2008年12月31日水曜日

年越し:そばとY2K


● 夕食時の年越しそば


 今日は大晦日である。
 となると「年越しソバ」ということになる。

 面白いことだが、「日本ソバ」はちまたのスーパーマーケットで売っている。
 アジアン・フードというコーナーの一角においてある。 

 通常、ウドン、ソバは「ヌードル」という名称になっている。
 「カップ・ヌードル」という名前でよく知られているように、その麺は主として中華麺である。
 よって、インスタント・ラーメンやカップ麺はアジアン・フードのコーナーの主役で、膨大なスペースを占めていろいろなメーカーのものが販売されている。
 日本の輸出向けのもの、韓国モノ、中国モノと多種多様である。
 よって、間違って買うと、まるで口に合わないことがある。
 いわゆる、油っぽくでしつこい味になる。
 辛いのはいいが、日本人には食べた後「サッパリ」でないと受けない。

 日本ウドンや日本ソバとなると、誰が買うんだろうかと頭をひねってしまう。
 日本ウドンはまあアジアン系なら何とか食べられるが、日本ソバともなるとこれはいけない。
 日本ソバがおいしいという、地元人に会ったことはない。


● 「soba」「udon」「somen」という名称で乾物ものがおいてある。
  その横には「udon」で生タイプも置かれている。

 とすると、このソバを買う人は日本人のみということになるのだが。
 日本人の数からいって郊外のスーパーマーケットが棚を設けてどうするというのだろう。
 以前はここに「茶ソバ」まで置いてあった。
 
 製造しているのは日本のメーカーです。
 ここで製造して、日本に輸出している。
 日本食品店にいくと、このメーカーの日本語ラベルのうどん・そば、あるいはそうめん・ざるうどんが山積みされている。
 よって、スパーマーケットで売っているウドン・ソバは国内向けか、あるいは海外に住む日本人向けということになる。
 夏場なので、ちょっと買い物ついでで、ソーメンやソバを買ってくる。
 ちょこちょこと料理して、結構満足できる。

 もちろん、日本食品店には日本から輸入したソーメンやソバも売られている。
 ソーメンなら高級なところで「揖保の糸」、ソバには高級なメーカーはないから、トロロつなぎのソバがどちらかというと高級になる。
 日本国内でも普及モノから高級ものまで、麺類の幅は広い。
 英文版は決して高級ではないが、十分においしく食べられる。
 海外にいて、これだけのウドン・ソーメンそれにソバが手近で食べられれば文句のつけようがない。


● お手軽に利用している乾麺の「そーめん」と「そば」
  英文版です。

 今は持ち直したが、少し前までオーストラリアは干ばつに苦しめられた。
 その影響は日本にも及んだ。
 「讃岐うどん」の値上がりである。
 この名物うどんの原材料はここの小麦粉。
 それが干ばつで不作になった。
 よって、ここで製造されるウドンは決してレベルの落ちるものではない。
 
 ソバはどうかというと、これは Wikipedia の知識しかない。
 ただ、痩せた土地でもソバはできるということだけは、古くから聞かされてきた。
 よって、米のとれない土地ででもソバが栽培され、常食にされてきた。
 昨今は水田の休耕地で栽培されているという。
 ということは、どこでもソバはできるということで、できたソバをどう加工するかがポイントのようである。
 つなぎにナニを使うか、ソバと小麦の比率はどうするかなど。

 数年前のこと、東京郊外の深大寺にいった。
 ここの「深大寺ソバ」は有名である。
 なるほど深大寺ソバとはこういう味かと納得した。
 ウラに城址公園があって、そこを散歩していたら、ソバの栽培がおこなわれていた。
 ここではじめて、ソバの花というのを見た。
 ちなみに、wikipediaによるとソバの80%は中国とアメリカからの輸入だそうです。

 そのとき「深大寺ビール」というビールがあったので飲んでみた。
 地ビールかと思ったが、そうではなく静岡の産だとあった。
 近くに古い建築物を保存している武蔵野公園があって、そこに「独歩ビール」というのがありこれも飲んでみた。
 やはり静岡産であった。
 独歩とは武蔵野を愛した国木田独歩の名をとったものである。

 余談だが、ここに「ゲゲゲの鬼太郎の家」というのがあった。
 ちゃんと、妖怪ポストもついていた。
 深大寺には「ゲゲゲの鬼太郎の茶店」というのもある。

 話が昔に飛ぶ。
 覚えていらっしゃる方も多いと思うが、日本で米が不作になったことがある。
 そのとき、法事で日本にいくことになった。
 お土産は、
 「米もってきてくれ」
 スーツケースに20kgの米を入れて飛行機に乗り、成田に降り立った。

 実家についたらオフクロが言った。
 「米がなければウドンを食べていればいいのだよ。昨今の若い者は堪え性(こらえしょう)がない」
 確かに、米など食わなくても何の支障もない。
 
 振り返ってみると、この2,3年、何か特別のことがない限り、ほとんどご飯を食べていない。
 麺類党であり、十分それで満足している。
 米というのは習慣で食べているだけで、なければないでとりたてどうということもない。
 こらえ性さえあれば、そこそこ代替品はいくらでも見つかるのが昨今の日々である。
 食糧、それ自体が底をつくということはない。
 何しろバラエテーに富んだ乾物食糧が十分にストックできるほどの社会に変わってきているということである。
 物理的食糧危機なるものはもはや先進国では存在しない。
 心理的な食糧危機、すなわち「あれが食べたい」「これでないと嫌だ」というワガママ食糧危機しか見出せなくなっている。
 
 昨今はこの干ばつで、スーパーマーケットの棚から米が消えた。
 ここで米を製造している業者がお手上げになってしまったのである。
 雨が降らず、水がなくては水田がつくれない、というわけである。
 でも、インデイカ米、いわゆるロングライスは豊富に出回っている。
 いわゆる「オカボ」、畑米、陸稲。
 日本で米がなくなたったとき、この陸稲をどう食べるか、いろいろあったようですが。


 話を戻します。
 今日は大晦日です。

 大晦日の話題を。
 大晦日といえば、なんといっても「1999年大晦日」
 これ以上の大晦日の話題はないといっていい。
 今から9年前。
 ちょっと古すぎるのだが。

 家族はお正月になると日本へ行ってしまう。
 私は寒さが体にあわず、すぐに風邪を引いて寝込んでしまう。
 よって、お正月は自宅で過ごすことにしている。
 これまで一度としてお正月に日本に行ったことはない。
 そのせいか私の記憶の中には家族で正月を迎えたという思い出はない。
 昔はあったのだろうが、一人のお正月が続くとそれにつれて記憶も消えてしまうようである。
 
この年も一人で年越しをした。

 ちょうどこの年は百年に一度の「ミレニアム」
 ご存知かもしれないが、この年越しは「Y2K」である。
 1900年代から2000年代に移行するとき、コンピュータが誤作動するという問題である。

 1999年12月30日の新聞には「2000年対策」として、下記のチェックをあげていた。

★].1週間分の飲み水を確保すること。一人一日約4リッター。
★].ガソリンを満タンにしておくこと。
★].ラジオのバッテリーを交換しておくこと。
★].トイレット用ならびに洗濯用にバスタブに水を満たしておくこと。
★].バーベキュー台ならびにガス調理器のガスを満タンにしておくこと。
★].サンスクリーンならびに虫除けを含む救急薬を用意しておくこと。
★].コンピュータのバックアップをフロッピーでとっておくこと。
★].懐中電灯の電池を新品に交換しておくこと、ならびにロウソクを用意しておくこと、またマッチを忘れないこと。
★].最も新しい銀行の残額をコピーしておくこと。
 
 ちなみに、この日の為替レートは「US$1=¥102」で、オーストラリアドルは「AU$1=¥66」です。
 バックアップはフロッピーの時代です。

 12月31日の日記から抜粋で、ブログ風に書き換えて。

 カセットフーのカセットを数本そろえ、スプリングウオーターも数本買ってきてある。
 数日ならインスタントラーメンで十分とこれも対策してある。
 まあ、3日を越えて障害が継続することはないだろう。
 3日なら絶食してもどうということもない。
 絶食したくとも、クラッカーにビスケット、腐らぬ食い物は事欠かない。
 水さえあれば、十分。
 ヤカンやお鍋に水をためた。
 2000年対策をして、とりあえず一合半のお米を炊いておいた。
 電気が止まると冷蔵庫のものが腐るが、フタを開けたコンビーフと豆腐はまずダメ、野菜は少しくらいはもつだろう。
 要はどのくらいとまっているかで変わってくるということだろう。

 風呂場に水をはったら入りたくなり、その水を流してお湯を入れて風呂に入った。
 いつもシャワーなので風呂に入るのは久しぶりのことである。
 お湯はそのままにしてY2K対策とした。

 9時に花火が打ちあがった。
 近くのテーマパークの花火である。
 湯上りであったが、外へ見にいった。
 歩道に立つとちょうど、道路の突き当たりに花開く感じに見える。

 普段の大晦日は静かなのだが、今年は住宅地全体が目一杯にざわついており、あちこちからボリューム一杯に上げた音楽が流れてくる。
 ミレニアムでドンチャン騒ぎといった感じである。
 一人ではテレビを見るのもおっくうで、ベッドに入りラジオを聞いていた。
 カウントダウンが始まった。
 「スリー、ツウー、ワン、ハッピーニューイヤー」
 電気はとまりませんでした。
 チクショー。
 実をいうと期待していたのだが。
 一日二日ぐらいはそういう経験もしてみたかったのだが。

 一瞬、窓の外が異様に明るくなった。
 ナニがあった、ナニがあっても不思議でないのが今日このとき。
 急いで外にとびでる。
 シュルルシュルルと軌跡を残して花火らしきものが空に駆け上がる。
 スーと消えて、ワンテンポ遅れてバババーン。 
 気味の悪い赤い玉が落下してくる。
 途端に周囲が光輝く。
 照明弾です。
 はじめてであった。
 足元も見えない暗い中から、家並みが浮き出てきた。
 まるで、映画の撮影風景に出てくるセットを見るような感じ。
 すごい。
 しばらく、この明るさが続いた。
 どうしてこんな長く明るさが保てるのだろう、不思議だ。
 照明弾っていうのはどんな構造になっているのだろう。

 バチバチバチーン。
 爆竹が向こうの家、ここの家といった具合にはねた。
 音楽が止まった。
 マイクを通して嬌声が住宅地に響きわたった。



 Y2Kは乗り切ったようである。
 30日の新聞は「Y2Kにおびえる市民」という見出しで、「ニューイヤーズ・イブの気味悪さ」 を一面で伝えており、家庭ではラストチェックをするよう注意を促していた。
 その反面で、あちこちでおこなわれる「新年花火大会」の案内を詳細に載せていた。
 矛盾がお手てつないで同居しているといったなんともおかしな紙面構成であった。

 気になったのは、対策の中に「飲料水の確保」はあっても「食料」については一言もないこと。
 1月1日はホリデイでも、スーパーマーケットは営業時間は短いが開いているので心配ないというところだろうか。



 先ほどテラスから撮ったニューイヤー・ファイアー。
 シャッタースピードの遅いコンパクトデジカメではやはり無理がある。








● ニューイヤー花火

 ということは、年がかわりました。
 2009年です。
 今年は穏やかな年でありますように、と願っています。


 「明けまして おめでとうございます」



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2008年12月30日火曜日

お飾り:鏡餅のつもり


● これはナニ?


 「お飾りです」
 「え、え、」
 「ホントウです」

 明後日はお正月。
 「一夜飾りはいけない」と小さい頃、親から教わりました。

 昨日、オモチの上に載せるダイダイを買いにいった。
 もちろんない。
 ミカンならあるはずだと思ったが、ない。
 オレンジでもいいのだが、と思ったがこれもない。
 あるのはレモン。
 これはちょっとお飾りにはなりにくい。
 すごすごと帰ってきた。
 でもなにかせにゃならん。

 今日、改めて別のマーケットにいった。
 やはり同じ。
 南半球、こちらは夏、しかたがない。
 「なにかないかな」と目に付いたのがライム。
 よしこいつでいこうということにした。

 でもミカンのように横長ではない。
 どちらかというと縦長。
 どうにも座りが悪い。
 置くとひっくり返る。
 ええいママヨ、と尻を包丁でカット。
 これで何とか置けるようになった。
 見た目はサマになっている。


● ライムを載せたお飾り(キッチン)

 ズームを引くとこうなる。
 「何か違うんでナイ」という疑問、あってしかるべき。 

 ええ、そうなんです。
 下のオソナエ、これ切り餅なんです。
 以前は日本食料品店にパック形のオソナエが置いてあった。
 あの、2段重ねの丸っこい鏡餅。
 昨今はまるでみかけない。
 ちなみに、昔はおせち料理もあった。
 ところがこれ、検閲にひっかかって輸入差し止め。
 よって、どこの食料品店からも正月のオセチ料理は消えた。
 オセチの消えついでで、鏡餅のお飾りも消えてしまった。

 そこで考えたのが、上のような切り餅オカザリ。
 鏡餅とは呼べない。
 3つを二段に重ねて、上にミカンを置く。
 でもミカンがない、というわけである。
 「でも、ライムがあるさ」
 
 どういうタイミングか、ちょうどいま読んでる本が矢野誠一著の「落語長屋の四季の味」という本。
 その2番目に「餅」がある。
 抜粋。

 いまやたいていの家庭が、外で買ってきた餅で正月をすごしている。
 それどころか、元日に雑煮を食べない若夫婦が確実に増えてきているときくと、時代が変わったことを感じないわけにはいかない。
 「血のでるようなおもい」をしてまで、正月の餅を用意するなんって、やはり昔の話である。
 当節では、手にいれたいと思ったら、駅の売店だって手に入る餅だが、ほかの食べ物同様、めっきり昔の味がしなくなった。


 この「血のでるようなおもい」の餅ってどんなモチと問われそうなので、この題の没頭の文を挙げておきます。

 かれこれ五十回をこす正月を迎えているのだが、おかげさまで餅のない元日を過ごしたことはない。
 日本が戦争に負けた1945年といえば、それこそ毎日の食事が満足にとれないほどだったから、とても正月の餅どころのさわぎではなかったはずなのだが、どこでどう手をまわしたものか、我が家には餅があった。
 元日の朝、親の使いで、おなじ隣組の出征兵士の留守家族のところへ、この餅のおすそわけに行ったのだが、餅を手にして玄関に立っただけで、そこの奥さんに泣き出されたのを覚えている。
 国民学校の4年生であった。

 もちろん、私は国民学校など知らない。

 この文を読んでいて、なら餅とオカザリについて書いてみようと思ったのがきっかけて、ついでに我が家のオカザリをと撮ったのがこの写真というわけ。


 小学生の頃。
 1度か2度、家で餅つきをした記憶がある。
 1度であったか2度であったか定かな記憶はない。
 ウスとキネがあった。
 季節になるとあちこちで餅つきがおこなわれた。
 今日はアソコ、明日はアソコと。

 我が家の餅つきは歩道でやった。
 なにしろ狭い敷地、歩道くらいしか空き地がない。
 セイロでもち米を蒸す。
 火力は薪。
 つまるところ歩道で米を炊いていたということ。
 その頃ならどこでも見られた風景。
 歩道を行きかう人は文句などいわない。

 1年に一度のことなので、ウスは乾燥してヒビが入っている。
 餅をつく年は前もってウスに水を張って割れ目をふさいでおかねばならない。
 キネも同様。
 これも水につけておく。
 小学生にとってキネは重い。
 2,3回持ち上げただけでフウフーになる。
 
 毎年、餅をつけるほど豊かでヒマではない。
 そのうちつかなくなった。
 しばらくしてウスとキネはどこかへ貰われていってしまった。

 頼むと千葉の担ぎやのオバサンがお餅をもってきてくれる。
 お飾りも寸法と数をいうと、暮れに届けてくれる。
 なにも家でつくことはなく、だんだんイージーになっていった。

 正月になると、オヤジ様を先頭に家族がゾロゾロついて家の中を回る。
 といっても二、三十歩もあるくと表から裏に抜けてしまう小さな家であったのだが。
 お飾りの前で、拍手を打ち、年の初めを祝う。
 「今年もいい年でありますように」
 
 仏壇、神棚、玄関、台所、風呂場、雪隠。
 台所には「かまどの神様」がいた。
 土公神(どこうじんサマ)と呼んでいた(wikipediaによると
土公神はかまどの神ともされ、不浄を嫌い、刃物をかまどに向けてはならないとされる)。
 雪隠には「ご不浄の神様」がいた。

 今の我が家には神棚はない。
 位牌があるので仏壇はある。
 なら、神様は何処へいってしまったのだろう。
 しかたがない、神社からもらうお札がないのだから。
 
 仏壇、キッチン、風呂場、トイレ。
 ここまでは変わらない。
 ランドリー、ここは洗濯機置き場とガレージ出口と裏口を兼ねている。
 「ウラガミ様」といったところか。



● ランドリー、風呂場、トイレと窓台に置く形式は同じ。


 もう一箇所は通信機器回り。
 電話、ファックス、パソコン(インターネット)、プリンターの置いてある部屋。
 すこぶる近代的、ハイテク化してきている。
 なにしろここには呆れるほどに足の速い「電網神」が住んでいる。
 あっという間に日本へいってくれる。
 そして、情報を山のように抱えて帰ってきてくれる。
 ありがたーい神様。


● ハイテク機器のおいてある部屋に


 玄関には七五三のカブトが飾られている。
 床の間がないので、玄関のニッチにおいてある。
 雛人形は出してすぐにしまわないといけないが、カブトは置物にしてもいいということで、玄関飾りにしてある。


● 玄関飾り

 右側の紫っぽいグラスはお酒です。
 といっても中身はワインですが。
 お多福さんもいる。
 載っているのは五十セントコイン。
 お金にご縁がありますように。
 左の4本はアルミ矢です。

 これで、お正月が迎えられます。
 2008年は波乱の年でした。
 2009年はおそらくそれ以上に激動の年になるでしょう。


 Wikipediaより。

 鏡餅(かがみもち)とは、正月などに神仏に供える円くて平たい餅のことである。
 大小2つの餅を重ねて供える。
 地域によっては餅を三枚重ねたり、二段の片方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの(石川県で見られる)、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻状に丸め、とぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々なバリエーションが存在する。

鏡餅(比較的豪華な飾り付けを施した例)

 鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。

 鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことである。

 武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。

 鏡餅には、譲葉熨斗鮑海老昆布などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。

 今日では、三方に半紙を敷き、その上に裏白(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布などを飾るようになっている。

 近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に(個別包装された)小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品に人気が集まっている。

★飾り始める時期
  • 鏡餅を飾るのは12月28日が最適とされる。「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからである。大安(12月31日を除く)を選んで供える地域もある。
    • 12月29日は日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる(逆に29を『福』と読み替えて、この日に餅を搗く地域も有る)。
    • 12月30日はきりの良い数字なので悪くないと考えられている(ただし、旧暦では12月は30日までしかなかった為、旧暦通りならば『一夜餅』の扱いである)。
    • 12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により、「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。





 ちょっと冗談で。
 数年前に、娘が百円ショップで見つけたと送ってきた。
 しかし、ここにはセールスマンなるものがいない。
 ドンドンとドアを叩くのは、決まってエホバの証人。
 ブッデイストだというとグッバイといって去ってくれる。
 日本のセールスマンのようなしつこさはない。
 よって、この「オフダ」の出番がなかった。
 ウラでさみしく日々を過ごしていた。
 かわいそうなので、晴れの姿をインターネットに載せてあげた。


● ちょっと冗談ポク撮ってみました



【Home】




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