● お腹召しませ
昨年末、Sマートがオープンした。
店の奥にあるのが写真の古本コーナー。
通常なら陳列棚になるところだが、まだまだ開店早々で、商品の数がそろっていない。
2,3年もすれば、この棚も販売用の和食品で埋まり、下手すれはコーナー廃止、あるいは1/3以下の縮小という憂き目にあうかもしれない。
● 店奥の古本コーナー
本代はハードカバー本「1ドル50セント」、ソフトカバー本「1ドル」。
読み終わった手持ちの本は持ち込めば引き取ってくれる。
ハードカバー本「50セント」、ソフトカバー本「30セント」。
もちろんなんでも買ってくれるわけではない。
チョイスされる。
同じ本が複数あっても、商売にはならないということだろう。
貸し出しもしてくれる。
料金は?
「タダ」
「?」
Sマート会員になると「1週間」以内なら無料で貸本してくれる。
客寄せのサービス。
ということは、本を借りると1週間毎に出かけないといけなくなる。
我が家からは有に往復50キロはある。
ガソリン代ではるかに足が出てしまう。
毎週でかけられる場所ではない。
近くの人は便利だろうと思うが、私はたまに行くことになるので、いい本があればためらわずに買うようにしている。
開店、2日目だったか3日目だったか、どんなところか覗きに行ったときに買った本がある。
浅田次郎の「お腹召しませ」である。
つまり最初の購入本ということになる。
この本の他の部分については、別のところで取り上げていますので、「お腹召しませ」に焦点を絞ってみる。
● お腹召しませ
Wikipediaにも載っていますので、ご存知の方が多いでしょう。
『
『お腹召しませ』(おはらめしませ)は、浅田次郎による短編時代小説。
6編とも幕末から明治維新期を舞台としており、作者自身が祖父から聞かされた思い出話や、身の回りで起きたことなどを基に執筆された。
「第1回 中央公論文芸賞」と「第10回 司馬遼太郎賞」を受賞した。
「お腹召しませ(おはらめしませ)」
あらすじ:
高津又兵衛(たかつ またべえ)は困り果てていた。
家督を継がせた入り婿の与十郎(よじゅうろう)が、藩の公金に手を付けた上、新吉原の女郎を身請けし逐電してしまったのだ。
家を守るためには“腹を切る”しかない、と知恵を授けられるが、まだ45歳の身を思うと踏み切れない。 妻と娘はと言えば、家を守るためならと、いともあっさり「お腹召しませ」と言う始末。
又兵衛が下した決断とは……。
』
まず最初の話題。
なぜにこれが「司馬遼太郎賞」を受賞したかは不思議。
というのは、その跋記で司馬風歴史小説を皮肉っているのである。
『
私は子どものころから、文学が好きで歴史も好きだった。
だが、ふしぎなことに、この二つの興味を融合した歴史小説は好まなかった。
自由な物語としての文学様式を愛し、一方では真実の探求という歴史学を好んでいたせいである。
つまり、小説というのはその奔放な嘘にこそ真骨頂があり、歴史学には嘘は許されないと信じていたから、歴史小説を楽しむことなどできるはずがない。
小説としてよめばわずかな学術的説明も邪魔に思えてならず、また歴史としてよめばところどころに腹立たしい記述を発見してしまう。
自分が歴史小説なるものをい書くにあったえ、最も苦慮した点はこれであった。
嘘と真実とが、歴史小説という器の中でなんら矛盾なく調和していなければならぬ。
これは奇跡である。
随所にわたってこうした「嘘」を持ち込まねば、多くの読者を納得させる歴史小説は、まず成立不可能であろう。
私は歴史小説という分野を、「歴史好きの読者の専有物」にはしたくないのである。
』
これを読むかぎり、明らかに司馬遼風の小説を槍玉にあげて叩いていることがわかる。
藤沢周平が司馬遼の作品を「あれは小説ではない、歴史エッセイだ」と言わしめたものと同じ。
結構、辛辣に叩いているように見えるのだが。
それが、司馬遼太郎賞を。
受賞を聞いた浅田次郎はどう思ったのだろうか。
ちょっと聞いてみたかった。
きっとどこかで、その一文に遭えることだろう、と今から楽しみにしていようと思っている。
ちょっと気になったのがカバーの絵。
どこかでみたことがある。
文庫本のカバー表紙をインターネットから拾ってあげてみます。
もしかしたらと思って、書棚をめくってみたらやはりそうだった。
「物書同心居眠り紋蔵」の作画者と同じであった。
「村上豊」という方。
実にほのぼのとした絵。
というより、ちょっと抜けた感じがなんともいい。
次の話題がこれ。
「お腹召しませ」の導入部分がひどくシリアスである。
抜粋で。
『
病み上がりの祖父と二人きりで、あばら家に暮らした記憶がある。
家産が破れて一家は離散し、行き場を失っていた私を、結核病院から出てきた祖父が引き取った。
よほど無理な退院であったのか、台所で煮炊きするときのほかの祖父は、床に就いているか、痩せた背を丸めて火鉢を抱えていた。
廃屋同然の家は私の生家であった。
父母の所在は知らなかった。
幼いころの躾けのたまもので、落魄しても妙に行儀だけよかった私は、祖父の枕元に膝をそろえて、朝の挨拶をした。
事情が事情であるから、いささかでも現実味を帯びた話は、私たちの禁忌であっただろう。
祖父は未来と過去ばかりを語り、今というものを決して口にしなかった。
そうは言っても、七十を過ぎた病み上がりの祖父に語るべき未来はない。
私の家には、父や祖父の話は膝を揃えて黙って聞かねばならないという武家の気風があった。
そんなときふと考えた。
我が家が没落したのは、これが初めてではなかろう。
それほど遠からぬ昔に、同じ憂き目を見た子供らがいたのではなかろうか。
「
昔のお侍(さむれえ)てえのは、さほど潔いもんじゃなかった。
そこいらを映画だの本だので勘違いしちまったから、世界中を敵に回した戦争なんぞして、あげくの果てはこのざまだ。
」
それは行く知れずの私の父母への、厭味のようにも聞こえた。
今を語ってはならず、語るべき未来もないとすれば、祖父が口にできる話はそれしかなかったかもしれぬ。
』
ウーン、と思わずため息がでる。
「お腹召しませ」はその小説より、全6編の短編にこうした浅田次郎のまえがきらしきもの、落語でいうマクラがついていて、これがいける。
お勧め。