2009年1月27日火曜日

「最初の読者になる」ゲーム


● Diana


 使っているコンパクト・デジカメで撮った写真を公開したことがある。
 2,3カ月前のことである。
 このウエブに「最初の読者」というのが入ってきた。
 「入ってきた」というのはちょっと分かり難いかもしれない。

 これまで公開したもはすべて
 「コメント不可」
 「リンク不可」
 「宣伝不可」
でやってきている。

 まずコメント。
 「いらない」
 他人様からとやかく言われたくはない。
 ロージンの依怙地。

 リンク。
 いらない。
 そこまでして、見て読んでもらいたいとは思わない。
 さほどに価値ある内容ではない。

 宣伝。
 いらない。
 眼がチカチカしてきて読みづらくなる。
 でなくても、文字は「Large」にしている。
 「Normal」では小さくて読めない。
 よって、他人のサイトは大半、大文字で書かれていないと読まない。
 つまり、ローガン。

 そういえば、そうとう前から「テクノラティ」というところから「このブログの筆者はあなたですか」というメッセージがはいっている。
 いらん。
 登録不要。
 しつこい。
 だんだんガンコになってくる。 


 ところが、よくわからないのだが、最近
 「このブログの読者になる」
という欄が勝手についてきてしまっている。
 前はなかったはずだが。
 「グーグルの陰謀」かなとも思っている。
 そのうち、消す方法を探すことになるかもしれないが。

 このとき、最初の読者になったのが外国人。
 写真だけで、日本文字は入っていないし、タイトルは英文単語。
 よって日本語検索はできないが、英単語検索なら引っかかってくる。

 その外国人がちょっと意外。
 17歳の少年、それもインド人、よって学生。
 ということは高校生。
 「I」が小文字の「i」で書かれていた。
 インドではそう教えるのであろうか。
 
 ウーン、まあいろいろあろう。
 なにしろ写真しか載っていないのだから。
 見るだけでいい。
 インターネットは「www.」だ、と思った。


 さらに昔の話(といっても、1年ほど前のことだが)。
 別のサイトを公開していた。
 これに手違いがあり、その一編が「コメント可」になっていた。
 まるで気がつかなかった。
 いつものルーチンワークで公開したのだが、上手の手から水が漏れていた。
 しばらくたってからである。
 読み直していたら、最後にコメントが入っている。
 びっくり、「オー、ミステイク」となった。
  
 それもブラジルから。
 やはり若者、英文で。
 でもハテナマークであった。
 というのはこれ、一種のレポート・論文といったもので日本語の結構しち面倒くさい文章で作られ、頭にスーとは入りにくい内容であり、日本人自身だって手間がかかりそう、と思えるもの。
 日本語を若干かじった程度で、外国の青年が理解できるシロモノではない。
 つまり、「彼は読んではいない」
 自分のブログ宣伝に使っただけ。
 急遽、「コメント不可」にした。
 このコメントを消してもいいが、それでは可哀想とそのまま表示させることにした。 


 昨日、新しいウエブサイトを開設した。
 えっつ、と思ったら今朝もうそこに「読者」が入ってきている。 
 ところがこの新しいサイト、実をいうと個人的な中身がないのです。

 読んだ本の中から、面白い文があったら保存しておこうと思って、メモ代わりに作ったもの。
 よって、読まれることをまったく考慮していないなかった。
 アクセスされても、本の「抜粋メモ」だとすぐ分かるから、注意を払う必要も感じなかった。

 これまで、その手のものは普通のワープロに収めていたが、最近ワープロとインターネットを区別するのが面倒になって、インターネット1本でいこうと思い、開設したもの。
 パソコンのメモリーに保存するか、インターネットのメモリーに保存するか、それだけの違いしかないことに気づいたのである。
 月日が経つと消されてしまう可能性もあるが、ワープロでもそこそこ古いものは消去しているので、五十歩百歩。

 ワープロにはエデイターの「Mifes」を使っているが、これインターネットに載せると日本語が文字化けする。
 よって面白い文があって、使いたいなと思うときは、一度「Notepad」で読み込み直してから、インターネットに載せることになる。
 ご存知かもしれないが、Notepad はとてもじゃないが使い難いシロモノ。
 面倒くささがウズを巻いてキバをむいてくるというソフト。
 これをやるとひじょうに疲れる。
 そこで、じかにインターネット上にメモることにしたわけである。

 ですから、このサイトは読んだ本からの気に入った文章の抜書きであり、自前の文は載っていない。
 もちろん、それが分かるように、著者、書籍名、発行日、ついでにその表紙もスキャンして画像で載せている。
 その個人的読書データに読者が「入ってきた」というわけである。

 そして、またまた外国人で英文。
 今度はちょっと驚きで女性。
 通称「Diana」 ダイアナ。
 二十歳、学生、中国:広東省広州。
 香港の隣、経済特区を傘下におさめる豊かな省の首都。
 納得。
 上の写真がプロフィール。

 彼女はこのサイトを読んでいないのではないかと思う。
 というのは、この昨日メモした文章というのは、老人もの。
 たとえば

 夫がいないほうがむしろ経済的には楽だと思うようになる。
 夫は金を食う動物であったことに気づくのだ。

 夫は犬に近い存在だと思う。
 夫は妻にエサを与えてもらう。

 といった具合。
 老人の感想を書いたある小説家のエッセイなのである。
 数十のエッセイのなかから、ちょっと気になる文章を2つ抜粋で書き止めたもので、どちらも老人ものなのである。
 どう考えても、若い女性が好むテーマではないのである。

 日本語は世界で最も難解な言葉である。
 会話ならなんとかなるが、文章になったら、もう外国人はお手上げとみていい。
 よって、読者になったといっても、読んでいるわけではない、と判断していい。


 では何故、読者登録するのか。
 ダッシュボードには、上半身キャラがつき、「読者[ 1]」と入念に刷り込まれている。
 つまり、これは私の勝手な想像だが、グーグルは
筆者・読者を増やすために「最初の読者になる」という人気を煽るような欄を作り、新規に設立されたウエブサイトに、いかに早くその

 「最初の読者になるゲーム

を仕掛けているのではないだろうか。

 もしかしたら、そういうゲームが若者の間で流行っており、静かなブームになっているのかもしれない。
 インターネットというのは、ワールドワイドで国の境を、言語の壁をいとも簡単に突き破っていく。
 世界を相手にしたゲーム、そうなら新しいタイプのゲーマーが世界で誕生していることになる。
 バーコードゲームの世界版かも。
 インターネットの世界では、これをネタにしたゲームが続々生まれてくる可能性もある。
 韓国では「ろうそくデモ」とか「ミネルバ」とか、なんとまあ幼稚で他愛のないといったモノが現実に社会を震撼させ、政体をゆすぶっている。
 「世界ゲーム化現象」のさきがけかもしれない。

 他人の文なので誰に読まれてもどうこうということはないが、検索する人もいるからには、これからは、抜粋データの後に「一筆感想」を加えておこうかと思っています。
 そして、スキャナーで撮った画像も合わせて。

 
 diana のサイトへ。

★ secret base
戴安娜的秘密基地
http://diana-wx.blogspot.com/




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2009年1月24日土曜日

「ムツゴロウのかば焼き」


● 「ムツゴロウのかば焼き」


 畑正憲の「続・ムツゴロウの無人島記」とは、北海道の厳冬の無人島で1年を過ごした記録である。

 私は寒いところが大嫌いである。
 「寒いところに住むくらいなら死んだほうがましだ」と思っている。
 どこか暖かいところへ転地したほうがいいですね、と医者に言われて(長い間、そう期待していたのだが、一言もいわれなかった)、ここに引っ越してきたのである。
 よって、この本も寒いところの部分は、ページの最後はまだかいな、と字面を追っただけである。

 中に二、三のウーンと唸る章、あるいは腹を抱えて笑った章がありました。
 ここに出てくるイラストはムツゴロウ本人が画いたものだそうです。

 ちょっとシリアスな話から。

★ 殺す側の論理

 
 
 床下に作ったムロの中にネズミを発見するたびに、私は娘に命じた。
 「殺せ。たたき殺してキツネの餌にしろ」
 「アイ・アイ・サー」
 娘は火バサミを用いてネズミ撲滅の旗手になった。

 殺せ!
 それは「無人島教育の最大の目的の一つ」でもある。

 生きていくために「命あるものを殺す」のは悪いことではない。
 家主の口グセを借りるなら、「生き物としての人間の宿命」である。



 都会人の多くは殺すことを忘れてしまった。
 これは恐るべきことではなかろうか。

 ネズミは無駄にならない。
 キツネの銀が食べるし、タヌキのマリだって尻尾まで食べてしまう。
 しかし、犬は食べない。
 ひと咬みで殺し、しばらく遊んでいるが、そのうち適当な場所へ隠してしまう。
 犬はそれだけ野生が削られているのだろう。

 「殺せ!」
 という合言葉は大切である。
 不気味な胸さわぎをおぼえつつ、きょうも三匹ほどしとめた




 合言葉は「殺せ!」



 次は抱腹絶倒の「ムツゴロウのかば焼き」の話

★ 老母見参



 三人の兄弟の中で、私は最も信用されなかった。
 もし私が母の立場になったとしたら、やはり長考した後、きっぱり断るだろう。
 結婚後十回以上転居したり、発作的に勤めをやめる男は「ロクでなし」である。
 
 一時期、父は私にあらゆるののしりの言葉をくれた。
 バカ。
 アホウ。
 マヌケ。
 キチガイ。
 コダイモウソウキョウ。
 エゴイスト。
 ヨコガミヤブリ。
 ホラフキ。
 ロクデナシ。
 アンポンタン。

 そして必ずこういった。
 「文章を書くだとオ‥‥‥
 ふざけるのもいい加減にしろ。
 おれは若い頃、淡谷のり子を診察したけど、歌手にはなれなかった」
 
 長年一緒に暮らした夫婦は一心同体とまではいかねども、一心異体くらいの境地には到達しているものだ。
 だから母はてんから'私を信用せず、ひと月に一回長距離電話を掛けると、まだ「生きているのか」と驚愕し、かなり後まで我が家の「主食は芋」だと思い込んでいた。

 母が乗った舟が見えたのは、晩秋の気配が濃くただよう朝のことだった。
 ヒゲが母を背負った。
 「軽きに泣く」必要はない。
 70キロ近い「デブ」だから。

 「ようこそ」と私。
 「おばあちゃん。待ってたのよ」、チビ丸。
 すると老母は、ハラハラと涙をこぼし、


 お前たち、まあ、こげんな所に住んでからに。
 ぜんぶ親が悪かったとよ。
 理科には行きとうないとあれほど言ったてに、強制的に理科に行かせちから。
 文科を選ばせとれば、こげんさびしい島にこんでよかったろうに。
 海の向こうから見たら、長っぽそくて黒いだけで、誰も住んじょらんごつ見えた。
 あげな所で住んじょるかと思ったら、口惜しゅうて口惜しゅうて、涙がとまらんばい。



● この島を海の向こうから見た姿


 母が娘の名を呼んでいった。
 「ばあちゃん、何故出てきたかわかる?」
 「何故って、みなで暮らすほうがたのしいから‥‥」
 「そうじゃないとよ」
 「ふうん」


 買い物に行って週刊誌の広告みたら、
 「ムツゴロウのかば焼き
と書いてあったんよ。
 それを見たら心臓がドキドキ、ドキドキしちから、無人島へ行ったうえに、"かば焼き"にまでされちまった、と思うちから、生きた心地がしなかったとよ‥‥


 記憶がある。
 八月の特集としてスタミナ食が列挙され、その中に「ムツゴロウのかば焼き」
があげられていた。
 母はそれをみて、食糧不足に悩んだすえ、ついに私をかば焼きにして食った、と早合点したらしい。


 「ムツゴロウのかば焼き」
 どう想像してみても、おいしそうには見えない。



 「ムツゴロウのかば焼き」でウエブを検索してみたら、なんとなんとムツゴロウ本人が出てきた。
 まだまだ元気で、世界中を飛び回っているようだ。
 まるでまるで、知らなんだ。
 それも昨日の話。
 ゴリラを求めてアフリカのルワンダから。
 よろしかったら下記のサイトで。


★ ムツゴロウのいのちの万華鏡:ゴリラを求めて入山 [産経ニュース]
http://www.sankei.jp.msn.com/culture/arts/090123/art0901231437002-n1.htm

2009.1.23 14:34
【ムツゴロウのいのち万華鏡】ゴリラの罠にかかってみた。まばたきする速さで、私の足は空中に持ち上がってしまった=ルワンダ(ジェルミ・エンジェルさん提供)【ムツゴロウのいのち万華鏡】ゴリラの罠にかかってみた。まばたきする速さで、私の足は空中に持ち上がってしまった=ルワンダ(ジェルミ・エンジェルさん提供)

 ■シーン1

 いよいよ山だ。
 登山靴の紐(ひも)をきつく締めた。
 入山事務所に寄って、ガイドをつけて貰(もら)った。
 バナナ酒を酌み交わした仲だったから、私の肩を叩(たた)いて耳打ちしてくれた。
 「今日はチャネの群れだよ。子供が多いし、何よりも近場だしね」

 観光の客が、いくつかのグループに分けられていた。
 ゴリラは、ナワバリを持ち、その中を遊動して生活しているそうだ。
 運悪く遠い群れを割り当てられると、1日のほとんどを歩きに費やさねばならないそうだ。

 監視員は小銃を携行していた。
 斜度30度ほどの登り。
 この地でゴリラを研究したダイアン・フォッシー(1932~85年)がその著書で、大木が枝を広げたジャングルであり、ゴリラの絶好の採食場だったのだが、木を切られ、除虫菊の畑にされてしまったと嘆いていた場所だった。

 ガイドが左を指差した。
 斜面が木立ちにぶつかっている。
 そこに建物が見えた。
 「(ダイアンの設立した)カリソケの研究所だよ」
 マッチ箱ほどに小さく見えた。

 ■シーン2 急峻な崖をよじ登る

  ダイアンは勇敢だった。
 ゴリラの群れにしつこくつきまとい、自分という存在を認知させた。
 これを「人づけ」という。
 宮崎の幸島(こうじま)などでも、ニ ホンザルの群れに静かに近づき、研究者はサルの人づけに成功している。
 後にこれはオランウータンやチンパンジーの群れでも踏襲されている。
 ダイアンの研究によって、ゴリラのダイナミックな生活ぶりが知られるようになった。

 群れのメンバーは、固定されているわけではなく、多少の出入りはある。
 ボスはシルバーバックと呼ばれ、背が白く、光の具合によっては銀色に輝く。
 これは、男性ホルモン、テストステロンの分泌量が多くなるせいである。
 ボスになると、睾丸(こうがん)が大きくなる。
 すると、ホルモンの分泌量も増え、背中の毛が銀色に変わるのである。

 新生児を抱えた若いメスが仲間入りをすることがある。
 するとボスは、その子を食い殺してしまう。
 自分の群れには、自分の遺伝子を残したいがためだ という説明もある。
 新生児がいなくなり、授乳がストップすれば、発情期の訪れが早くなり、自分の子を残す時期が短縮できるからと説かれてもいる。
 いずれに しても、「子殺し」の事実は、聞くものにショックを与えた。

 <以下、略>

 ■はた・まさのり 作家。1935(昭和10)年、 福岡市生まれ。東京大院を経て60年に学習研究社に入り、動物記録映画の制作を担当。退社後の71年に家族で北海道に移住し、「動物王国」を建国、動物と 共生。ムツゴロウの愛称で知られ、「畑正憲作品集」(文芸春秋)「ムツゴロウ世界動物紀行」(SB文庫)など著書多数。


 ちなみに「ムツゴロウのかば焼き」というのは、実際にありました。
 けっこう有名なようです。

★ ムツゴロウ料理 全国旅そうだんhttp://www.nihon-kankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=ShowBukken&ID=41201fa2260096945

 ムツゴロウ料理 [ムツゴロウリョウリ]
 九州/玄海・福岡・佐賀/佐賀周辺

  前海ものと呼ばれる干潟の魚の中でも代表的なもの。
 かば焼きが特に有名だが,甘露煮や,鍋物などもある。
 旬は6月~8月。




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2009年1月21日水曜日

2009年1月20日:豪州落語会




● オバマ新大統領就任(新聞ニュースより)


 「
2009年1月20日」といえば歴史的な日。

 米国史上はじめての黒人大統領が就任する。
 冷戦を通じてアメリカ一国が超大国になる。
 がしかし、そのツケであろうか、「
アメリカ発世界大不況」を誘発する。
 旧来スタイルでは、もはや回復不能に陥ってしまったのであろうか。
 民主党は黒人と女性というこれまでありえなかった大統領候補を掲げる。
 アメリカが変わる、そんな予感が現実になった。

 二人のアメリカ史上異色の大統領候補が手を組む。
 黒人大統領と女性国務長官。
 この双頭体制でアメリカ発の経済崩壊を救うことができるのか。
 間違いなく歴史の転換点にある。
 歴史の流れを掴むことができず、新機軸を打ち出せなかった共和党は泥沼に沈んでいく。 
 ビッグスリーのように風前のともし火となってしまうのであろうか。
 
 これは[1月20日]のシリアスな世界のニュース。


 ここカジノのある浮かれたローカルな街では、
 「2009年1月20日」とは「
豪州落語会
 日本の文化がまたのぞけるシアワセ。




● 桂ざこば:豪州落語会


 この師匠の落語は数年前にも見させてもらったことがある。
 それからこの方、誰もここで落語を演じていない。
 よって、6年ぶり地元での同じ師匠の落語鑑賞となる。 

 調べて見ました。
 ありました、6年前の日記が。
 抜粋で。

 2003年1月3日(金)

 「
新春ゴールドコースト寄席」 ANAホテル 午後6時半開演
 ちょっと早めに出たのだが、サーファーズはこのホリデイで交通渋滞である。
 なんとか着いて青空駐車場に入ったがこれが満杯。
 やむえず、ANAホテルの駐車場に入れる。
 終日$4だそうだそうである。
 ちなみに帰りは10時ちょっと前になっていたせいか集金人がおらず、タダになってしまった。
 会場に着いたときは6時半を少々越えていた。
 「ドアを閉めますので、後ろのドアから入ってください」とのコールである。
 急いで娘と駆け込み、何とか席についた。
 S席なので前から4列目で顔の表情まで見えるいい席であった。

 「ざこば」というのは四代目の名前だという。
 この顔、どこかでみたことがあるのだが。
 上方落語なので、どうも大阪の師匠方はよくわからない。
 師匠本人が自己紹介してくれた。
 いわく、一時人気のあったテレビ番組「イレブンPM」のレポーターだったとのこと。
 そう、思い出した、あの人か。
 ということは私より二、三歳若いことになる。
 桂米朝の一門だという。
 桂枝雀の兄弟弟子になり、前座を受け持った「桂雀々」はその枝雀の弟子にあたるという。
 枝雀は「英語落語」をやっており、ここでも5年ほど前にやっているが、2,3年前に亡くなっている。
 その関係でいろいろ縁があるのだろう。

 中入りを挟んで各々一席づつの計四席。
 昔、聞いたことのあるネタである。
 ということは古典落語。
 「弁慶にしておけ」というのがあった。
 落語をこんなまじかで聞くのははじめてのことで、笑いっぱなしであった。

 松方弘樹が来ていた。
 そのとりまきの美人連中がいい席を占めていた。
 お正月をこちらで過ごしているのだろう。
 帰りに娘が車を運転してくれるというので、一杯やりに居酒屋「海」によったら、彼を含めて50人くらい来ていた。
 海の話だと山本監督も来ているという。
 業界人で山本監督というと、あのテレビに良く出てくる人であろう。


 「イレブンPM」をご存知ですか。
 今風にいえばちょっとアダルトぽい番組。
 教育に悪いと相当叩かれた番組。
 なを「四代目」と聞いたが、wikipediaでは二代目となっている。
 聞き間違えたのであろうか。
 なんとなんと、この年の寄席は1月3日に行われている。
 この年のお年玉といったところ。
 蛇足ですが、その5日後の1月8日に「US$1=¥120」、「AS$1=¥69」とあります。

 今回はよって、2回目ということになる。
 実をいうと、この公演のこと全く知らなかったのです。
 ひょんなことから当日、といっても昨日の昼に開催を知って、夕方に駆けつけたということになったのです。
 危ういので早めにいったが、まずは予約された方から入場をということであった。
 一時間ほど待たされた。
 「はじまります」という声を聞いて、やっと入場が許可された。
 果たして当日席があるのだろうかと心配していたが、なんとか入れてホット一息。
 でも、当日席の入場者は私と、若いカップルと、旅行でこられていたご夫婦が偶然に寄席をやるという案内を見つけてこられたという、「たったその5人だけ」であった。


● 会場入り口


 200人ほど入る部屋で、ほぼ満席でしたが、指定席タイプではなかったため各列1席づつくらいが空いていたので、遅れて入ったにもかかわらず3列目のいい席につけました。
 ということは前回のS席よりもいい席ということになる。
 あの時は数百人以上はいたでしょうから、それから較べると今回は小粒。
 そのせいか宣伝がなく、当日まで開催を知らなかったということになってしまった、ということのようです。


● 司会者は大阪のテレビ局のアナウンサー

 大阪のテレビ局が桂ざこばとともにオーストラリアの海外取材でやってきて、その合い間に落語会を開いたようで、司会者はその局のアナウンサーが勤めていました。

 前座は「桂ひろば」
 ざこばの五人目の弟子だそうです。
 最初の名前は「桂はかば」
 でも顔が「はかば」らしくないので、「桂ひろば」に改名したそうです。
 名前の候補は4つあったという。
 ひろば、あなば(?これは自信がない)、なんば、ハカバ。

 ハカバなら墓石らしく縦長で四角くないといけないらしい。
 でも結構この顔、縦長に見えるのだが。
 きちりと背筋を立てて座っている姿などは、ぴったり墓石だと思える。
 パンフレットの写真をどうぞ。
 羽織を着た墓石の上に、ちょっと縦長の丸い石をちょこんと置いた感じ。
 「墓石二段重ね
 てなことをかくと、ハカバさんに殺されるかも。
 これ全部、ジョーダンです。
 でも削除するには、あまりにも適切な表現でもったいない。
 「やっぱり、殺される」


● パンフレット


 さて、ざこばの落語だが、出だしはいつも奥さんの悪口。
 確か六年前もそうだったように記憶する。
 そして辛らつ。
 もし、そこに奥さんがいたら、スリコギもって舞台に乗り込んでくるのではないかと思うほど。
 でもこれ、どうも「作り」のようで、世話物の門だしのようだ。
 
 女房の悪口を目一杯言いつつ、ほろりとした古典落語の夫婦モノを演じていく。
 二話あり、はじめは「子はカスガイ」
 海の向こうのイナカでは見知らぬ人もいるだろうと、ちゃんとカスガイを用意してきた。
 大小2つ。
 気配りは最高、やはり芸人。

 二番目も夫婦モノ。
 でも題は知らない。
 オチは「天災ではなく、先妻だ」








● 桂ざこば師匠


 久しぶりに存分に笑わせてもらいました。

 出演中は写真は撮れません。
 終わったあと花束がおくられ、お客を見送るざこば師匠を撮らしてもらいました。





【追記】
 「桂ひろば」で検索してみた。
 ありました。

★ 大きな体で小さな仕事 桂ひろば道中記
http://diary22.cgiboy.com/0/168/

 が、である。
 中味は、

☆ 機内食 2009,1,17
http://diary22.cgiboy.com/0/168/index.cgi?y=2009&m=1#17
 今からジェットスター航空で、オーストラリア向かいま~す(^-^)
 機内食はないそうです。
 おにぎり二つにパン一つ、そしてチューハイ2缶購入しました。
 空港での待ち時間で全て完食しました(*_*)
 もういっぺん買ってこよ~つと(^-^)

☆ 帰国 2009,1,21
http://diary22.cgiboy.com/0/168/index.cgi?y=2009&m=1#21
 無事帰国しました~(^-^)
 師匠の番組ロケに同行し、ゴールドコーストでの落語会がメインでした。 
 たくさんの日本人の方に集まっていただき、とてもいい会になりました(o^o^o)

 ひろば:『子ほめ』
 ざこば:『子は鎹』
 ざこば:『天災』


 ちょっとマテ、これだけ?
 やはり、「桂ハカバ」にしておこう。



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2009年1月15日木曜日

年賀状:なんともツライ


● 今年の年賀状(住所氏名は変えてあります)


 昨日、年賀状をもらった。
 今年、はじめての一枚。

 こちらにきてそこそこ長くなるため、来た当時は貰っていた年賀状だが、昨今は途絶えている。
 
 はじめて「郵便局の年賀状」を貰ったときはビックリ仰天した。

 外国で年賀状がもらえるなど考えもしなかったのである。
 年賀状が海外に発送されるなど思いもしなかった。

 しかし、よく考えてみると年賀状も郵便である。
 郵便局が発行している郵便ハガキである。
 海外郵便の別料金の切手を貼れば届けてくれてあたりまえである。
 だが、そのときはそんな考えがチラリとも浮かびもしなかったのである。
 年賀状がこちらのポストマンの手で配達されるなどというのは、ありえべからずの話のように思えていた。

 この最初の年賀状を送ってくれたくれた友達には、いかに驚きいったかを克明に書いて手紙で返信した。 

 こちらに住み始めてから、なるべく郵便を出すのは控えている。
 というのは、自分の経験から日本に住んでいて外国とのコンタクトのない人がアルファベットの住所を書くということは、これで結構神経を使うからです。
 スペルなど少し間違っていても、配達されるのだが、そのころはその点がわからず、一文字一文字アルファベットをくり返しくり返し確認し、もし間違っているといけないと思って、電話番号まで書き添えたことがある。
 それをもって、郵便局にいって海外郵便の出し方を聞いて、それなりに直して別料金の切手を買い、ポストに入れて、やっとホッとしたことを覚えている。
 そして、ドッツと疲れがやってきたのも記憶している。

 日本に居住する海外経験のない人にとって、海の向こうに手紙を出すというのは大仕事なのである。
 手紙をもらえば礼儀で返信をかかざるをえなくなる。
 手紙を送るということは、その人に「大仕事を強要する」ことになるのである。
 そういうことが分かっていたので、特別の用事を除いて日本への郵便は控えるようにした。
 日本から来たものには、必ず返信するが、こちらから出すというのは返信を無理強いするように感じられて、筆が進まなかった。

 よって、年賀状も貰ったら出すという風にしていた。
 こちらから出すと、貰った友人が郵便局に出かけないといけなくなるので、あくまでも貰った人への返信ですませることにしていた。
 
その点は年賀状という風習がない国なので楽である。
 代りにクリスマスカードというのがあるが、日本では文化行事だか、こちらではあくまで宗教行事。
 クリスチャンでもないのにクリスマスカードを送るというのは、ちょっと抵抗があってできない。
 キリストの神様を冒涜するような気分になってくる。

 長く住んでいると日本との関係は題名ではないが「日々に疎く」なる。
 通信も疎遠になってきて、やっと年賀状くらい。
 それも喪中でも入れば、その後は切れてしまう。

 ここ2、3年ほど、年賀状はなかった。
 なければないで、さびしくもなく、身辺すっきりしてていい。

 が、突然一枚の年賀状が舞い込んできたのである。
 それも、えらく時間差で。

 が、どうもうれしくない。
 やめて欲しいと思ってしまう。


● 年賀状の中身(右下の住所氏名は削除してあります)


 中身がないのである。
 ホントウに「状」だけ。

 日本にいるときはどうとも思わなかった。
 彼の性格を知っている。
 自ら年賀状を出すことはしない。
 きたらその返信を出すだけ。
 よって義理の印刷内容だけ。
 自筆部分はナシ。
 ズーとそういう年賀状を貰っていた。
 というより、私が出すから返信していた、といった方がいい。
 こういうタイプの年賀状はいくらでもある。
 とりたてて不愉快になることもない。
 「彼らしい」で終わっていた。
 
 が、この時期、この地域で、こういう賀状をもらうと精神的にキツクなる。
 別に私の方から年賀状を送ったわけではない。
 年賀状をくれ、といったわけではない。
 日時から換算すると、「年賀状があまって捨てるのももったいないからヤツに送ろうか」といったところだろう。
 彼は横文字に強い。
 それはそれでもいい。

 でも、何もない年賀状を海外で、それも至極時間遅れてもらうのはミジメになってくる。
 心理的にガックリくる。
 一筆でも書き添えてくれたらな、と思う。
 それができないなら、送って欲しくなかったと思ってしまう。


● 返信用に絵葉書を買ってくる。


 でも送られてきてしまった。
 お礼をださないといけない。
 早速、ニュースエージェンシーへいってハガキを買う。
 絵葉書にする。


● 本文欄:送料は55セント切手2枚で$1.10


 これから本文を書くことになる。
 おそらく「あけましておめでとうございます。賀状ありがとうございました」と。
 なんともツライ。



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2009年1月9日金曜日

箱根駅伝:信じられないことが


● 東洋大学:77年目 史上最も遅い栄冠


 お正月の三ケ日といえば、駅伝。
 元旦は「ニュ-イヤー・実業団駅伝」
 二日は「大学箱根駅伝・往路」
 三日は「大学箱根駅伝・復路」

 こちらにきて長くなるが、「箱根駅伝」のビデオだけは見逃したことはない。
 ありがたいことに大学に勤めている友人がいるので、彼がせっせと撮って送ってくれるからである。

 そのDVDが届いた。
 すぐに見た。
 いつものようにスポーツ報知と日刊スポーツの2紙が同封されていた。
 今年の結果は歴史に残るストーリーであった。
 ありとあらゆる常識をくつがえす結末である。
 そのコピーを上げておきます。

 箱根駅伝の醍醐味はその山登りにある。
 駅伝区間は往路5区間、復路5区間の計10区間。
 最短が18.5km、最長が23.4km。
 その最長距離にしてかつ山登りという過酷きわまりないのが5区。
 湘南の海から最高点まで864mを駆け上がる。
 一般常識ではとらえられないコース。
 今年のヒーローは東洋大学、柏原竜二。



 小田原中継所でほぼ5分あったトップ早稲田との差をひっくり返す。
 9位でタスキを受けたから8人抜きとなる。
 5分とはどのくらいの距離か。
 ランナーは1キロ3分を目安に走る。
 ということはトップと1.7キロほど離れていたことになる。
 では1.7キロとはどのくらいの距離か。
 だいたい人は1キロ15分で歩く。
 ということは1.7キロとは歩くと25分かかることになる。
 その距離を山登りで逆転して、往路優勝をもぎ取る。
 とんでもないランナー。
 それも箱根のベテランとなる4年生ではない。
 ルーキー、つまり1年生である。
 10ケ月前までは高校生である。


● 新たな「山の神様」か


● ちょっとアップで


 「山の神様」といえば順天堂大学「今井正人」
 山の神様とは「山登りの名人」ということ。
 下記のコピーのように3年連続区間新。


● 「山のカミサマ」:順天堂今井正人

 それにより下記のコピーのようにこれまた3年連続MVP(金栗賞)に輝く。
 2年生の2005年にはじめて山登りを走ったとき、11人抜きという離れ業を演じる。
 平坦路ならいざしらず、山登りで11人抜きとは偉業といっていい。
 そして2007年にはトップとの差4分09秒をひっくり返し、順天堂を往路優勝へと導く。
 この走りに勢いをもらった順天堂は総合優勝という完全優勝を達成する。
 なを、彼は1年生のとき、花の2区を走っており、記録的には10位である。
 その彼が山を登ると、俄然に強くなる。
 「カミサマ」になる。


● 今井正人:3年連続のMVPの偉業


 柏原は新たな「山の神様」になるのか。


● 早稲田三輪に並びかける東洋柏原

 東洋大の往路優勝はもちろん初めてのこと。
 過去の往路の最高記録はコピーにあるように戦前1940年の4位。
 戦後では1980年の5位が最も新しいもの。

● 東洋大の記録

 ということはそれから30年近く、5位にすら入れなかったということになる。
 それが突如、柏原というスーパールーキーの出現で優勝を勝ち取る。
 東洋大にとって柏原は「カミサマ」ともいえる。
 言い過ぎではない。
 さほどに超絶的な仕事を成し遂げた。


 復路は110km。
 初詣客の声援を受ける形にコースが変更され、にぎわう銀座に迂回していくため、往路より距離が2キロ長い。
 トップとの差を1キロ1秒つめていけば110秒[1分50秒]つまる。
 よって2分以内の差ではトップ集団となる。
 早稲田は東洋に遅れることたった23秒、日本体育大学が1分43秒遅れ。
 この3校の激突というのが復路の予想される構図。

 特に23秒差の東洋と早稲田はほぼ同時スタートとみて差し支えない。
 23秒とは約110m、ぴっちり目の前に敵の姿がある。
 40秒では前をいくランナーの後ろ姿が見えるという。
 よって23秒では悠々の射程圏内。
 まさにその構図通りに展開していく。


● 復路:東洋と早稲田の激闘

 6区山下りは2校の抜きつ抜かれつの過酷な首位攻防。
 早稲田がわずかに17秒引き離して小田原中継所へ先着する。
 7区はほぼ互角の走り。
 その差は10秒ほど。
 そして8区で東洋大が首位を奪い返す。
 この区からゴール10区までは、まるで「王者東洋」といった貫禄をみなぎらせて走る。
 まるで早稲田が添え役、引き立て役を演じているかのよう。
 いったい、どこにこれほどの余裕があるのかと頭をひねってしまうほど。

 67回目の出場にして、ようよう掴んだ「優勝」の二文字。
 67回、とてつもなく大きな回数。
 ニュースは「史上最も遅い栄冠」と称している。
 直前、不祥事で監督が辞任するという嵐に見舞われたチーム。
 参加の可否を体育連盟にゆだねた大学。
 誰が考えても、どうデータを操っても「優勝」などという結果は現れようがない。

 過去の総合成績を見てみる。
 1960年に3位というのがある。
 これが最上位記録。
 3位はこの1回だけ。
 なんと約50年ぶりの入賞になる。

 1964年と1968年に4位がある。
 あと残りはすべて5位以下。
 優勝の「ゆ」の字にも縁のないチーム。
 それが突然、優勝。
 それも往路優勝を含めての完全優勝。
 どうにも信じられない。


● 「信じられない」東洋大学優勝


 4区まではいつもの東洋、それがスパールーキーの成績に刺激され、王者に変身する。
 まことに、駅伝は怖い。
 そして、面白い。
 データ通り、セオリー通りのレースもいいが、こういうドラマチックの展開も手に汗握る。

 常勝軍団、実力ナンバーワンの駒澤大学は下馬評では当然筆頭の優勝候補。
 ここを中心にレースが展開されると大半が見ていた。
 全日本大学駅伝(伊勢駅伝)の優勝校となれば当たり前の予想。
 ところがあにはからんや、なんと14位に沈んだ。
 10位までは翌年出場が自動的に決まるシード校。
 11位以下は予選会に出場しないといけないという、シード落ち校。
 前年度優勝校で、翌年にシード落ちした大学は過去の歴史の中にない。
 史上最悪の記録。
 まさに、未来は見えないものだ、実感してしまう。


● 一昨年の覇者:順天堂大学は「過去ワースト」とある。
  昨年の王者駒澤大学:思ってもみなかった悪い方の史上初記録の達成


 東洋大学以外にもゴールテープをニコニコと笑顔で切ったランナーがいた。
 それも22位、最下位チーム。
 青山学院大学。


● 青山学院大学:33年ぶりのゴールへの帰還

 33年前にゴール手前、たった150mで棄権。
 150mとはゴールが見える距離(あのころは角を曲がってすぐにゴールだったから、見えなかったかもしれないが)。
 以降、箱根に戻ってくることはなかった。
 今年、1/3世紀を経て、タスキがゴールに届いた。
 繰り上げもなく、母校のタスキが。

 歴史ドラマは続いていく。




 
● 後日送られてきた朝日新聞より



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2009年1月6日火曜日

そば焼酎:金砂郷


● そば焼酎:金砂郷(かなさごう)


 「お年始でいただいたソバ焼酎」
と、書きたいところだが。
 本当はお歳暮。
 受領したのは昨日の1月5日。

 ところが発送日は昨年12月1日。
 届いたのが昨日だから1カ月以上、5週間もかっかている。
 船便なら当然の日付。
 でもエコノミー航空便。
 1.91kg:¥3,850.

 日本郵便の案内から。

 エコノミー航空便(SAL)の特長
  日本国内と到着国内では船便として扱い、両国間は航空輸送するので、船便より速く、航空便より安いサービスです。


 なんでこんなにかかるのだろう。
 下記の書類日付をみてわかるように、シドニーの検疫所を通過したのは12月31日。
 ということは、この検疫所で4週間くらい留め置かれたということになる。
 検疫にひっかかったのは魚のヒレ。
 コンビニで売っている酒のおつまみのパック入りの小魚の丸干し。

 以前に魚の頭でひっかかったことがある。
 よって「頭つき魚」は入れないようにと申しおくりしておいた。
 今度は魚の尻尾。
 つまり、乾燥した魚、加工した魚でも、「魚はダメ」ということのようである。
 それがパックに入ったおつまみであっても。

 でも前のときは抜き取られてすぐに、書類添付で配送されてきた。
 せいぜい2週間ほど。
 航空便なら1週間、エコノミーなら2週間でほぼ足りる。
 今度のように5週間もかかってはいない。
 12月はクリスマス・プレゼントで忙しいことはわかるが、5週間というのは異常である。
 ときどき、検疫所はストをやるが、今回はそんなニュースは聞いていないのだが。
 これではエコノミーでも航空便の意味がない。
 航空便料を無駄に捨てただけ、といった感じになっている。


● 通関の検閲書類



● 同封されていた検閲のガイドブックから


 お歳暮変じてお年始になってしまった。

 中に入っていたのが、写真の180mlのソバ焼酎。
 抜き取られたのはこのおつまみというわけである。

 ソバ焼酎。
 昔、よく飲んでいた。
 行きつけの店においてあった。
 宮崎の「雲海」
 薩摩のイモ焼酎というのは有名だが、ちょっと匂いがきつくて手が出なかった。
 それに比べてソバ焼酎はすっきりしており、お好みであった。

 ときどき送られてくるビデオにCMが入っている焼酎がある。

 「大分ムギ焼酎 二階堂」

 このCM、なかなか古きよき時代のノスタルジックな映像で、じわりと心に染み込む味わいがある。
 後ろ姿しか映らない俳優と風景で構成されている。
 映像はちょっと古ぼけた写真のようなセピアトーン。
 なぜこのCMだけをよく見るのかと調べてみた。
 送られてくるビデオは駅伝やマラソンが多い。
 どうも、スポーツ番組がこのメーカーの好みで、スポンサーしているようである。

 そのCMのいくつかをユーチューブで。

 大分麦焼酎 二階堂
http://au.youtube.com/watch?v=2jdUrIWJEvE
http://au.youtube.com/watch?v=Fl0XDy_-QW0&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=tu22V4ZSSQE&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=WSuJqxQ0J4E&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=DCSHERDS-7c&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=QZa5NKq7l6g&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=mu3fbyBPkEU&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=BVpDVZriqX4&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=W2H1ZaLFbn0&feature=related
』 


 今回、なぜか焼酎に関する新聞日曜版の切り抜きが入っていた。


● 焼酎の製造工程図

 工程図の説明があります。
 抜粋で横書きに直しておきます。

 事故米の不正転売問題で、事故米が混入した日本酒や焼酎の回収運動が起きた。
 その中で、米焼酎だけでなく、芋焼酎も回収されたものがあり、不思議に思った人もいたのでは。
 実は芋焼酎や麦焼酎、そば焼酎など「本格焼酎」といわれる焼酎でも、製造の最初に米が使われている場合が多い。

 本格焼酎を作るうえでまず必要になるのが「こうじ」だ。
 こうじは、でんぷんを含む米や麦などにこうじ菌というカビを生やしたものだ。
 アルコール発酵には糖が必要で、こうじは焼酎の原料になる穀物のでんぷんを糖に分解する酵素が含まれている。
 このこうじの種に、酵母と水を加えて一次仕込みをしたものを「一次もろみ」という。
 多くの場合、この一次もろみは米で作る。
 これをもとに、さらに原料の穀類と水を加えて、二次仕込みをして発酵を進めていく。
 このとき原料が米なら「米焼酎」、サツマイモなら「芋焼酎」、麦なら「麦焼酎」、そばなら「そば焼酎」となる。

 麦焼酎の場合は、こうじも麦で作ることができたので、米を使わないこともあった。
 だが、サツマイモは水分が多いためこうじを作るのが難しく、芋焼酎では伝統的に米のこうじが使われてきた。
 しかし、本格焼酎のブームが進むにつれて、すべて同じ原料の焼酎を望む声も出てきた。
 そこで、いくつかのメーカーがサツマイモのこうじの開発に取り組み、芋100%の焼酎も売り出されるようになった。
 殻の硬さなどからこうじ作りが難しかったソバでも宝酒造などが開発に成功、そば100%焼酎も登場した。

 使われているこうじ菌にも変化が出てきている。
 明治から大正時代にかけては黒こうじ菌が使われていたが、黒い胞子が周囲に飛んで服や蔵の中が黒く汚れるという問題があった。
 そのため、、大正時代に白こうじ菌が発見されると、取って代られた。
 それが10年ほど前から、黒こうじ菌の風味が見直され、黒こうじ仕込みをうたった本格焼酎も、多く出回るようになってきた。




● 焼酎の製造工程の説明


 これまでは缶チューハイを何本が送ってきた。
 これだと重量があり、航空郵便では費用がかかるので、水分系は送らないでください、と断っていた。
 だが、それでは面白くないと思ったのだろう、この一合焼酎を一本だけ暮れの小包にまぜて送ってきてくれた。
 一合一本であるから、フタをとったらアッという間になくなってしまう。
 すぐに飲むには、どうにももったいない。
 暮れにもらったら、お正月に飲もうということもあるが、1月の5日ではちょっと時期がずれている。

 そのうちなにか「おめでたいこと」でもあったら開けようかと、今は飾っておくことにした。

 ちなみにこの焼酎は「焼酎乙類、甲類混和 アルコール分25%」であり、材料は「そば、米麹、麦、麦麹」とある。
 ということは、そば焼酎ではあるが、そば、米、麦が使われているということになる。

 生産地は茨城県太田市となります。
 ウエブサイト「2005 ときわ路の秋 JR東日本:小さな旅 滋味まんさい、ぶらり奥久慈へ」から。


★ 金砂郷:茨城県常陸大田市金砂郷:ぶらり奥久慈へ
─────────────────────────
http://www.jreast.co.jp/tabidoki/chisanatabi/pdf_mito/2005at_mito_all.pdf

自然探勝と風呂ざんまい
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 平成16年12月に、常陸大田市と合併した旧金砂郷町。
 久慈川と山田川にはさまれた山間にたたずむ、静かな山村です。
 「金砂郷」という名は、昔、砂金を産出したことに由来するといわれ、また、戦前まで上質な葉タバコ「水府タバコ」の産地として有名でした。

 金砂郷といえば、そばも忘れることはできません。
 金砂庵や金砂そばの郷(そば工房)などで、香り高い秋そばを味わってください。
 金砂庵に隣接する「金砂の湯」では、地下50mからくむ天然水を沸かした風呂に入浴できます。

常陸秋蕎麦:聖地で知る本物の味
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 雲母のごとき粗い粒子が残るそば、というのが第一印象。
 目にも風味が伝わってくる気がします。
 数本をたぐり、天然の湧き水に浸して、口にすると、まず舌先に伝わってくるのは甘味。
 そばというのはこんなに甘いものだったのか!
 誰もが感嘆の声を上げるという。

 その甘みに続いて、押し寄せるのが、風味。
 喉を通り過ぎた後、戻り香が口の中いっぱいに広がるのです。
 これまで食べてきたのは一体何だったのか、と思うはず。
 まさに真の味を教えられる瞬間です。
 このそばに全国のそば職人が憧れるというのもうなずけます。

 そのそばとは「常陸秋蕎麦
 金砂郷に伝わる在来種から、品質のよい種を選別し、育成したものです。
 現在、金砂郷でそばを栽培している農家は約300戸。
 なだらかな山の上の方までそば畑が広がっています。
 この辺りの土壌は水はけのいい赤土。
 昼夜の温度差が大きく、風通しがいいために、そば作りに適しているのだとか。
 またタバコ栽培の裏作に作られていたことも、最良のそば育んだ一因といわれています。



 「金砂郷」蔵元探訪サイトがありましたので紹介しておきます。

★ そば焼酎「金砂郷」醸造元 茨城県・剛列富永酒造店を訪ねて
http://beefheart.sakura.ne.jp/tankentai/column/kanasago.html






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