2009年3月20日金曜日

鬼太郎の家と水木しげるのサイン


● 水木しげるサイン集


 以前にゲゲゲの鬼太郎の家を紹介した。
 正確な場所は都立小金井公園にある「江戸東京たてもの園」です。

 Wikipediaの「ゲゲゲの鬼太郎」にはこういう不思議な一文が載っている。

 ● 江戸東京たてもの園内にはパンフレットに載っていない鬼太郎の家がある。


 これだけ。
 なにか、鬼太郎の家より、この文のほうがはるかにおどろおどろした不思議さを感じさせる。


● 鬼太郎の家

 では、そのパンフレットの載っていない家とはどんなものか、写真を載せておきましょう。
 サイトから抜粋させていただきます。


★ 主婦のお出かけ帳
http://plaza.rakuten.co.jp/higumado/diary/200704180000/

● 「鬼太郎の家」とある





★ 余寒 2009年2月20日
http://blue.ap.teacup.com/819maker/269.html




★ 「ゲゲゲの鬼太郎の家」を訪ねる 三太・ケンチク・日記
http://ameblo.jp/tonton1234/entry-10003048023.html

 「ゲゲゲの鬼太郎の家」があるというので、自称「ケンチク家」としては、これは是非見ておきたいと思い、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」(小金井市桜町3丁目)へ行ってきましたよ。

 正式には「墓場鬼太郎の家」。

 「ゲゲゲの鬼太郎」が雑誌連載されていた頃の題名が「墓場の鬼太郎」だったそうです。画像をご覧になればわかりますが、3メートル四方ほどの戸板が壊れ、すきま風が吹き抜ける掘っ立て小屋です。内部は地面の上にむしろが無造作に敷いてあるだけです。表札?もしっかりと掲げてあります。

 そんな妖怪の家が歴史的建築物を移築した格調高い「江戸東京たてもの園」にどうしてあるのでしょうか?実はこの家、昨夏に開催されたイベント「水木しげるの妖怪道五十三次 妖怪と遊ぼう展」のために作られたものだそうです。イベント終了後に取り壊す予定だったのですが、この家が新聞に載ったこともあり、口コミで訪れる見学者が後を絶ちません。壊すにこわせず、やむなく残してあるそうです。やむなくと関係者は言っていますが、どうしてどうして、風景にしっかり溶け込んで、元々そこにあったように見えるのは、どういうことなのでしょうか?






 DVDの案内から

 【ストーリー】
 霧の中に浮かぶ不思議な町。
 そこは妖怪横丁。
 商店街を抜けるとやがて鬱蒼たる森、大きな沼のほとりに一軒の家…、それがゲ ゲゲの森の鬼太郎の家なのです。
 おわん風呂につかる目玉のおやじ、湯を足す鬼太郎にカラスが郵便を届けます。
 それは人間からの“SOS”の手紙。
 人間界の 常識では解決できない不思議な事件を鬼太郎は目玉のおやじ、猫娘、砂かけばばあ、子泣きじじい、一反もめんといった仲間たちと解決してゆきます。
 いつか人 間と妖怪が共存できる日を夢見て…。







 いつものように古本コーナーを漁って見つけたのがこの本。

 その中に「水木しげる」のサインがありました。
 たった4つ。
 その4つすべてをパクッてしまいます。









 絵を楽しむだけでなく、<クリック>して、文章の方も読んでください。
 
 本稿はこれで「オシマイ」。


 なのだが、これではいかにもさびしい。
 そこで、この本のなかから、ドラマチックな天皇についてのいくつかの水木しげるらしいフレーズを拾ってみます。


 ぼくの小学校の頃は、入り口に「奉安殿」という、小さな建物があって、学校のゆきかえりに、頭を下げて通らねばならなかった。
 ぼくは朝寝坊だったから、よく遅れて小学校にゆく。
 すると、かけ足で「奉安殿」の前を通り過ぎ、頭を下げるのを忘れて教室に入ることがあった。
 それを校長先生が見ていて、よく注意されたものだ。
 子供心に、複雑なものが入り口にあるなあ、と思ったものだった。

 その次は軍隊だった。
 「天皇陛下」と叫ぶ場合”気を付け”をしなければならないのに、それをしなかったというので、ひどく殴られた。
 南方の最前線に行ったとき”陛下”から頂いた”小銃を落とした”というので、半殺しの目にあった。
 その頃は、何でも「天皇陛下」という名でいじめられた。



 昭和から「平成」になって、なぜかぼくの心もヘイセイ(平静)になった。
 それは、あの戦争への「やり場のない怒り」から、開放されたような気になったからだろう。
 戦争中はすべて天皇の名ではじめられ、兵隊もその名でいじめられたものだから、ついやり場のないイカリを、天皇にはわるいけど、なんとなく無意識に「天皇」にむけていたのだった。
 それがなくなってしまったのだ。



[大久保(編集者)]:
 先生は勲章(1991:紫綬褒章、2003:旭日小綬賞)をもらった際に実物の天皇に会っているでしょう。
 そのときはどんな感じがしました?
[水木]:
 いやあ、あの天皇ってのは他人に頭を下げて人をアリガタがらせる演技ってのが、すごくうまくってねえ。
 最高でしたよ
 あの時は。
 へっへっへっ
[大久保]:
 なるほど。
 水木さんは天皇制そのものについては何か意見はありますか?
[水木]:
 (天皇制については)水木さんはど~だっていいですけどね。
 ただ昔みたいに天皇制ってのが拡大解釈されて軍部が利用して、みたいのはいやで‥‥。

 だけど実際に会って
 あの人の「挨拶さの上手さ」を見たら、
 やっぱりこういう人はいなきゃいかんのかなあ~、

 と思いましたのですね。



 日本人は昔から「大国主(おおくにぬし)」じゃないが、「池の主」とか「森の主」とかいって、何かの
 「主(ぬし)
 という心のよりどころみたいなものが好きな国民だ。
 そういう意味において、日本の一番古い家柄である「天皇家」が、「国の主」として、やさしく国民を見守ってくださるというのは、決して悪い制度ではないと思う。
 愛国心があまり強くないと思っているぼくでも、ラバウルから日本に帰る際、海から富士山を見たときは、「日本に帰った」と思い、「日本人」だと思った。

 日本人の中心である「」としての天皇はかけがえのない存在であると思う。

 ただ、あの「戦争中の主」は、ぼくには恐ろしかった。
 「カミサマ」であらせられるより、「人間」であらせられる方が、われわれには好ましい。




 思うのだが、
こういうこと(本のコピーとか写真のコピーとか)海外から発信しているから大目に見てもらっているように思えるのだが、日本でやったら著作権とかいろいろうるさいことになるのだろうか。




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