● 1976/06[1972/05]
Sマートで買った最も新しい本。
カバーがついて、ちょっと見てくれはよかったが、手にしておっとっと。
カバーうらの布表紙はしみが出て、その裏にはカビらしきものが点々とある。
これだけならどうということもなかったが、持った手からずるりと中身が落ちそうになった。
ハードカバーと本体をつけているノリの効き目が失せて、バラバラになる寸前であったのである。
となれば、買うのをやめるのだが、この本の表題をたびたび聞いたことがあり、どんなモノか気になっていたので、つい手が出て買ってしまった。
といってもたった1ドル50、日本風なら150円、捨ててしまってもどうということはない値段。
だから買ったということでもあるが。
つまり、あまり期待していなかったということか。
もの珍しさ、ということだったのかも知れない。
家に帰ってから、まず本の補修から始めることになった。
木工ボンドを使い本体を表紙に接着させている部分を貼り付ける。
次に背の部分にタップリとボンドを流しこみ、本体と表紙を完璧に固定させる。
そして数日おけば、ボンドが硬化して、らしくよみがえってくるはずである。
本に木工ボンドを使っていいかどうかは知らない。
紙用のボンドがあるのかもしれないが、スーパーマーケットで容易に手にはいるのは木工ボンドしかない。
これまで、このボンドを使ってずいぶん修理してきた。
最大のものは新潮社の国語辞典で昭和40年(1965)発行の初版本。
その時分で1,400円という値段で、現代語と古語がセットで入っている、実に便利なもの。
新聞の書評で絶賛していたので、すぐに買った。
薄手の紙で2,000ページを超える分量がある。
でも使う頻度が大きいためぼろぼろになって、表紙と本体の分離が進行してしまった。
海外では気軽に新しい辞書を手にいれるというわけにはいかない。
慣れたものは出来る限り使い続ける手立てが必要である。
いろいろな方法で補修を試みた。
そのときの経験から、最も有効だったのが木工ボンド。
以後、本の修理にはこれを常用することになった。
本の補修についてはどこかに書いたが、どこに書いたか忘れてしまったので、もし内容が重複しているようなら、ご容赦。
そこそこ原状を回復した古本を開いてみる。
読み始めて、ガクーンときた。
暗すぎる、あまりに暗すぎる。
このままだと、書棚に戻って下手すると永久にページが開かれないで終わってしまう。
インターネットで調べてみる。
インターネットで概要をみれば、読むに価値あるものか否かの判断は容易につく。
この本、映画化されていた。
それも栗原小巻と高橋洋子。
なんとまるで、ダウンタウンヒーローズの薬師丸ひろ子のような展開。
もうこのニュースだけで、絶対読みきってやる、と思うようになる。
栗原小巻といえば、我が世代で「サユリスト」か「コマキスト」かとファンを二分した女優。
私は? サユリストであったが。
高橋洋子はご存知、素九鬼子原作の「旅の重さ」でデビューしたカワイコちゃん。
You Tube で特報と予告編をどうぞ。
「サンダカン八番娼館 望郷」特報
http://www.youtube.com/watch?v=9mU1BzE-ksc
「サンダカン八番娼館 望郷」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=fRLT9mRT3-I
http://www.dailymotion.com/video/x8daye__shortfilms
(注:上記You Tubeは内容が変わってしまったため、見られなくなっています。昨日までは見られたのですが)
『
★ 映画 サンダンカン八番娼館 - allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=144882
南方の島へと売春の出稼ぎに渡った“からゆきさん”と呼ばれる日本人少女たちの、辛く波乱に満ちた実態を描き第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した山 崎朋子の原作を、社会派・熊井啓監督が映画化。
女性史研究家・三谷圭子は、“からゆきさん”のことを調べる過程で天草で小柄な老女サキと出会った。
サキが からゆきさんと確信した圭子は、彼女が経験した過去を聞き出すため、共同生活を始める。
やがて、サキはその重い口を少しずつ開いて、あまりにも衝撃的な生 涯を語り始めるのだった……。
本作が遺作となった日本映画を代表する女優・田中絹代が全霊をこめた演技で自らの最期を飾った。
』
映画感想をサイトから抜粋で。
『
★ サンダカン8番娼館 望郷
http://
www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou21/sandakanhatibansyoukan.html1974年、東宝+俳優座映画放送、山崎朋子原作、広沢栄脚本、熊井啓脚本+監督作品。
ライター役の栗原小巻が「からゆきさん」の実体を取材するため、あばらやのように粗末な家屋に住む老婆(田中絹代)に近づく。
老婆は自分の生涯を語り始める…。
貧しい家に生まれた少女(高橋洋子)は、東南アジアに単身、身を売られて行く。
海を渡る彼女を崖上から見送る兄(浜田光夫)が、悲しみのあまり、自らの太股に鎌の刃を突き立てるシーンが、後半の悲劇を強調する。
少女は訳も分からずに、異国の地で多くの男たちに抱かれる娼婦として生きて行く事になるのだが、悲劇はこれだけではなく、一旦、帰国した主人公が兄を訪ねると、そこで待っていた現実の冷たさがさらに、少女を打ちのめすのだった。
国にも肉身たちにも見捨てられ、一生を異国で終え、その墓を祖国とは逆の方向に向けて立てる事で、最後の意地を貫く、多くの女性たちの悲劇性が重く観る者にのしかかる。
少女を演じた高橋洋子、娼婦たちのリーダーを演じる水の江滝子、そして、老婆を見事に演じ切った田中絹代の名演技が光る感動の大作。
貧しさと言うものが実感として分かり難くなっている現在、かつて、日本がどういう状況であったかが背筋が寒くなるほど伝わってくるこの作品を、機会が合ったら一度観てみるのも悪くないと思う。
南方が主要な舞台になっているせいか、画面的には陰惨な感じは薄く、意外と明るい画面作りになっている所が、逆に話の残酷性を際立たせているようにも感じられる。
映画ファン必見の名作の一本だろう。
』
『
★ サンダカン8番娼館
http://
sky.geocities.jp/ppp_dot/index1-sandakan8.html』
「あとがき」から抜粋します。
『
本文の没頭に記したように、わたしは天草下島でかってからゆきさんだった老婦人と三週間あまりの共同生活を行ったのは、1968年----今から四年前のことであり、その体験をつづった本書の原稿を書き上げたのは、それから二年後の1970年のことでした。
研究者であるからには、完成した原稿を発表したくない者はないでしょうが、にもかかわらずわたしがその原稿を机の抽出にしまいこみ、今日まで誰にも見せなかったのは、二つの理由によっています。
一つは、わたしの心から、私は本当にからゆきさんの声を聞き取り得たのだろうかという自省の念が去らなかったこと、
そしてもう一つは、原稿発表によって、わたしのお世話になった多くの天草びとに迷惑がかかってはいけない、と思ったことです。
しかし、それから二年後のいま敢えて公刊に踏み切ったのは、諸種の条件が大きく変わってきたからなのです。
まず第一に、近年いわゆるマスコミのあいだに底辺指向が流行し、からゆきさんにもジャーナリステイックな照明が当てられはじめ、わたしのところへも、どこ で耳にされてか、からゆきさんについての資料を貸してほしいとか、からゆきさんだった女性を紹介してもらいたいといった連絡が多くなって来たことが挙げら れます。
ここのようななりゆきを見ているうちに、わたしには、わたしの黙否がどこまで有効か疑問に思えてきましたし、なかには興味本位の記事も あるので、わたしは、からゆきさんの名誉のためにも、精魂こめて聞き取ったこの記録を世に出す必要があると考えざるを獲なくなったのでした。
これに次いで第二に、わたしを受け入れてくらた老からゆきさん----おサキさんが、一年ほど前に、わたしが一緒に生活させてもらっった家から事情があって転居をし、外部の人には訪ね当てにくくなったことがあります。
それに加えて第三に、おサキさんが昨今とみに弱って来られ、わたしとしては、せめて存命のあいだに、彼女の人生の記録を書物として贈りたいと、切実に思うようにもなったからです。
全体の構成は紀行文のようですが、わたしとしては、これでも研究書のつもりなのです。
普通の研究書のように、主観や感情を表に出さずに加工と思ったのですが、主題の性質および取材方法の特殊性から、どうしても紀行文のような構成を採るようになってしまいました。
内容について言えば、些少のフィクションをまじえたほかはすべて事実を精確に記録してありますが、ただ、迷惑のおよぶのを避けるために、村名その他いくつかの地名を****印を記して伏せ、人名はひとり残らず仮名を用いています。
それでは戸籍簿にまで当たった意味が半減すると言われるかもしれませんが、今日のところ、止む得ない処置だとしなくてはなりません。
また、おサキさんの現在の生活を映像面でも記録にとどめておくべく、わたしは天草へ三度目の旅を行い、画家の山本美智代さんに撮影者として同道してもらいましたが、その折撮影した写真を発表することも、同じ理由から現在では見合わせておきます。
なを余白を借りて、昨秋おサキさんから来た手紙を一通、ここの紹介しておきましょう。
一字も読み書きできない彼女とわたしととのこの4年間の文通は、わたしが折りにふれ何か送ると、近所の人の代筆になる礼状が来るというのが普通だったのですが、今は彼女の隣に住む小学生の女の子(サチコ)の代筆でかわされ、すでに五十通近くになりました。
いや、手紙ばかりでなくおサキさんの方からも、乏しいふところを割いて、小女子やワカメ、石蕗の茎の干したものなどを、わたしのところへ送ってくれています。
そしてわたしは、このような4年間のふれ合いのなかで、今はもう心から、彼女を<おかあさん>と呼べるようになっているのです。
ここに引く手紙は、その小学校の女の子の代筆になる最初の一通で、他のどれよりもおサキさんの気持ちが出ているように思われるのです。
「
お金はいつもありがとうございます。
わたしはぜんそくで、体がとてもよわくなりました。
こんどの家も、こたつはないけれどおくらないでください。
今の家は、わたしがおった前の家ではなく、前にいた家の********です。
わたしは、あんたを子どものように思って とも子 といいますので、あんたも、わしを、かあさんと思って下さいね。
わたしは4時からおきて、あんたのことを、おだいしさまにもほかのかみ様にもいのっとりますよ。
わしにできることはこのぐらいですが、いっしょうけんめいにいのっていますよ。
あんたもいろいろくろうはあるかもしれませんが、がんばって下さい。
それからこんどくるときは、いつですか?
こんどくるときは、よかったら子どもさんもつれてきて下さいね。
わたしはまっていますよ。
あんたも、元気でいて下さい。
わたしは、サチコです。
おばさんのこと毎日いのっておられます。
それから、またばあちゃんの家にもきて下さいね。
九月十九日 山川サキ(岡田幸子)より
山ざきとも子様
」
』
読後感想をサイトから。
勝手ながら全文をコピーさせていだだきます。
『
★ R's Random Talk
http://
random-talk.jugem.jp/?eid=461 からゆきさん。
この言葉を耳にしたのは、どのくらい前だろうか?
多分、私が耳にしたのは、小学校の社会科の授業だと思う。
私自身も古い記憶の中から引きずり出したに他ならず、この言葉自体、社会生活を営む中で、全くといっていいほど、耳にしない。
今の若い人たちは、この言葉を聞いた事はあるんでしょうか?
この歴史的事実は、口承されているんでしょうかね。
幕末~大正中期に中国大陸・シベリア・東南アジア・インド果ては、アフリカまで、自らの体を資本に出稼ぎ出た女性たち。
すでに生き証人たちはこの世になく、1972年に刊行されたこの書は、非常に貴重な資料であると言っていいでしょう。
著者は、女性史家で、この事実の多くを女性史的観点で語る。
とはいえ、私自身は女性でありながらも、女性学や女性史には全くといっていいほど、興味がない。
むしろ、その弁論口調から、好きではないものの部類のひとつ。
田嶋陽子を代表とする女性学の第一人者が偏った考え方をするせいで、印象がいまひとつ良くないんですね。
もちろん、過去の女性の辛苦や努力があって現在のような女性の地位向上がなされたのはわかっていますけれども。
「女性」という性を柱として展開される弁論 は、男と女があって、初めて社会が成り立つのと同様、「女性のみ」という考え方ではどうにもすわりが悪い。
事実と被害妄想の境界があいまいなのが、好きに なれない理由でもあります。
今の時代で言えば、男女の地位は、個人的な部分がありますからね。
置かれた環境だったり、本人の考え方だったり個々で違う。
まぁ、裏を返せば、解釈に余地があること自体が女性の地位が向上した、ということなのかもしれませんが。
この余地がある以上、学問として探求の余地はあると思いますが、必然性はない気がする。正解がないですからね。
学問として非常にあいまいです。
それはさておき、この書籍に関して言えば、著者の過剰ともいえる大仰な表現がちょっと鼻につきますが、ノンフィクションには往々にしてあること(笑)
本筋自体は、非常に冷静で良質なものです。
社会科の授業で耳にしたとは言えども、殆ど記憶に薄いのも確かで、東南アジア一円に日本人女性が働く娼館が多数あったということは露知らず。
地理的にも、政治的に恵まれない天草の女性たちが多数、渡航させられた、というのはなおのこと知らなかった。
また、家族が売り飛ばすことがあった、というのは様々な書物から見聞きして知っていましたが、手当たりしだい女性が騙されて渡航させられ、人身売買されていとは露知らず。
男尊女卑という言葉は、今の社会でも横行しているけれども、コレほどまでに人権のない、というよりは、女性が人として扱われない時代があったというのには驚愕をせざるを得なかった。
また、兄に家を建てさせるため、田畑を買わせるため、嫁を娶らせるため、とけなげに仕送りをする、おサキさん。
男を立てる、という意味の重さが全然違う。
女は男に隷属するのが当たり前の時代。
彼女が身を鬻いで稼いだお金で兄は、家を建て、嫁をもらい、一端の家庭を築いたにも関わらず、感謝らしきものはない。
その価値観にまたもや驚愕。
そして、そうやって家族のために稼いだ彼女たちが、忌むべき存在、結婚してもまともに扱われない存在となるのは、なんとも解せない話である。
著者は天草、島原から、からゆきさんが多く出た要因を探っているが、私の中では、欧米列強に追いつけ追い越せだった、日本政府の外貨稼ぎの手段だった、という説が一番納得できた。
外貨獲得手段という前提の下に考えると、廃娼令が出て日本に戻ってきた女性たちの扱いを見ても、国への隷属という言葉が浮かぶほど、前時代における女性の 地位の低さが見て取れる。戦争で他国の人々に蛮行を行っても「英雄」として国から祭り上げられる男性とは大違いである。
おサキさんにしても、生活保護を受けた方がいい暮らしが出来るのに、自分の腹を痛めて生んだ息子の「母親の面倒をみないヒドイ息子と思われたくない」という身勝手な理由で、安い仕送りで我慢してしまう。
母心を置いてしても、彼女の生きた時代がその身勝手な息子の話を聞き入れる理由のひとつになってしまっているのだろう。
女性をこのような扱いにしてきた時代の男性から男の子が生まれ教育され、累々と続くのが、家系というもので、親の思想というものは子供に受け継がれやすい。
現代では、かなり男尊女卑的発想は薄められてきてはいるが、完全にはなくなっていないのは事実。
余談ですが、私自身、両親は昭和10年代前半生まれ。
祖母は、父方は明治、母方は大正初期生まれ。
両親は著者と同年代ではあるものの、著者は進歩的で、うちの両親は一般的だと思うので、時代的に普通の教育方針だったとは思う。
子供の頃は『お兄ちゃん優先』という考え方の下に育てられて来た。
兄2人は進学私立高校に予備校。片や私は、公立高校のみ(私立高校のデザイン科、美術科を受験、合格するも兄にかかっている学費をしっていたがために自 ら身を引く形で辞退)。
高校時代は3人兄弟で、公立校で殆どお金がかかっていないはずの私のみ強制的にアルバイト&通学交通費自己負担。
進学したいと申し出た時も「女に学問なんかいらない。
就職して、適当な時期に結婚しなさい」といわれたくらいで、結局、押し切っての進学だったので進学後の学費は全額、自分で払いました。
今でこそ、自分で跳ね返して脱却はしてきたけど、(跳ね返しすぎて未だ独身。反動か?笑)まだやっぱり名残はありますからね。
私をリアルで知る人は、首を傾げるかもしれませんが、心情的には、男性を立てようとする部分は意外とあるかも。
私自身、自分主体で生きるというよりは、支える方が向いていると思う。
これは、仕事に関してもすごく思います。
実際、ずっと営業をやってみたくて、それは営業は、自分が主体になれる職業の典型だからで、それはある程度、女性が独り立ちすることがもてはやされる時代に洗脳された形だったと今では思うけれど、やってみたらやってみたで面白いんだけど、何かが違う。
頭で思っていることと、自分の生きてきた流れからするとズレが生じた。
もちろん、アシスト的仕事を長年やってきたせいもあるけれど、それはほかならぬ、アシスト的な姿勢で育ってきているからで、実際、今の会社でアシストする側に回ったら、非常にしっくり行った。
とはいえ、営業事務がいいかって言うと、あれはホント補助的過ぎて、向かない。
ある程度、主権を握ったままことを動かす、企画とか調整業務の方が向いてるので、そこまで自分で持っていったという経緯があったりする。
主体になる人を見ながら、動きやすいように裏でコントロールっていうのが、私の考え方と相まっているようです。
これは、母とよく似てるなぁ…とわれながら思う。
我が家では、未だに「あなたは女なんだから」とやってもらえないことは多々あります。
今はそういうもんだと思っているので、さして不満はないですが、当時は非常に不満だったなぁ…なんで私だけ、って良く思ってた(笑)
私の年代の女性は、ちょうど女性の地位向上が叫ばれ、見直されはじめた時代でもあったので、自立とか、自分らしさとか、ある意味、フェミニズムの流れを汲んでいる部分はあるかもしれませんね。
この書籍自体、副題に底辺女性史と謳っていただけあって、女性の「不幸」というものに脚光を当てている。
幸せになったからゆきさんの話は、続編で新装版で は同時収録されている『サンダカンの墓』の末章辺りで出てくるが、それはあくまでも例外であって、著者が探すのは「辛酸を舐めた女性」であり、それらの人 たちに脚光を当てることによって、不遇な時代の女性を浮かび上がらせる。
ただ、女性学的観点から行くと、致し方ないというか、当然とは思うのだけれど、私は何故かこういう女性学や女性史における偏りが苦手なのである。
まるで、 例外の女性たちが異端者でもあるよう論じるからかもしれない。
山崎女史は社会的背景にも若干触れているので、まだいいけれど、男性を目の敵にしているとも 取れなくないのが違和感なのかもしれない。
女性にとってかなり過ごしやすくなった時代に生まれた私だから、そう思うのかも知れませんが。
この本は、女性史の一部と読むよりは、歴史の一部として読む方が納得いくことが多いです。
それだけ、良質な書籍とも言い換えることが出来るでしょう。
ただ、しつこいようだけれど、著者の芝居がかった表現がなければ、もっといいと思うんですけれどね。
この著者、ホント、よく泣くんです。。。
まぁ、泣くと いうことで感情をまとめてしまうところが、ノンフィクションなんでしょうけど。
小説ではないですから、描写の筆力はあまり重要ではないですから。
この本によって、からゆきさんの生活の実態は、ある程度明らかになっている。
けれども、心情的部分は殆ど明らかになっていません。
それは、彼女たち一人ひとりが自分の胸のうちに秘め生涯を終えたから。
でも、それでいいと思います。
女性史では必要なことかもしれませんが、歴史として捕らえるならば、必要のないことですし。
しかし、読んでいて思ったのですが、援交という名の売春をどう捉えるか、と著者に聞いてみたい。
彼女たちは、自ら進んで体を売る。
廃娼されても、売春はこの世からなくならない。
援交は女性史に置き換えるとどう捉えるのかが、興味をそそります。
からゆきさんたちが、時代の犠牲者とするならば、援交をする女の子たちは、今の時代の何を映し出しているんでしょうかね。
まぁ、これらのことに関しては語りたいことはたくさんある。
全部書くと大変なことになるので、やめておくけど(笑)
男性も女性も一読の価値があります。
おススメです!
』
読んでいる限りでは、この映画はダウンタウン・ヒーローズのように、通行人Aをズームアップして主人公に据えたようなものではなく、ほぼ忠実に原作を踏んで作成されているようである。
研究書ということになっているが、それよりはるかに小説的なドラマ性と迫力を持った作品である。
先の項の写真でわかるように古本コーナーといってもたくさんの本があるわけではない。
自分で好きな本を自由に選んで読めるということではない。
偶然に置かれているわずかな本のなかから手にする、そんな希薄なチャンスしかない。
が、びっくりするような本、まるで想像だにしなかった本に出会うことがある。
これもその一冊といって間違いないだろう。
十分に読むに値する本である。
文庫本にもなっているようだが、もし古本コーナーにその文庫本があったとしても、購入することはなかったろう。
単行本だから、のぞいてみようかと思ったのだと思う。
出会いとは細い線でつながっているということなのかも知れないが、でも「つながって」いるということだろう。
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