2009年1月9日金曜日

箱根駅伝:信じられないことが


● 東洋大学:77年目 史上最も遅い栄冠


 お正月の三ケ日といえば、駅伝。
 元旦は「ニュ-イヤー・実業団駅伝」
 二日は「大学箱根駅伝・往路」
 三日は「大学箱根駅伝・復路」

 こちらにきて長くなるが、「箱根駅伝」のビデオだけは見逃したことはない。
 ありがたいことに大学に勤めている友人がいるので、彼がせっせと撮って送ってくれるからである。

 そのDVDが届いた。
 すぐに見た。
 いつものようにスポーツ報知と日刊スポーツの2紙が同封されていた。
 今年の結果は歴史に残るストーリーであった。
 ありとあらゆる常識をくつがえす結末である。
 そのコピーを上げておきます。

 箱根駅伝の醍醐味はその山登りにある。
 駅伝区間は往路5区間、復路5区間の計10区間。
 最短が18.5km、最長が23.4km。
 その最長距離にしてかつ山登りという過酷きわまりないのが5区。
 湘南の海から最高点まで864mを駆け上がる。
 一般常識ではとらえられないコース。
 今年のヒーローは東洋大学、柏原竜二。



 小田原中継所でほぼ5分あったトップ早稲田との差をひっくり返す。
 9位でタスキを受けたから8人抜きとなる。
 5分とはどのくらいの距離か。
 ランナーは1キロ3分を目安に走る。
 ということはトップと1.7キロほど離れていたことになる。
 では1.7キロとはどのくらいの距離か。
 だいたい人は1キロ15分で歩く。
 ということは1.7キロとは歩くと25分かかることになる。
 その距離を山登りで逆転して、往路優勝をもぎ取る。
 とんでもないランナー。
 それも箱根のベテランとなる4年生ではない。
 ルーキー、つまり1年生である。
 10ケ月前までは高校生である。


● 新たな「山の神様」か


● ちょっとアップで


 「山の神様」といえば順天堂大学「今井正人」
 山の神様とは「山登りの名人」ということ。
 下記のコピーのように3年連続区間新。


● 「山のカミサマ」:順天堂今井正人

 それにより下記のコピーのようにこれまた3年連続MVP(金栗賞)に輝く。
 2年生の2005年にはじめて山登りを走ったとき、11人抜きという離れ業を演じる。
 平坦路ならいざしらず、山登りで11人抜きとは偉業といっていい。
 そして2007年にはトップとの差4分09秒をひっくり返し、順天堂を往路優勝へと導く。
 この走りに勢いをもらった順天堂は総合優勝という完全優勝を達成する。
 なを、彼は1年生のとき、花の2区を走っており、記録的には10位である。
 その彼が山を登ると、俄然に強くなる。
 「カミサマ」になる。


● 今井正人:3年連続のMVPの偉業


 柏原は新たな「山の神様」になるのか。


● 早稲田三輪に並びかける東洋柏原

 東洋大の往路優勝はもちろん初めてのこと。
 過去の往路の最高記録はコピーにあるように戦前1940年の4位。
 戦後では1980年の5位が最も新しいもの。

● 東洋大の記録

 ということはそれから30年近く、5位にすら入れなかったということになる。
 それが突如、柏原というスーパールーキーの出現で優勝を勝ち取る。
 東洋大にとって柏原は「カミサマ」ともいえる。
 言い過ぎではない。
 さほどに超絶的な仕事を成し遂げた。


 復路は110km。
 初詣客の声援を受ける形にコースが変更され、にぎわう銀座に迂回していくため、往路より距離が2キロ長い。
 トップとの差を1キロ1秒つめていけば110秒[1分50秒]つまる。
 よって2分以内の差ではトップ集団となる。
 早稲田は東洋に遅れることたった23秒、日本体育大学が1分43秒遅れ。
 この3校の激突というのが復路の予想される構図。

 特に23秒差の東洋と早稲田はほぼ同時スタートとみて差し支えない。
 23秒とは約110m、ぴっちり目の前に敵の姿がある。
 40秒では前をいくランナーの後ろ姿が見えるという。
 よって23秒では悠々の射程圏内。
 まさにその構図通りに展開していく。


● 復路:東洋と早稲田の激闘

 6区山下りは2校の抜きつ抜かれつの過酷な首位攻防。
 早稲田がわずかに17秒引き離して小田原中継所へ先着する。
 7区はほぼ互角の走り。
 その差は10秒ほど。
 そして8区で東洋大が首位を奪い返す。
 この区からゴール10区までは、まるで「王者東洋」といった貫禄をみなぎらせて走る。
 まるで早稲田が添え役、引き立て役を演じているかのよう。
 いったい、どこにこれほどの余裕があるのかと頭をひねってしまうほど。

 67回目の出場にして、ようよう掴んだ「優勝」の二文字。
 67回、とてつもなく大きな回数。
 ニュースは「史上最も遅い栄冠」と称している。
 直前、不祥事で監督が辞任するという嵐に見舞われたチーム。
 参加の可否を体育連盟にゆだねた大学。
 誰が考えても、どうデータを操っても「優勝」などという結果は現れようがない。

 過去の総合成績を見てみる。
 1960年に3位というのがある。
 これが最上位記録。
 3位はこの1回だけ。
 なんと約50年ぶりの入賞になる。

 1964年と1968年に4位がある。
 あと残りはすべて5位以下。
 優勝の「ゆ」の字にも縁のないチーム。
 それが突然、優勝。
 それも往路優勝を含めての完全優勝。
 どうにも信じられない。


● 「信じられない」東洋大学優勝


 4区まではいつもの東洋、それがスパールーキーの成績に刺激され、王者に変身する。
 まことに、駅伝は怖い。
 そして、面白い。
 データ通り、セオリー通りのレースもいいが、こういうドラマチックの展開も手に汗握る。

 常勝軍団、実力ナンバーワンの駒澤大学は下馬評では当然筆頭の優勝候補。
 ここを中心にレースが展開されると大半が見ていた。
 全日本大学駅伝(伊勢駅伝)の優勝校となれば当たり前の予想。
 ところがあにはからんや、なんと14位に沈んだ。
 10位までは翌年出場が自動的に決まるシード校。
 11位以下は予選会に出場しないといけないという、シード落ち校。
 前年度優勝校で、翌年にシード落ちした大学は過去の歴史の中にない。
 史上最悪の記録。
 まさに、未来は見えないものだ、実感してしまう。


● 一昨年の覇者:順天堂大学は「過去ワースト」とある。
  昨年の王者駒澤大学:思ってもみなかった悪い方の史上初記録の達成


 東洋大学以外にもゴールテープをニコニコと笑顔で切ったランナーがいた。
 それも22位、最下位チーム。
 青山学院大学。


● 青山学院大学:33年ぶりのゴールへの帰還

 33年前にゴール手前、たった150mで棄権。
 150mとはゴールが見える距離(あのころは角を曲がってすぐにゴールだったから、見えなかったかもしれないが)。
 以降、箱根に戻ってくることはなかった。
 今年、1/3世紀を経て、タスキがゴールに届いた。
 繰り上げもなく、母校のタスキが。

 歴史ドラマは続いていく。




 
● 後日送られてきた朝日新聞より



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