2009年1月15日木曜日
年賀状:なんともツライ
● 今年の年賀状(住所氏名は変えてあります)
昨日、年賀状をもらった。
今年、はじめての一枚。
こちらにきてそこそこ長くなるため、来た当時は貰っていた年賀状だが、昨今は途絶えている。
はじめて「郵便局の年賀状」を貰ったときはビックリ仰天した。
外国で年賀状がもらえるなど考えもしなかったのである。
年賀状が海外に発送されるなど思いもしなかった。
しかし、よく考えてみると年賀状も郵便である。
郵便局が発行している郵便ハガキである。
海外郵便の別料金の切手を貼れば届けてくれてあたりまえである。
だが、そのときはそんな考えがチラリとも浮かびもしなかったのである。
年賀状がこちらのポストマンの手で配達されるなどというのは、ありえべからずの話のように思えていた。
この最初の年賀状を送ってくれたくれた友達には、いかに驚きいったかを克明に書いて手紙で返信した。
こちらに住み始めてから、なるべく郵便を出すのは控えている。
というのは、自分の経験から日本に住んでいて外国とのコンタクトのない人がアルファベットの住所を書くということは、これで結構神経を使うからです。
スペルなど少し間違っていても、配達されるのだが、そのころはその点がわからず、一文字一文字アルファベットをくり返しくり返し確認し、もし間違っているといけないと思って、電話番号まで書き添えたことがある。
それをもって、郵便局にいって海外郵便の出し方を聞いて、それなりに直して別料金の切手を買い、ポストに入れて、やっとホッとしたことを覚えている。
そして、ドッツと疲れがやってきたのも記憶している。
日本に居住する海外経験のない人にとって、海の向こうに手紙を出すというのは大仕事なのである。
手紙をもらえば礼儀で返信をかかざるをえなくなる。
手紙を送るということは、その人に「大仕事を強要する」ことになるのである。
そういうことが分かっていたので、特別の用事を除いて日本への郵便は控えるようにした。
日本から来たものには、必ず返信するが、こちらから出すというのは返信を無理強いするように感じられて、筆が進まなかった。
よって、年賀状も貰ったら出すという風にしていた。
こちらから出すと、貰った友人が郵便局に出かけないといけなくなるので、あくまでも貰った人への返信ですませることにしていた。
その点は年賀状という風習がない国なので楽である。
代りにクリスマスカードというのがあるが、日本では文化行事だか、こちらではあくまで宗教行事。
クリスチャンでもないのにクリスマスカードを送るというのは、ちょっと抵抗があってできない。
キリストの神様を冒涜するような気分になってくる。
長く住んでいると日本との関係は題名ではないが「日々に疎く」なる。
通信も疎遠になってきて、やっと年賀状くらい。
それも喪中でも入れば、その後は切れてしまう。
ここ2、3年ほど、年賀状はなかった。
なければないで、さびしくもなく、身辺すっきりしてていい。
が、突然一枚の年賀状が舞い込んできたのである。
それも、えらく時間差で。
が、どうもうれしくない。
やめて欲しいと思ってしまう。
● 年賀状の中身(右下の住所氏名は削除してあります)
中身がないのである。
ホントウに「状」だけ。
日本にいるときはどうとも思わなかった。
彼の性格を知っている。
自ら年賀状を出すことはしない。
きたらその返信を出すだけ。
よって義理の印刷内容だけ。
自筆部分はナシ。
ズーとそういう年賀状を貰っていた。
というより、私が出すから返信していた、といった方がいい。
こういうタイプの年賀状はいくらでもある。
とりたてて不愉快になることもない。
「彼らしい」で終わっていた。
が、この時期、この地域で、こういう賀状をもらうと精神的にキツクなる。
別に私の方から年賀状を送ったわけではない。
年賀状をくれ、といったわけではない。
日時から換算すると、「年賀状があまって捨てるのももったいないからヤツに送ろうか」といったところだろう。
彼は横文字に強い。
それはそれでもいい。
でも、何もない年賀状を海外で、それも至極時間遅れてもらうのはミジメになってくる。
心理的にガックリくる。
一筆でも書き添えてくれたらな、と思う。
それができないなら、送って欲しくなかったと思ってしまう。
● 返信用に絵葉書を買ってくる。
でも送られてきてしまった。
お礼をださないといけない。
早速、ニュースエージェンシーへいってハガキを買う。
絵葉書にする。
● 本文欄:送料は55セント切手2枚で$1.10
これから本文を書くことになる。
おそらく「あけましておめでとうございます。賀状ありがとうございました」と。
なんともツライ。
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