今の家は、わたしがおった前の家ではなく、前にいた家の********です。
 わたしは、あんたを子どものように思って とも子 といいますので、あんたも、わしを、かあさんと思って下さいね。
 わたしは4時からおきて、あんたのことを、おだいしさまにもほかのかみ様にもいのっとりますよ。
 わしにできることはこのぐらいですが、いっしょうけんめいにいのっていますよ。
 あんたもいろいろくろうはあるかもしれませんが、がんばって下さい。
 それからこんどくるときは、いつですか?
 こんどくるときは、よかったら子どもさんもつれてきて下さいね。
 わたしはまっていますよ。
 あんたも、元気でいて下さい。
 
 わたしは、サチコです。
 おばさんのこと毎日いのっておられます。
 それから、またばあちゃんの家にもきて下さいね。

           九月十九日 山川サキ(岡田幸子)より
 山ざきとも子様





 読後感想をサイトから。
 勝手ながら全文をコピーさせていだだきます。


★ R's Random Talk
http://random-talk.jugem.jp/?eid=461

 からゆきさん。
 この言葉を耳にしたのは、どのくらい前だろうか?
 多分、私が耳にしたのは、小学校の社会科の授業だと思う。
 私自身も古い記憶の中から引きずり出したに他ならず、この言葉自体、社会生活を営む中で、全くといっていいほど、耳にしない。
 今の若い人たちは、この言葉を聞いた事はあるんでしょうか?
 この歴史的事実は、口承されているんでしょうかね。
 幕末~大正中期に中国大陸・シベリア・東南アジア・インド果ては、アフリカまで、自らの体を資本に出稼ぎ出た女性たち。
 すでに生き証人たちはこの世になく、1972年に刊行されたこの書は、非常に貴重な資料であると言っていいでしょう。

 著者は、女性史家で、この事実の多くを女性史的観点で語る。
 とはいえ、私自身は女性でありながらも、女性学や女性史には全くといっていいほど、興味がない。
 むしろ、その弁論口調から、好きではないものの部類のひとつ。
 田嶋陽子を代表とする女性学の第一人者が偏った考え方をするせいで、印象がいまひとつ良くないんですね。
 もちろん、過去の女性の辛苦や努力があって現在のような女性の地位向上がなされたのはわかっていますけれども。
 「女性」という性を柱として展開される弁論 は、男と女があって、初めて社会が成り立つのと同様、「女性のみ」という考え方ではどうにもすわりが悪い。
 事実と被害妄想の境界があいまいなのが、好きに なれない理由でもあります。
 今の時代で言えば、男女の地位は、個人的な部分がありますからね。
 置かれた環境だったり、本人の考え方だったり個々で違う。
 まぁ、裏を返せば、解釈に余地があること自体が女性の地位が向上した、ということなのかもしれませんが。
 この余地がある以上、学問として探求の余地はあると思いますが、必然性はない気がする。正解がないですからね。
 学問として非常にあいまいです。

 それはさておき、この書籍に関して言えば、著者の過剰ともいえる大仰な表現がちょっと鼻につきますが、ノンフィクションには往々にしてあること(笑)
 本筋自体は、非常に冷静で良質なものです。
 社会科の授業で耳にしたとは言えども、殆ど記憶に薄いのも確かで、東南アジア一円に日本人女性が働く娼館が多数あったということは露知らず。
 地理的にも、政治的に恵まれない天草の女性たちが多数、渡航させられた、というのはなおのこと知らなかった。
 また、家族が売り飛ばすことがあった、というのは様々な書物から見聞きして知っていましたが、手当たりしだい女性が騙されて渡航させられ、人身売買されていとは露知らず。
 男尊女卑という言葉は、今の社会でも横行しているけれども、コレほどまでに人権のない、というよりは、女性が人として扱われない時代があったというのには驚愕をせざるを得なかった。
 また、兄に家を建てさせるため、田畑を買わせるため、嫁を娶らせるため、とけなげに仕送りをする、おサキさん。
 男を立てる、という意味の重さが全然違う。
 女は男に隷属するのが当たり前の時代。
 彼女が身を鬻いで稼いだお金で兄は、家を建て、嫁をもらい、一端の家庭を築いたにも関わらず、感謝らしきものはない。
 その価値観にまたもや驚愕。
 そして、そうやって家族のために稼いだ彼女たちが、忌むべき存在、結婚してもまともに扱われない存在となるのは、なんとも解せない話である。

 著者は天草、島原から、からゆきさんが多く出た要因を探っているが、私の中では、欧米列強に追いつけ追い越せだった、日本政府の外貨稼ぎの手段だった、という説が一番納得できた。
  外貨獲得手段という前提の下に考えると、廃娼令が出て日本に戻ってきた女性たちの扱いを見ても、国への隷属という言葉が浮かぶほど、前時代における女性の 地位の低さが見て取れる。戦争で他国の人々に蛮行を行っても「英雄」として国から祭り上げられる男性とは大違いである。
 おサキさんにしても、生活保護を受けた方がいい暮らしが出来るのに、自分の腹を痛めて生んだ息子の「母親の面倒をみないヒドイ息子と思われたくない」という身勝手な理由で、安い仕送りで我慢してしまう。
 母心を置いてしても、彼女の生きた時代がその身勝手な息子の話を聞き入れる理由のひとつになってしまっているのだろう。
 女性をこのような扱いにしてきた時代の男性から男の子が生まれ教育され、累々と続くのが、家系というもので、親の思想というものは子供に受け継がれやすい。
 現代では、かなり男尊女卑的発想は薄められてきてはいるが、完全にはなくなっていないのは事実。

 余談ですが、私自身、両親は昭和10年代前半生まれ。
 祖母は、父方は明治、母方は大正初期生まれ。
 両親は著者と同年代ではあるものの、著者は進歩的で、うちの両親は一般的だと思うので、時代的に普通の教育方針だったとは思う。
 子供の頃は『お兄ちゃん優先』という考え方の下に育てられて来た。
 兄2人は進学私立高校に予備校。片や私は、公立高校のみ(私立高校のデザイン科、美術科を受験、合格するも兄にかかっている学費をしっていたがために自 ら身を引く形で辞退)。
 高校時代は3人兄弟で、公立校で殆どお金がかかっていないはずの私のみ強制的にアルバイト&通学交通費自己負担。
 進学したいと申し出た時も「女に学問なんかいらない。
 就職して、適当な時期に結婚しなさい」といわれたくらいで、結局、押し切っての進学だったので進学後の学費は全額、自分で払いました。

 今でこそ、自分で跳ね返して脱却はしてきたけど、(跳ね返しすぎて未だ独身。反動か?笑)まだやっぱり名残はありますからね。
 私をリアルで知る人は、首を傾げるかもしれませんが、心情的には、男性を立てようとする部分は意外とあるかも。
 私自身、自分主体で生きるというよりは、支える方が向いていると思う。
 これは、仕事に関してもすごく思います。
 実際、ずっと営業をやってみたくて、それは営業は、自分が主体になれる職業の典型だからで、それはある程度、女性が独り立ちすることがもてはやされる時代に洗脳された形だったと今では思うけれど、やってみたらやってみたで面白いんだけど、何かが違う。

 頭で思っていることと、自分の生きてきた流れからするとズレが生じた。
 もちろん、アシスト的仕事を長年やってきたせいもあるけれど、それはほかならぬ、アシスト的な姿勢で育ってきているからで、実際、今の会社でアシストする側に回ったら、非常にしっくり行った。
 とはいえ、営業事務がいいかって言うと、あれはホント補助的過ぎて、向かない。
 ある程度、主権を握ったままことを動かす、企画とか調整業務の方が向いてるので、そこまで自分で持っていったという経緯があったりする。
 主体になる人を見ながら、動きやすいように裏でコントロールっていうのが、私の考え方と相まっているようです。
 これは、母とよく似てるなぁ…とわれながら思う。

 我が家では、未だに「あなたは女なんだから」とやってもらえないことは多々あります。
 今はそういうもんだと思っているので、さして不満はないですが、当時は非常に不満だったなぁ…なんで私だけ、って良く思ってた(笑)
 私の年代の女性は、ちょうど女性の地位向上が叫ばれ、見直されはじめた時代でもあったので、自立とか、自分らしさとか、ある意味、フェミニズムの流れを汲んでいる部分はあるかもしれませんね。

 この書籍自体、副題に底辺女性史と謳っていただけあって、女性の「不幸」というものに脚光を当てている。
  幸せになったからゆきさんの話は、続編で新装版で は同時収録されている『サンダカンの墓』の末章辺りで出てくるが、それはあくまでも例外であって、著者が探すのは「辛酸を舐めた女性」であり、それらの人 たちに脚光を当てることによって、不遇な時代の女性を浮かび上がらせる。
 ただ、女性学的観点から行くと、致し方ないというか、当然とは思うのだけれど、私は何故かこういう女性学や女性史における偏りが苦手なのである。
 まるで、 例外の女性たちが異端者でもあるよう論じるからかもしれない。
 山崎女史は社会的背景にも若干触れているので、まだいいけれど、男性を目の敵にしているとも 取れなくないのが違和感なのかもしれない。
 女性にとってかなり過ごしやすくなった時代に生まれた私だから、そう思うのかも知れませんが。

 この本は、女性史の一部と読むよりは、歴史の一部として読む方が納得いくことが多いです。
 それだけ、良質な書籍とも言い換えることが出来るでしょう。
 ただ、しつこいようだけれど、著者の芝居がかった表現がなければ、もっといいと思うんですけれどね。 
 この著者、ホント、よく泣くんです。。。
 まぁ、泣くと いうことで感情をまとめてしまうところが、ノンフィクションなんでしょうけど。
小説ではないですから、描写の筆力はあまり重要ではないですから。

 この本によって、からゆきさんの生活の実態は、ある程度明らかになっている。
 けれども、心情的部分は殆ど明らかになっていません。
 それは、彼女たち一人ひとりが自分の胸のうちに秘め生涯を終えたから。
 でも、それでいいと思います。
 女性史では必要なことかもしれませんが、歴史として捕らえるならば、必要のないことですし。

 しかし、読んでいて思ったのですが、援交という名の売春をどう捉えるか、と著者に聞いてみたい。
 彼女たちは、自ら進んで体を売る。
 廃娼されても、売春はこの世からなくならない。
 援交は女性史に置き換えるとどう捉えるのかが、興味をそそります。
 からゆきさんたちが、時代の犠牲者とするならば、援交をする女の子たちは、今の時代の何を映し出しているんでしょうかね。
 まぁ、これらのことに関しては語りたいことはたくさんある。
 全部書くと大変なことになるので、やめておくけど(笑)

 男性も女性も一読の価値があります。
 おススメです!





 読んでいる限りでは、この映画はダウンタウン・ヒーローズのように、通行人Aをズームアップして主人公に据えたようなものではなく、ほぼ忠実に原作を踏んで作成されているようである。
 研究書ということになっているが、それよりはるかに小説的なドラマ性と迫力を持った作品である。

 先の項の写真でわかるように古本コーナーといってもたくさんの本があるわけではない。
 自分で好きな本を自由に選んで読めるということではない。
 偶然に置かれているわずかな本のなかから手にする、そんな希薄なチャンスしかない。
 が、びっくりするような本、まるで想像だにしなかった本に出会うことがある。
 これもその一冊といって間違いないだろう。
 十分に読むに値する本である。

 文庫本にもなっているようだが、もし古本コーナーにその文庫本があったとしても、購入することはなかったろう。
 単行本だから、のぞいてみようかと思ったのだと思う。
 出会いとは細い線でつながっているということなのかも知れないが、でも「つながって」いるということだろう。





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2009年3月13日金曜日

切手のビックリ箱




 小包が送られてきた。
 発送は2月2日、到着は今日。
 所用期間5週間と4日。

 先にエコノミー航空便でちょうど5週間かかったことを書いたが、今度のは完璧な船便。
 いかに、エコノミー航空便が長くかかったかがうかがえる。






 重量7.475kg、送料5,650円。
 そしてそして、この切手の数々。
 通常なら高額切手を貼り、余った端数を小額切手でやるか、あるいはその金額の印刷された領収レシートを貼り付けるのが一般的だと思うが。



 郵便局にもっていったら、
 「そうですか、海外ですか」と言い、
 「それなら、いろいろな珍しい切手を選んで貼っておきましょう」と言う。
 机の引き出しに入っている、趣味の切手をいろいろ出してきて、なんと「5,650円」分を貼り付けたという。
 通常なら切手だけはがして貼ればいいのだが、わざわざ周囲のデザインシートまで貼り付けてくれた。
 その結果、上下は別にしてダンボールの四面に切手が貼られることなった。

 受け取ったときは壮観であった。
 「切手のビックリ箱」である。
 まあ、手間のかかることを。
 驚くと同時に、そのサービスに脱帽してしまった。
 郵便局が民営化されてから、お客に対する態度がまるで違ってきたという。
 変われば変わるものである。
 変わり方を知らないお役所がちょっとしたきっかけでその変化の仕組みを得ると、ガラリをその旧態依然のシステムを変更できるということであろう。





 「ゆうちょ銀行」というのがある。
 息子が日本にいったときに、開設してきた。
 が、これ、他銀行に送金できない。
 親方日の丸で外部銀行のことなど、まるで念頭になく、母親に抱かれた赤子のように保護されながら育ってきたので、自分以外のことなどまるで知らされていなかった。
 ためにクローズされた状態でオープンした。
 海外にいるものにはまったく使えない銀行。






 インターネット処理でも、はるかにセキュリテイーが民間から遅れているようだ。
 「これは危険だ」と思った息子が、その旨をインターネット窓口に書き込んだ。
 おそらく、無視されるだろうと思っていたが、なんと一週間ほどしたら、鄭重な返事がきた。
 「現在、それらを含めてセキユリテイーシステムを構築しているところです。ご迷惑をおかけしますが、いましばらくご辛抱ください」と。
 元、郵便局の人たちも一人前の形にもっていくように一生懸命にやっているようだ。
 お金はうなっているが、システムとしては半人前の能力すらもいっていないのを、民間並みの平均水準に高めようというのだから、これは大変だ。
 でもやらなければ、どんどん取り残されていく。






 そういえば、麻生さんのケチの付け始めが「郵政民営化は私の本意ではなかった」とかいった発言。
 もし、民営化されなければ、郵政はどれほど、世の中から遅れていくだろうか。
 これでは嫌らわれるわな。

 郵政民営化を白紙に戻すという意見を声高に叫んでいる人がいるが、内心はしかたないなと思いながら、自分の選挙区の票勘定をしているところだろう。
 世界を見ようとしなければ、いくらでも見ないでいられる。

 世は雪崩をうって進歩している。
 メクラが象を触って意見を言うようなことにはなって欲しくないと思っている。
 でもやっぱり、選挙区の票が欲しい。



 こちらに送られるものは、まちがいほどに開封される。
 日本なら郵便量が膨大なので、抜き取りということになるが、こちらではテロ対策を兼ねた検閲強化の観点から、ほぼすべて開封されるようだ。
 開封されました、というのがこの黄色いシール。



 切手にシール、ダンボールからカッターナイフで切り取ってスキャンしてみました。
 ヒマだね、本当に。

 「大木戸郵便局」のみなさん、ありがとうございました。
 おかげで楽しませていただきました。




【追記】
 おまけを2つ。

 昨今では自分のプロフィールで切手がつくれるようですが、先ほどpostへいったら、55セントの映画俳優のシートをくれました。
 55セントというのは国内郵便の一般料金。




 もう一つはこれ。
 ショッピングセンターのモービルフォンの販売コーナーにあった。



 そう、今日は「13日、金曜日」であった。
 ちなみに横のケースの中のものはにあるものなんだと思います。
 脱皮したヘビの抜け皮。
 これと13日の金曜日は何の関係もありません。




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2009年3月11日水曜日

長良川:スタンドバイミー1950


● 松田悠八著 「長良川 スタンドバイミー1950」


 「おくりびと」を書いていたとき、濃厚に頭に巣くっていた本がある。
 松田悠八著「長良川 スタンドバイミー1950」

 「第一章 緩やかな死」から抜粋で。

 (父は死んだのか)
 それならまず医師を呼ばなければならないと思い当たって、ぼくは息を飲んだ。
 (母が父の死体に手を加えている‥‥)
 目の前で起きていることが現実だとはどうしても思えず、まるで映画を見ているようだった。
 母はひとりで勝手に父の死を確認し、死体を処理した。
 しかし、それは医師の仕事ではないのか。
 何気なく進行する事実と、死の重みがぶつかり合う。


 のっけの第一章から死体処理がはじまる。


 母は吐く息で「ナンマン」、吸う息で「ダーブ」と慣れた調子で経を唱えながら父のそばに戻り、今度は死体を拭きはじめた。
 うたうような経に乗って、口、耳、鼻と、体の開口部へ次々に綿が詰められていく。
 ちょうどそれは、孫のための小さな布団に綿を詰めるときの手馴れた作業にも似て、淀みなく軽々と進んでいった。
 これほど確信に満ちて仕事をする母は見たことがない。
 ぼくはただぼう然と、その横顔を見つめていた。




 はじめに述べておくが、この本は松田氏の奥さんから家人に贈られたものである。
 学生のとき、クラブが一緒であったよしみである。

 抜粋を続ける。


 こんなふうにして、跡取りのいない家へ親類から乳飲み子を連れてきてあてがう強引と、死んだ家族の体に家の者が綿を詰めるという遺習とは、いったいどちらが古いのだろうか。
 少なくとも母はその両方を知っている。

 そしていま、父の体の穴に綿を詰めている。
 長い間に積み重なった「怨みつらみ」を父の体に押し込んで、母はいまそれらを封印しているのだ。
 そうであれば、ここで死体になった父に何をしようと許されるのかもしれないと、今度は奇妙な共感が湧き上がってきた。
 母はもうずっと昔から自分が教えられたやり方で人の生き死にを推し量り、死体に綿を詰める作業を行なってきた。
 父が診てきた医師が生まれるよるはるか前から。

 人が死んだら、あわてず騒がず、体じゅうの穴を閉じてやり、死に水をとって医師を待つ。
 父が死んだのは母にとって特別なことでも何でもなく、日常の出来事のひとつにすぎないのである。
 そう思い至って、ぼくはもうどきどきするのを止めた。
 父の死は、母のやり方にしたがって流れに乗りはじめている。
 もう周りでどうこう言うことではない。

 母は父をころんと転がして新しい寝間着を着せ、仰向けにして両耳と鼻の穴に綿を詰めた。
 形を整えるように小鼻を何度かつまんだのが最後の仕上げて、それが終わると母は小さく
 「よっこいせ」
 と言いながら立ち上がった。



 「死んだ、いうのはどうやってわかったんや?」
 「そりゃ、息でわかる。
 吸う息がだんだん小さくなっていくんや。
 空気がだんだん要らんようになるんやなあ。
 そのぶん吐く息は、長あーなって、生きとったときのゴー(注:業?)がすーっと出てくんや」
 「ほーん、そうなんか」
 「そうやて。
 おとうちゃんも、これでやっと楽んならっせったわ。
 ゴーが出てったら、今度は変なもん入ってこんように、すんにふたをしたらなあかんでな。
 いまそれが終わったとこや」




 なんともスゴイ。
 上の部分は「業が出てったら、今度は変なもんが入ってこんように、すぐに蓋をしなけりゃあかんでな」であろうと思う。
 

 この作品、回想録なら何も言うことはない。
 が、小説なら少し、そして明らかに散漫である。
 上のように個々はまったくすばらしいのだ。
 文間にのめり込んでしまう。
 ところが、突然、目先が変わってしまう。

 私は松田氏にも、奥さんにも面識はない。
 この本を読んで名前を知ったにすぎない。
 よってどうも、いつものように過激な批評になってしまう。

 中身は父親の死から葬儀への部分に当たる「長良川」と、その父の死から少年時代を思い起こす「スタンドバイミー1950」の2本が、輪切りにされて続けられるのである。
 ネギ、鶏肉、ネギ、鶏肉といった焼き鳥のように、長良川、スタンドバイミー、長良川、スタンドバイミーとつなげられていく。
 焼き鳥はそれでおいしいが、小説はそうはいかない。
 盛り上がるときは一気にもり上がって、その余韻で終末まで導いてもらわないと、読み手の気がウロウロしてしまう。
 せっかく盛り上がった興が一瞬にそがれてしまう。
 別々になるべき内容を無理につなげて、1本の長編にしてしまったことで、焦点がボケてしまったように思う。
 個々の2本の作品として仕上げるべきではなかったのではないだろうか。
 なにか、とてももったいないような気がしているのである。


 なを現在、この本を原作にして映画化が進められていますので、紹介しておきます。


★ 中日新聞 2009/2/26
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090226/CK2009022602000021.html

 「長良川スタンドバイミー」映画化、岐阜出身、小島信夫文学賞の受賞作


 岐阜市出身の芥川賞作家、故小島信夫氏にちなむ小島信夫文学賞受賞作「長良川スタンドバイミー1950」の映画化を成功させる会の設立総会が24日、岐阜市の岐阜グランドホテルで開かれた。

 作品は岐阜市出身の松田悠八さん(69)の少年小説で、1950年代の岐阜を舞台に少年たちの友情を描いている。成功させる会は昨年11月に発足。現在会員は、岐阜市など長良川流域に住む市民や地元企業関係者ら約160人。

 設立総会には会員ら約100人が参加。会長を務める愛知県刈谷市の作家、青木健さんは「長良川流域の市民の支えを得て、良い映画にしたい」とあいさつ。会員増への協力を呼び掛けた。

 今後毎月1回、映画にゆかりのある地でフォーラムを開くほか、年4回会報を発行。来年3月の撮影開始、2011年の封切りを目指している。

 会員を随時募集中。問い合わせは事務局(ハロー&まじょハウス内)=電058(264)5080=へ。



 ダウンタウン・ヒーローズは原作と映画がまるで違う。
 果たして、この作品は映画になったとき、どんなストーリーと映像をもたらしてくれるのだろうか。


 「小島信夫文学賞」を「小島信夫」の項目から。


 
執筆以外の活動
 1999年、郷土の岐阜県に氏の文学活動を顕彰して小島信夫文学賞が創設され、生前は授賞式などに参加した。
 2005年7月および2006年3月の二度にわたり、小説家保坂和志との対談イベントが企画され、会場に集まった多くの聴衆を時おり爆笑に誘う独特の語りをみせた。
 一般の読者や出版関係者以外にも大勢が来場した。
 1回目の対談の模様は、新潮社の「考える人」(2005年秋号)に掲載。
 また2回目の模様は、草思社より2006年10月にDVDブックとして発刊される予定だったが実現しなかった。



 サイトから。


★ 小倉理恵の日記 2008/11/29

劇映画『長良川スタンドバイミー1950』始動!!

 この間の月曜日、岐阜市のホテルで「劇映画、『長良川スタンドバイミー1950』を成功させる会」というパーティが行われました。
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 また、番組でもご紹介していきますね。




★ 小倉理恵の日記 2009/02/21

劇映画「長良川スタンドバイミー1950」

 以前番組でもご紹介しましたが、岐阜で映画をつくろうというお話があります。
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 「長良川スタンドバイミー1950を成功させる会」では、会員を募集しています。私も会員です。
 詳しいお問い合わせはこちらまで、
事務局(ハロー&まじょハウス内)=電058(264)5080=



 最後に「あとがき」を抜粋で。

 この作品が第3回小島信夫文学賞を受賞した際に、「岐阜弁が生きていて、物語を引っぱっている」という批評を頂いたことは何よりうれしく、田舎の言葉にこだわってきてよかったと、ひそやかに確信を得たのだった。
 高校卒業後、岐阜を離れてもう四十年以上になるけれども、登場人物たちの使う言葉はどうしても岐阜弁でなければならないと思った。
 いわゆる標準語では、気持ちや情感がうまく乗らないのである。
 あの頃の生気を再現するには、まず第一に気持ちや情感が伝わらなくては話しにならない。
 極端に言えば意味などあとからついてくればいいのだ。
 幸い、長いこと東京暮らしを続けているおかげで、岐阜の言葉がぼくの中で、大げさに言えば純粋培養されていて、長良川のことを思えば人物が自然に話しはじめた。
 もちろん、生まれ育った地(それは同時に「血」であると思う)と言葉への、どうしようもない偏愛もある。
 しかし、それだけではない。
 九州の言葉ほど強くはなく、東北の言葉ほど粘っこくはないのだが、京都大阪あたりの関西風をも採り入れてどことなくのんびりと柔らかい岐阜の言葉は、ひょっとすると「加速することを止めて、穏やかになったこの時代」に、人の心を癒す本来の力を発揮するに至ったのではないかという気もしている。
 (地名や人名については作者の記憶・想像上のものであり、必ずしも実際のものと一致しないのでどうぞご諒承くださるよう。)

 なを、表紙の古布画は、数十年も長良川の畔に住む腹心の姪、永井典子の作品である。

 2004年晩夏     松田惣八



 映画化が成功しますように!
 



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2009年3月4日水曜日

市営図書館:新本2,500冊


● 市営図書館:新本2,500冊 


 先にとりあげた日豪プレス3月号に楽しみなニュースが載っていました。

 日本語書籍2,500冊が新たに追加
 ゴールドコースト市営図書館

  ゴールドコースト・シティ・カウンシルは3月22日、ゴールドコースト市営図書館に新しく追加される2,500冊の日本語書籍をサウスポート図書館で一般公開する。
  今回追加される書籍には、フィクション・ノンフィクション小説や、料理本、健康やクラフト、趣味の本、子ども向け絵本などが含まれ、公開後はサウスポー ト、ランナウェイ・ベイ、エラノラ、ブロードビーチの4カ所の市営図書館に配本される。もし利用者に好評を得る場合は、今後継続的に日本語書籍数を増やし ていく方針だ。
  同市営図書館は、およそ30カ国語の雑誌の閲覧や、800種の国際新聞のオンライン講読ができることで知られ、英語を母国語としない市民にとっても貴重な 情報収集の場所となっている。公開日には、市営図書館を利用したことがない人のために、本の借り方、メンバー登録の方法、インターネットでの書籍検索方法 なども説明される予定。

■日本語書籍の一般公開
開催日時:3月22日10AM~
会場:サウスポート図書館
住所:Cnr. Garden and Lawson Sts., Southport 4215

 図書館の日本語本はしばらく前には、州政府のライブラリーサービス(PUBLIC LIBRARY SERVICE(PLS))のものと、市営図書館管理のものとの2本立てであった。
 が、ここ数年は州政府のサービスだけで市の図書館のものはなかった。
 今回、久しぶりに2本立てに戻ったということだろうか。
 それとも、市図書館のものだけになり、州政府のものはストップしたということだろうか。

 2,500冊といえば相当な数である。
 ちなみに、日本語本のおいてあった図書館はこれまで3館で、ブロードビーチにはなかったはずであるが。
 4館としても1館あたり600冊。
 棚2ケ分にはなる。
 それらがぐるりと回ってくれば、相当な楽しみをもたらしてくれるだろう。

 どんな本があるのだろうか。
 期待に胸を膨らましてしまう。




【追記:4月1日 エプリルフール】

 22日、勇躍して図書館へ出かけていった。
 2,500冊の本とはいかほどのものか、実に興味津々であった。
 がしかし、館内をグルリと回ってみたが、それらしき開架はない。
 係りの人に聞いてみた。
 「Sorry」との答え。
 まだ整理が終わっていないとのことである。
 2,500冊ともなれば大変な数だ、それを間違いなく分類していくのは並みの労力ではない。
 なかなかスケジュール通りにはいかないのだろう。
 以前のことだが、池波正太郎の「乳房」という本があった。
 その題名が「NYUBO」とあった。
 一瞬、なんて読むんだろう「にゅうぼ」かな、と思った。

 そして、今日はエプリルフール。
 出掛けついでに近くの図書館を覗いてみようと足を伸ばしてみた。
 まだ、来ていないだろうなと思いつつ、いつもの外国本コーナーへ向かった。 
 「オー、あった」、日本語本がずらりと並んでいた。
 壮観である。
 「見よ、この雄姿を」と、言いたくなるほど。
 5段棚、2棹にビッシリ。
 全部新本。
 エプリルフールではない、写真を撮った。
 下記の貸し出しカードにはちゃんと「01/04/2009 14:03」と日付と時間が印刷されている。
 エプリルフールは3月22日に終わっていた。


● 涙が出てくるほどにうれしい日本語本の数々
 
 市図書館本のみで、州政府のライブラリー・サービスのものは1冊もない。
 これだけの冊数があるとそこそこやっていける。
 ただし、幼児本などの特殊本を除いて、みな文庫本。


● 上段の「Japanese」と書いてあるのが日本語本の棚

 以前の日本語の棚に並んでいる本の写真を上げておきます。
 ちなみに、このとき私が5冊借り出しましたので、上にその冊数を加算してみてください。
 いかにささやかな本の数であったかがわかるでしょう。
 その下の段が「Korean」、韓国の書籍に遠く及ばなかったのです。
 涙が出てくるほどの感動、決してオーバーでないことがおわかりでしょう。


 早速借りてきたのが、宮城谷昌光の「戦国・春秋名君列伝」の2冊。






● チップ化された図書

 上の右の白いシールの裏にチップがある。
 図書館には自動貸出機が備え付けてある。


● 自動貸出機

 デイスプレイの下の右横に縦細の四角いでっぱりが見えますが、それがセンサーボックスで、それに図書カードを上から下へ通すと、IDを読み込んでくれます
 

● 図書カード

 つぎに借りてきた本をガラステーブル(写真では灰色に写っています)の上におくと、自動的にチップを読み込み、デイスプレイに図書名が表示される。
 1回でだいたい4,5冊読んでくれる。
 多いとときどき読み漏らすことがあるので注意を要する。
 最後に借りた本のリストがプリントアウトされます。

● 貸し出し表

 ちょっとあいまいだが、1回の貸し出し数は10冊までで、2週間ではなかったかと思う。


 これだけの本があれば、楽しみのネタを欠くことはしばらくなくなったと言っていい。




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