● 「ムツゴロウのかば焼き」
畑正憲の「続・ムツゴロウの無人島記」とは、北海道の厳冬の無人島で1年を過ごした記録である。
私は寒いところが大嫌いである。
「寒いところに住むくらいなら死んだほうがましだ」と思っている。
どこか暖かいところへ転地したほうがいいですね、と医者に言われて(長い間、そう期待していたのだが、一言もいわれなかった)、ここに引っ越してきたのである。
よって、この本も寒いところの部分は、ページの最後はまだかいな、と字面を追っただけである。
中に二、三のウーンと唸る章、あるいは腹を抱えて笑った章がありました。
ここに出てくるイラストはムツゴロウ本人が画いたものだそうです。
ちょっとシリアスな話から。
『
★ 殺す側の論理
床下に作ったムロの中にネズミを発見するたびに、私は娘に命じた。
「殺せ。たたき殺してキツネの餌にしろ」
「アイ・アイ・サー」
娘は火バサミを用いてネズミ撲滅の旗手になった。
殺せ!
それは「無人島教育の最大の目的の一つ」でもある。
生きていくために「命あるものを殺す」のは悪いことではない。
家主の口グセを借りるなら、「生き物としての人間の宿命」である。
都会人の多くは殺すことを忘れてしまった。
これは恐るべきことではなかろうか。
ネズミは無駄にならない。
キツネの銀が食べるし、タヌキのマリだって尻尾まで食べてしまう。
しかし、犬は食べない。
ひと咬みで殺し、しばらく遊んでいるが、そのうち適当な場所へ隠してしまう。
犬はそれだけ野生が削られているのだろう。
「殺せ!」
という合言葉は大切である。
不気味な胸さわぎをおぼえつつ、きょうも三匹ほどしとめた
』
合言葉は「殺せ!」
次は抱腹絶倒の「ムツゴロウのかば焼き」の話
『
★ 老母見参
三人の兄弟の中で、私は最も信用されなかった。
もし私が母の立場になったとしたら、やはり長考した後、きっぱり断るだろう。
結婚後十回以上転居したり、発作的に勤めをやめる男は「ロクでなし」である。
一時期、父は私にあらゆるののしりの言葉をくれた。
バカ。
アホウ。
マヌケ。
キチガイ。
コダイモウソウキョウ。
エゴイスト。
ヨコガミヤブリ。
ホラフキ。
ロクデナシ。
アンポンタン。
そして必ずこういった。
「文章を書くだとオ‥‥‥
ふざけるのもいい加減にしろ。
おれは若い頃、淡谷のり子を診察したけど、歌手にはなれなかった」
長年一緒に暮らした夫婦は一心同体とまではいかねども、一心異体くらいの境地には到達しているものだ。
だから母はてんから'私を信用せず、ひと月に一回長距離電話を掛けると、まだ「生きているのか」と驚愕し、かなり後まで我が家の「主食は芋」だと思い込んでいた。
母が乗った舟が見えたのは、晩秋の気配が濃くただよう朝のことだった。
ヒゲが母を背負った。
「軽きに泣く」必要はない。
70キロ近い「デブ」だから。
「ようこそ」と私。
「おばあちゃん。待ってたのよ」、チビ丸。
すると老母は、ハラハラと涙をこぼし、
「
お前たち、まあ、こげんな所に住んでからに。
ぜんぶ親が悪かったとよ。
理科には行きとうないとあれほど言ったてに、強制的に理科に行かせちから。
文科を選ばせとれば、こげんさびしい島にこんでよかったろうに。
海の向こうから見たら、長っぽそくて黒いだけで、誰も住んじょらんごつ見えた。
あげな所で住んじょるかと思ったら、口惜しゅうて口惜しゅうて、涙がとまらんばい。
」
● この島を海の向こうから見た姿
母が娘の名を呼んでいった。
「ばあちゃん、何故出てきたかわかる?」
「何故って、みなで暮らすほうがたのしいから‥‥」
「そうじゃないとよ」
「ふうん」
「
買い物に行って週刊誌の広告みたら、
「ムツゴロウのかば焼き」
と書いてあったんよ。
それを見たら心臓がドキドキ、ドキドキしちから、無人島へ行ったうえに、"かば焼き"にまでされちまった、と思うちから、生きた心地がしなかったとよ‥‥
」
記憶がある。
八月の特集としてスタミナ食が列挙され、その中に「ムツゴロウのかば焼き」があげられていた。
母はそれをみて、食糧不足に悩んだすえ、ついに私をかば焼きにして食った、と早合点したらしい。
』
「ムツゴロウのかば焼き」
どう想像してみても、おいしそうには見えない。
「ムツゴロウのかば焼き」でウエブを検索してみたら、なんとなんとムツゴロウ本人が出てきた。
まだまだ元気で、世界中を飛び回っているようだ。
まるでまるで、知らなんだ。
それも昨日の話。
ゴリラを求めてアフリカのルワンダから。
よろしかったら下記のサイトで。
『
★ ムツゴロウのいのちの万華鏡:ゴリラを求めて入山 [産経ニュース]
http://www.sankei.jp.msn.com/culture/arts/090123/art0901231437002-n1.htm
■シーン1
いよいよ山だ。
登山靴の紐(ひも)をきつく締めた。
入山事務所に寄って、ガイドをつけて貰(もら)った。
バナナ酒を酌み交わした仲だったから、私の肩を叩(たた)いて耳打ちしてくれた。
「今日はチャネの群れだよ。子供が多いし、何よりも近場だしね」
観光の客が、いくつかのグループに分けられていた。
ゴリラは、ナワバリを持ち、その中を遊動して生活しているそうだ。
運悪く遠い群れを割り当てられると、1日のほとんどを歩きに費やさねばならないそうだ。
監視員は小銃を携行していた。
斜度30度ほどの登り。
この地でゴリラを研究したダイアン・フォッシー(1932~85年)がその著書で、大木が枝を広げたジャングルであり、ゴリラの絶好の採食場だったのだが、木を切られ、除虫菊の畑にされてしまったと嘆いていた場所だった。
ガイドが左を指差した。
斜面が木立ちにぶつかっている。
そこに建物が見えた。
「(ダイアンの設立した)カリソケの研究所だよ」
マッチ箱ほどに小さく見えた。
■シーン2 急峻な崖をよじ登る
ダイアンは勇敢だった。
ゴリラの群れにしつこくつきまとい、自分という存在を認知させた。
これを「人づけ」という。
宮崎の幸島(こうじま)などでも、ニ ホンザルの群れに静かに近づき、研究者はサルの人づけに成功している。
後にこれはオランウータンやチンパンジーの群れでも踏襲されている。
ダイアンの研究によって、ゴリラのダイナミックな生活ぶりが知られるようになった。
群れのメンバーは、固定されているわけではなく、多少の出入りはある。
ボスはシルバーバックと呼ばれ、背が白く、光の具合によっては銀色に輝く。
これは、男性ホルモン、テストステロンの分泌量が多くなるせいである。
ボスになると、睾丸(こうがん)が大きくなる。
すると、ホルモンの分泌量も増え、背中の毛が銀色に変わるのである。
するとボスは、その子を食い殺してしまう。
自分の群れには、自分の遺伝子を残したいがためだ という説明もある。
新生児がいなくなり、授乳がストップすれば、発情期の訪れが早くなり、自分の子を残す時期が短縮できるからと説かれてもいる。
いずれに しても、「子殺し」の事実は、聞くものにショックを与えた。
<以下、略>
■はた・まさのり 作家。1935(昭和10)年、 福岡市生まれ。東京大院を経て60年に学習研究社に入り、動物記録映画の制作を担当。退社後の71年に家族で北海道に移住し、「動物王国」を建国、動物と 共生。ムツゴロウの愛称で知られ、「畑正憲作品集」(文芸春秋)「ムツゴロウ世界動物紀行」(SB文庫)など著書多数。
』