● これはナニ?
「お飾りです」
「え、え、」
「ホントウです」
明後日はお正月。
「一夜飾りはいけない」と小さい頃、親から教わりました。
昨日、オモチの上に載せるダイダイを買いにいった。
もちろんない。
ミカンならあるはずだと思ったが、ない。
オレンジでもいいのだが、と思ったがこれもない。
あるのはレモン。
これはちょっとお飾りにはなりにくい。
すごすごと帰ってきた。
でもなにかせにゃならん。
今日、改めて別のマーケットにいった。
やはり同じ。
南半球、こちらは夏、しかたがない。
「なにかないかな」と目に付いたのがライム。
よしこいつでいこうということにした。
でもミカンのように横長ではない。
どちらかというと縦長。
どうにも座りが悪い。
置くとひっくり返る。
ええいママヨ、と尻を包丁でカット。
これで何とか置けるようになった。
見た目はサマになっている。
● ライムを載せたお飾り(キッチン)
ズームを引くとこうなる。
「何か違うんでナイ」という疑問、あってしかるべき。
ええ、そうなんです。
下のオソナエ、これ切り餅なんです。
以前は日本食料品店にパック形のオソナエが置いてあった。
あの、2段重ねの丸っこい鏡餅。
昨今はまるでみかけない。
ちなみに、昔はおせち料理もあった。
ところがこれ、検閲にひっかかって輸入差し止め。
よって、どこの食料品店からも正月のオセチ料理は消えた。
オセチの消えついでで、鏡餅のお飾りも消えてしまった。
そこで考えたのが、上のような切り餅オカザリ。
鏡餅とは呼べない。
3つを二段に重ねて、上にミカンを置く。
でもミカンがない、というわけである。
「でも、ライムがあるさ」
どういうタイミングか、ちょうどいま読んでる本が矢野誠一著の「落語長屋の四季の味」という本。
その2番目に「餅」がある。
抜粋。
『
いまやたいていの家庭が、外で買ってきた餅で正月をすごしている。
それどころか、元日に雑煮を食べない若夫婦が確実に増えてきているときくと、時代が変わったことを感じないわけにはいかない。
「血のでるようなおもい」をしてまで、正月の餅を用意するなんって、やはり昔の話である。
当節では、手にいれたいと思ったら、駅の売店だって手に入る餅だが、ほかの食べ物同様、めっきり昔の味がしなくなった。
』
この「血のでるようなおもい」の餅ってどんなモチと問われそうなので、この題の没頭の文を挙げておきます。
『
かれこれ五十回をこす正月を迎えているのだが、おかげさまで餅のない元日を過ごしたことはない。
日本が戦争に負けた1945年といえば、それこそ毎日の食事が満足にとれないほどだったから、とても正月の餅どころのさわぎではなかったはずなのだが、どこでどう手をまわしたものか、我が家には餅があった。
元日の朝、親の使いで、おなじ隣組の出征兵士の留守家族のところへ、この餅のおすそわけに行ったのだが、餅を手にして玄関に立っただけで、そこの奥さんに泣き出されたのを覚えている。
国民学校の4年生であった。
』
もちろん、私は国民学校など知らない。
この文を読んでいて、なら餅とオカザリについて書いてみようと思ったのがきっかけて、ついでに我が家のオカザリをと撮ったのがこの写真というわけ。
小学生の頃。
1度か2度、家で餅つきをした記憶がある。
1度であったか2度であったか定かな記憶はない。
ウスとキネがあった。
季節になるとあちこちで餅つきがおこなわれた。
今日はアソコ、明日はアソコと。
我が家の餅つきは歩道でやった。
なにしろ狭い敷地、歩道くらいしか空き地がない。
セイロでもち米を蒸す。
火力は薪。
つまるところ歩道で米を炊いていたということ。
その頃ならどこでも見られた風景。
歩道を行きかう人は文句などいわない。
1年に一度のことなので、ウスは乾燥してヒビが入っている。
餅をつく年は前もってウスに水を張って割れ目をふさいでおかねばならない。
キネも同様。
これも水につけておく。
小学生にとってキネは重い。
2,3回持ち上げただけでフウフーになる。
毎年、餅をつけるほど豊かでヒマではない。
そのうちつかなくなった。
しばらくしてウスとキネはどこかへ貰われていってしまった。
頼むと千葉の担ぎやのオバサンがお餅をもってきてくれる。
お飾りも寸法と数をいうと、暮れに届けてくれる。
なにも家でつくことはなく、だんだんイージーになっていった。
正月になると、オヤジ様を先頭に家族がゾロゾロついて家の中を回る。
といっても二、三十歩もあるくと表から裏に抜けてしまう小さな家であったのだが。
お飾りの前で、拍手を打ち、年の初めを祝う。
「今年もいい年でありますように」
仏壇、神棚、玄関、台所、風呂場、雪隠。
台所には「かまどの神様」がいた。
土公神(どこうじんサマ)と呼んでいた(wikipediaによると土公神はかまどの神ともされ、不浄を嫌い、刃物をかまどに向けてはならないとされる)。
雪隠には「ご不浄の神様」がいた。
今の我が家には神棚はない。
位牌があるので仏壇はある。
なら、神様は何処へいってしまったのだろう。
しかたがない、神社からもらうお札がないのだから。
仏壇、キッチン、風呂場、トイレ。
ここまでは変わらない。
ランドリー、ここは洗濯機置き場とガレージ出口と裏口を兼ねている。
「ウラガミ様」といったところか。
● ランドリー、風呂場、トイレと窓台に置く形式は同じ。
もう一箇所は通信機器回り。
電話、ファックス、パソコン(インターネット)、プリンターの置いてある部屋。
すこぶる近代的、ハイテク化してきている。
なにしろここには呆れるほどに足の速い「電網神」が住んでいる。
あっという間に日本へいってくれる。
そして、情報を山のように抱えて帰ってきてくれる。
ありがたーい神様。
● ハイテク機器のおいてある部屋に
玄関には七五三のカブトが飾られている。
床の間がないので、玄関のニッチにおいてある。
雛人形は出してすぐにしまわないといけないが、カブトは置物にしてもいいということで、玄関飾りにしてある。
● 玄関飾り
右側の紫っぽいグラスはお酒です。
といっても中身はワインですが。
お多福さんもいる。
載っているのは五十セントコイン。
お金にご縁がありますように。
左の4本はアルミ矢です。
これで、お正月が迎えられます。
2008年は波乱の年でした。
2009年はおそらくそれ以上に激動の年になるでしょう。
Wikipediaより。
『
鏡餅(かがみもち)とは、正月などに神仏に供える円くて平たい餅のことである。
大小2つの餅を重ねて供える。
地域によっては餅を三枚重ねたり、二段の片方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの(石川県で見られる)、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻状に丸め、とぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々なバリエーションが存在する。
鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。
鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことである。
武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。
鏡餅には、譲葉・熨斗鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。
今日では、三方に半紙を敷き、その上に裏白(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布などを飾るようになっている。
近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に(個別包装された)小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品に人気が集まっている。
★飾り始める時期- 鏡餅を飾るのは12月28日が最適とされる。「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからである。大安(12月31日を除く)を選んで供える地域もある。
- 12月29日は日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる(逆に29を『福』と読み替えて、この日に餅を搗く地域も有る)。
- 12月30日はきりの良い数字なので悪くないと考えられている(ただし、旧暦では12月は30日までしかなかった為、旧暦通りならば『一夜餅』の扱いである)。
- 12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により、「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。
ちょっと冗談で。
数年前に、娘が百円ショップで見つけたと送ってきた。
しかし、ここにはセールスマンなるものがいない。
ドンドンとドアを叩くのは、決まってエホバの証人。
ブッデイストだというとグッバイといって去ってくれる。
日本のセールスマンのようなしつこさはない。
よって、この「オフダ」の出番がなかった。
ウラでさみしく日々を過ごしていた。
かわいそうなので、晴れの姿をインターネットに載せてあげた。
● ちょっと冗談ポク撮ってみました
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