2009年2月14日土曜日

A201:「ピカピカのブログ」になった


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● FinePix A201


 日本から持ってきてもらった5倍光学望遠のデジカメを不注意でたった3ケ月で壊してしまった。
 同じものを注文したが、手もとに届くのは2カ月後。
 その間、以前に使っていたものが隠居先から呼び戻され、急遽、現役復帰となった。
 それが「FinePix A201」。

 インターネットにモノを書きはじめたのが、一昨年の年末。
 はじめはおそるおそる。
 でもしばらくして読み返してみるとなんともつまらない。
 ただ、字が並んでいるだけ、単純にいうとインパクトがない。

 CRT・デイスプレイとは画面のこと、テレビだと思えばいい。
 テレビは画像をみるもので、字を読むものではない。
 字は本や新聞を読めばいい、テレビに字を写しだして、読む人はいない。
 インターネットとは画像がメインで、それの補助に文字がついているものに過ぎない。
 主は画像、文字はあくまで従。
 画像の説明として文字が添えられているということ。
 そのところを抑えずして、間違えて使っているので面白くない、ということに気がついた。
 
 画像をいれるのはどうしたらいいか。
 まず写真を撮り、それを現像してスキャンで読み込む、と素直に思った。
 が、インターネット上には写真があふれている。
 そんな手間隙かかる形で写真を入れているのだろうか、と疑問に思う。
 ところが、昨今のカメラはフィルムを使わないという。
 現像の印画紙は使わず、プリンタでやっているという。
 カメラ屋さんの店には最近、テレビゲームみたいな機械が数個おかれている。
 カメラ屋さんは不況で、ゲームマシンをおいて小遣い稼ぎでもはじめたのかと思っていた。
 でも聞くと、あれは写真をデイスプレイで見る装置だという。
 世の進歩に、だんだんロージンはついていけなくなってくる。
 
 ところが「エエー」と驚いたことに我が家にも、フィルムを使わないカメラがあるという。
 昔、娘が日本で購入したものだという。
 下の画像がその保証書。


● カメラの保証書


 日付は「2002.1.2」とある。
 7年前になる。
 娘は数年前に日本へいって常住しているので、そのカメラはここ数年眠ったままになっている、ということになる。
 いったいどんなモノか、引っ張りだしてきた。
 説明書を読んでみたが、さっぱり解らない。
 こちらで買うもののガイドブックは英文なのでしかたがないが、これは日本語である。
 この日本語が何を言っているのか、ちんぷんかんぷん。
 
 私の知っているカメラは、露出・シャッタースピード・それに焦点距離で写せた。
 おまけでついているのが、セルフタイマーとフラッシュくらいなもの。

 こりゃ日本語か、といったところ。
 機能の盛り込みすぎ。
 若者はいいが、ロージンではきつい。
 でも、どうもこれでもコンパクトらしい。
 昨年のこととて、6年前のものだから、シンプルであることは確か。
 とりあえず、基本的なスイッチとボタンの操作のリストを作る。
 つぎに、自分のやりたいことの関連するものを探しだして、そのフローを作る。
 そして、タイピングしてプリントアウトして、くり返しくり返し読み、実際カメラに触れて覚えていく。






● タイプメモの一部

 が、それだけではすまない。
 さらに、写真のパソコンへの取り込みがある。
 これも要点をタイプメモすることになる。
 カメラからパソコンに取り込んだあと、それを編集しないと先に進まない。
 パソコンで必要な部分の切り出し、その部分を保存し、そしてインターネットへの呼び出しと、次から次へともう頭の痛いことばかり。

 昔のカメラの20倍、30倍手間がかかる。
 何とかかんとか、カメラからパソコンへの転送ができた。
 そして、パソコン画面に写真を表示させてみた。
 「ウオー」これはすごい。
 まるでポスターを見ているみたいだ。
 自分の撮った写真がポスターになっている、驚きと同時に感激。

 そして次に、その中の1枚をソーっとブログのトップに入れてみる。
 そして公開キーを押す。
 なんとなんと、ブログが光を放ちはじめたのだ。
 昔、「ピカピカの1年生」というCMがあった。
 それと同じ。
 それまで字だけで面白くもなくくたびれて切っていたブログが突如、燦然と輝きだしたのだ。

 「ピカピカのブログ」になった。

 これはたまらない。
 麻薬だ、中毒になる。
 写真をとっては、それに説明文をつける。
 そのうち、写真だけになる。
 芸術写真をとるわけではない。
 決定的瞬間などを求めているわけではない。
 日常の生活風景を切り出してくるだけ。
 それでも結構おもしろい。

 このカメラのスペックをガイドブックから。


 
 光学望遠:ナシ
 画素数:200万ピクセル
 ノーマルで撮ると49枚とれるが、パソコンで拡大すると粒子が乱れて見るに耐えなくなるので、ファイン・モードを常用する。
 1Mモードだと25枚とあるが、実際に撮れるのは22枚ていど。
 そして1Mモードだとデジタルズームは「1.25倍」しかきかないが、でもチョビットだが像は大きくなる。
 よって、「fineモード、1Mモード、撮影可能枚数22枚、1.25倍デジタルズーム」というのが、このカメラの使用条件となった。



 バッテリーは単3が2本。
 2本の予備電池と充電式装置を買ってきて交換しながら対応した。
 上の写真は、単3電池の充電中でA201で撮っています。
 コンセントは3口の240Vで、下の縦孔はグランドです。
 
 このカメラを使いはじめたのは昨年4月から。
 11月からは5倍光学望遠つきの新製品に交換したので、引退ということになった。
 7カ月間使わしてもらったことになる。
 その間、いろいろな写真を撮らせてもらった。

 その一部、鳥の写真をどうぞ。





 が、このバージョンアップ版を先日コンクリート床に落として、オシャカにしてしまった。
 そこで、再度注文した新しいカメラがくるのが4月。
 そまでの間、引退したこのカメラがまたまた引っ張り出されてきて、急ぎピンチヒッターとして再登場ということになったのである。
 


 お世話になったカメラですので、ヨソ様はこれをどんな形で使っているのか気になりインターネットを検索してみた。
 うれしいことに愛用されている方のサイトを見つけることができました。
 ぜひともと勝手に決めて抜粋で紹介してしまいます。 
 本年、1月07日、なんとお正月七草のブログ。


★ イマココ日記
http://plaza.rakuten.co.jp/xb171/diary/200901070000/

2009.01.07

デジカメFinePix A201、パソコンVAIO C1 PCG-C1XEと一緒に旅した7年間
[ 海外旅行 ]

 私が初めてデジタルカメラを購入したのは、2001年12月3日でした。
 富士フィルムのデジタルカメラ「FinePixA201」です。
 画素数200万で、その当時は充分でしたが、いまや「ありえないほど低い画素数」のデジカメちゃんです。

 なぜ、こんなに正確に覚えているのかと言うと、今、その当時の日記を見ているからです。
 2001年は
世界が大きく変化した年です。
 9.11事件(NYのワールドトレーディングセンターに旅客機が突っ込むというテロ事件)があった年です。
 それまでもクウェート侵攻、アフガニスタン紛争等、平和を脅かす事件は起きていました。
ですが、2001年に起きた「9.11事件」、その後の「炭素菌テロ」は、今まで「紛争地で起きているテロ」が、世界中、どこででも発生する時代になったと明らかになったキッカケのような気がします。

 ちなみに、1995年の日本で起きた「サリン地下鉄事件」も無差別テロですが、こちらは「狂信者による実験的テロ」という感じで、「何かを世間に訴えたい」という強い意志が感じられないような気がします。

 ですが、「9.11事件」は、はっきりとターゲットがあるテロ活動です。 
 今まで正義の代弁者と自負していたアメリカへの攻撃です。
 空気が変りました。
 あのアメリカの自信が、ぐらつきはじめたのです。

 一方的に善悪を語ってはいけない。
 一方的に力で価値観を押し付けてはいけない。
 それぐらい混沌とした世の中になっていたのです。
 戻ることのできない時代に入ってしまったのです。

 その2001年年末から、2002年の年始にかけて、約1ヶ月ほどニューヨークに滞在するため、デジカメ「FinePix A201」を購入したのです。
 観光旅行というより、何が終わって、何が始まろうとしているのか..が疑問で、直接NYを訪問したのでした。

 ちなみに、それまでの旅行では、オリンパスのフィルム式カメラを使用していて、特に不自由はしていなかったのですが、新しいノートパソコンを購入したので、デジカメも新たに揃えたのでした。

 このときの新しいノートパソコンは、SONY 「VAIO C1 PCG-C1XE」です。
 それまでは、NECのノートパソコン(約3kg)を背負って海外に行っていましたが、このVAIO C1シリーズが出たときは、小躍りして買いました。
 なんたって、軽量化(1kg)しているのに、カメラ機能もついていて、動画のメールを送れたのです。
 しかも、片手の上に収まるサイズがお気に入りです。
 勝手に「手乗りVAIO」と名づけていました。

 このデジカメ「FinePix A201」と「手乗りVAIO」は、その後、世界5大陸(ユーラシア大陸、北米、南米、オセアニア、アフリカ)を一緒に旅し、世界3大瀑布(ナイアガラの滝、ビクトリアの滝、イグアスの滝)を堪能し、いまだ現役です。

 さすがに、「手乗りVAIO」のOSが「Windows98」なので、インターネットに接続することはなくなりましたが、まだまだ元気なので、データバックアップ用として活躍しています。

 この先も、旅の道連れ(?)として、一緒に旅行できますようにと思ってしまった2009年新春なのでした。



 このカメラの2001/09/10の広告サイトをコピーしておきます。
 どんなカメラか、概要はわかると思います。


★ FinePix A201
http://review.ascii24.com/db/review/ce/digicam/2001/09/10/629507-000.html

FinePix A201 簡単操作で使える200万画素の入門用FinePix
FinePix A201
富士写真フイルム
3万9800円
03-3406-2982
http://www.finepix.com/


Printable Version

2001年9月10日


富士フイルムの「FinePix A201」は、FinePixシリーズでは入門機にあたる低価格デジタルカメラながら、有効200万画素CCDと液晶モニタを搭載するなど、本格的な撮影を気軽に楽しめる製品だ。

シンプル機能のコンパクトカメラ

正面中央
正面中央は丸いモールドがなされている。レンズ部の下にあるのはマクロ/標準の切り換えスイッチ。

 FinePix A201は“単焦点パンフォーカス”というシンプルなレンズを搭載する入門機だ。装備重量(バッテリ/メモリカード込み)でも約200gと軽量なボディ は、98.5(W)×40.5(D)×64.5(H)mmと、タバコの箱よりも一回り大きい程度だ。サイズ的にはキヤノンの「IXY DIGITAL 200」よりも体積比で1.9倍大きいが、オリンパスの「CAMEDIA C-1」と比べると約90%の容積。前面や背面は中央部が膨らんだ形状となっているものの、実際に手に持つとかなりコンパクトに感じる。

上面スイッチ
上面のスイッチをONにすると、レンズカバーがスライドするとともに電源が入る。シャッターボタンのところのレバーで再生モードにした状態でも電源ONにするにはレンズカバーを開く必要がある。

 機能は非常にシンプルで、本体上面の電源レバーをスライドさせれば連動したレンズカバーが開いて電源が投入される。シャッターボタンの周囲にあるダイヤルで撮影/再生/動画撮影を切り換える。

背面スイッチ
背面のスイッチ類も少なく、操作の多くはメニューを表示させておこなう。決定/キャンセルの細長いボタンはFinePix 50iに似たデザインだ。

 背面には液晶モニタとカーソル、3つのスイッチボタン(モニタON/OFF、メニュー/OK、キャンセル)があるだけで、フラッシュのON/OFFやセ ルフタイマなどの機能はメニューを呼び出して設定する。デジタルズームも備えており、カーソルキーの上下ボタンにより、VGAモード(640×480ドッ ト)では最大2.5倍、1Mモード(1280×960ドット)で最大1.25倍の拡大が可能だ。ただし、撮影時にはデジタルズーム倍率よりも設定した記録 画素数が優先されるので、最高記録画素数である2Mモード(1600×1200ドット)にしているとズームボタンがまったく効かず、その旨がモニタに表示 されないのは最初は少々戸惑う。初心者向けのモデルであることを考えれば、デジタルズームを押せば自動的に低記録画素モードに移行するようにしていても良 かっただろう。なお、光学ファインダは倍率固定でデジタルズームとは連動しないため、液晶モニタOFFで撮影する場合にはデジタルズームはキャンセルされ る仕様になっている。
 液晶モニタは5.5万画素のD-TFD(※1)なので、多くのデジタルカメラで採用されている11万画素前後のTFTに比べるとさすがに見劣りするが、低価格機ということを考えればやむを得ないだろう。

※1 D-TFD D-TFD(Digital-Thin Film Diode)液晶は、セイコーエプソンが開発した液晶デバイス。TFT液晶がトランジスタを使って各画素を制御しているのに対して、D-TFD方式はダイオードを使用する。

底面
底面のフタを開けると単3×2本のスロットとスマートメディアスロットが現れる。なお、フタに隠れているが底面には三脚孔も備わっている。

  本体前面のスライド式レバーを操作することにより、通常撮影とマクロ撮影モードを切り換える。レバー操作でレンズの焦点距離を機械的に動かすのは トイデジカメを含む入門機によくある方式だが、A201ではマクロモードにすると液晶モニタにもマーク(チューリップのアイコン)が表示されるため、マク ロにしたまま遠景を撮るという撮影ミスが防げる。ただし、通常撮影(約80cm~無限遠)とマクロ(約8~約13cm)の中間距離ではピントが甘くなって しまい、A4の文書をメモ的に撮影する際に多用する30cm前後が撮影範囲から外れているのは気になる。

撮影サンプル1
撮影サンプル1。撮影は1600×1200ドットだが、掲載用に640×480ドットにリサイズしている。

  背面のメニューボタンを押せば液晶モニタにメニューが表示されて各種設定が行える。撮影時は「オート」と「マニュアル」の2つのモードがあり、 オートではセルフタイマとフラッシュモード(自動発光/発光禁止/強制発光/赤目防止発光)程度しか設定できないが、マニュアルでは、露出補正 (-1.5EV~+1.5EV、約0.3EVステップ)やホワイトバランス(オート/晴天/曇天/蛍光灯×3種類/白熱灯)が変更できるなど、細かな設定 が可能だ。また、液晶モニタ上にメッシュ(3×3分割)を表示させる機能があり、風景を撮るときに水平を出しやすいので重宝する。ただし、夜景モードやス ローシャッターといった凝った撮影機能は装備しておらず、シャッター速度(自動のみ)も最大1/2秒であることを考えれば暗いところでのスナップには向い ていない。

撮影サンプル1
撮影サンプル1の中央部を640×480ドットにトリミングしたもの。

富士フイルムの「FinePix A201」は、FinePixシリーズでは入門機にあたる低価格デジタルカメラながら、有効200万画素CCDと液晶モニタを搭載するなど、本格的な撮影を気軽に楽しめる製品だ。

お手軽感覚の操作性と良好な画質

撮影サンプル2
撮影サンプル2。撮影は1600×1200ドットだが、掲載用に640×480ドットにリサイズしている。オートモード、F4.6、1/69秒。

 レンズ沈胴動作などがないこともあって、電源を入れてから2秒程度で記録可能となるほか、メニュー操作などの全体的な操作もクイックなレスポンスなの で、使っていて気持ちよい。シャッターボタンのすぐ横にあるレンズカバー兼用電源スイッチにより、ポケットから取り出して電源を入れて撮影するといった一 連の動作が片手でスムーズにできるのも手軽だ。


撮影サンプル2
撮影サンプル2の中央部を640×480ドットにトリミングしたもの。
撮影サンプル3
撮影サンプル3。撮影は1600×1200ドットだが、掲載用に640×480ドットにリサイズしている。オートモード、F4.6、1/69秒。

  撮影結果に関しては、同社のFinePixシリーズでお馴染みの“記憶色を強調しつつ鮮やかに表現する”という発色の傾向で、エッジの立った シャープな画質となっている。むろんパンフォーカスである以上、絞りを開けて背景をぼかすといった絵作りをすることはできないが、普段から持ち歩いてス ナップ用途に使ったり、Web掲載用の撮影には十分だろう。


撮影サンプル3
撮影サンプル3の中央部を640×480ドットにトリミングしたもの。パンフォーカスなので前景と背景のどちらもくっきりと写っている。
撮影サンプル4
撮影サンプル4。撮影は1600×1200ドットだが、掲載用に640×480ドットにリサイズしている。マクロモードでの撮影。F4.6、1/119秒。

 単焦点レンズの入門機としてはオリンパスの「CAMEDIA C-1」が、単焦点パンフォーカスの入門機としてはオリンパスの「CAMEDIA C-100」やソニー「Cyber-shot DSC-P20」が あり、いずれも機能はシンプルながら4万円を切る実売価格が魅力だ。A201は標準価格が3万9800円で、実売価格は3万円台前半になることが予想され る。FinePixならではの発色と画質、クイックな操作性など、デジタルカメラ入門機としての完成度は非常に高いと言えるだろう。


撮影サンプル4
撮影サンプル4の中央部を640×480ドットにトリミングしたもの。若干ノイズは気になるものの、全体的に見るとシャープな絵作りだ。
撮影サンプル5
撮影サンプル5。撮影は1200×1600ドットだが、掲載用に480×640ドットにリサイズしている。F4.6、1/37秒。露出は全体的に多少暗く写りがちで、なるべく白とびを抑えるように露出制御されているようだ。
撮影サンプル6
撮影サンプル6。撮影は960×1280ドットだが、掲載用に480×640ドットにリサイズ。F4.6、1/147秒。マクロ撮影モード。
撮影サンプル6アップ
撮影サンプル6の中央部を640×480ドットにトリミングしたもの。肝心のハチが少々ボケてしまっているが、花(の向こう側)は綺麗にエッジが立っている。マクロ撮影範囲が約8~約13cmと狭いため、奥行きのある小物を撮るのは難しい。
FinePix A201の主な仕様
撮像素子 有効200万画素1/2.7インチCCD
レンズ 単焦点パンフォーカス、f=5.5mm(35mmカメラ換算:36mm相当)、F4.8/F9.5
記録媒体 スマートメディア(16MB標準付属)
記録画素数 1600×1200/1280×960/640×480ドット
液晶モニタ 1.6インチD-TFD(Digital-Thin Film Diode)、5.5万画素
動画記録 320×240ドット、10フレーム/秒、最長約20秒
インターフェイス USB、DC入力(ACアダプタオプション)
電源 単3×2本(アルカリ乾電池/ニッケル水素充電池)
本体サイズ 98.5(W)×40.5(D)×64.5(H)mm
重量 約145g(本体のみ)/200g(装備重量)


 なを、正式発売日は2001年9月25日であり、当然、現在は販売中止になっています。



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2009年2月12日木曜日

ぐい呑:1980年へのタイムトラベル


● ぐい呑:五千円  銀座三越 昭和55年12月08日


 小さい頃のことだが、2,3年に一度くらいだったと思うが年末に畳干しをする。
 畳を上げて、日向に干し、バタバタ叩いてホコリをたたき出す。
 畳を上げるとき、ただむやみに上げると、敷きこむとき大きさがあわずにああでもないこうでもないということになり、一苦労してしまう。
 よって、畳の敷きこみの図をメモって、またどこにどの畳をいれるかを記しておかないといけない。
 畳下の床には新聞が広げられていて、これを交換しないといけないのだが、2,3年前のでちょっと変色していてマンガなどあると、ついついのめりこんで見てしまい、作業がおろそかになる。
 おそらく、この経験は多くの人がもっているのではないかと思う。
 なんとなく、身近の古いものがフット現れてくると、気が吸い込まれてしまうものである。

 先日、中古本コーナーで買った本がある。
 その一冊が下の田久保英夫著「雨飾り」である。
 奥付は画像で見るように「1980年6月30日 第一刷発行」、すなわち初版本である。





 1980年6月というと「29年前」。


 この本にいくつかのペーパーが挟まれていた。
 すべて1980年もの。
 畳に敷いた少し昔の新聞を見るよりさらに、というより十分に古い活字文。
 その一つは下のこの作品に対する書評。
 週刊朝日のもので、日付は「'80 8.15」とある。
 ということは、発売されてすぐに購入し、週刊誌からの書評を切り抜いて挟んだものと思われます。



 クリックすると大きくなりますので楽に読めますが、縦書きでちょっと意識がズレますのでタイピングしておきましょう。


 戦後、姦通という言葉は失せた。やがて、不純異性交遊とか、よろめき婦人とか、情事とかいう言葉が、現れては消えた。そして、 そこを遠く通り越した今日では、セックスをめぐる状況は、なにがなんだか分からないものになった、というのが適切である。
 と同時に、男と女を結びつけるもの、その原点にあるものの形が、見えにくくなった。もはや恋愛などという言い方は古めかしい。
  こういう、デカダンスの現象とは異なるが、日常のなかの意味や価値が解体していく時代に、ぴったり自己の資質の波長の合う作家がいる。それがこの小説の作 者である。だから彼は、まるで今日状況そのものを透視するレントゲン技師の手つきで、底に潜在するセックスの戯れの図を、慎重に検査してみた。
 すなわちこの小説は、作者にとっては、自分の文学の可能性を賭けた試みであり、力いっぱいの制作である。
  作者はうまい構図を選び出す。主人公は(小説家だが)、最初からセックスについて四分五裂の状況というか、わけの分からぬ状態のなかにおかれている。つま り彼は、一方では、別居して妻と離婚話を進めているところであり、他方では、もう数年の間、美容院経営者の女と関係を持っている。ところがいま、その女に は新しい男が出来つつある気配があり、またさらに、美容院勤めのもう一人の女からは誘惑されて、彼女のマゾヒステイックは体質に、新しい性の深淵を垣間見 たりしているところだ。
 この作者の官能描写には定評がある。その技巧はここでも極めて見事に発揮されている。女が主人公の唇にチーズを押しつけ ながら、しだいに「少しづつ耳朶まで赤く」なり、「ああ、厭。ばかね」とつぶやいて、白い作業服のホックを「音を立てて」はずすあたり、うまい、と思う。 --そしてそのとき、主人公は、こんな感想をいだく

 <麻屋は最初の自分の熱は、この少しも意識に犯されない肉に触れ、それを通じて、ずっと深く下りていける気でいたせいだ、と思った。だから、この部屋へくるのに、鉱夫が坑道をせっせと下りてくるように、勤勉だった>

  セックスとは、実は、微細な「意識」の問題にほかならない。作者が透視しようとする、今日的な男と女のの愛の形=セックスの状況とは、いわば(堅苦しくい えば)、日常における生活意識の自己疎外の問題、にほかならない。主人公の離婚と孤立は、その自己疎外の結果であり、彼が関係する女たちは、生活意識から 追放された男の求める、意識に汚されぬものへの脱出口なのである。
 実は、この小説の主題は、以上のような静止した構図のなかに、一人の若い女子 学生の登場という、小説の新しい動力を導き入れ、--中年男と若い娘との間の、灼く、乾いて、苦い性的交渉、を描いていくものだが、その光景はさながら現 代的状況としてのセックスの一つのシンボルのようである。
 この小説、いわば遺伝子の仕組みを解明する最突端の科学者のように、男女の愛を描くこ とで熟達してきた小説の、その最突端も技術を行使して、生の微粒子であるところの意識がどんな作用によって、戯れにセックスの図を織りなしていくか、その 光景を撮影したものだ、といっていい。<蝉> 

 
 



 上記のカバー表紙の装画は棟方志功の版画で「湧然する女者達々 湧然の柵・没然の柵」(1956)とあります。
 また、扉カットは同じく棟方志功の版画で「星座の花嫁 星座の絵」(1928)です。


 挟み込まれていた2枚目は朝日新聞の「'80回顧 文学」である。



 1980年という今から29年ほど前に、いったいどんな小説が発表されたか、興味ひくところですがその一端をのぞき見ることができます。
 全文をコピーしたいのですが、ちょっとばかり長いので抜粋で。
 全文はクリックして拡大すれば読めます。
 取り上げられた作品はすべて網羅してありますが、興味がなければさっさと読み飛はしてください。


 老荘弱で多様な収穫 混沌が活力を生み出す
 80年代は、いわば「展望なき時代」としてやってきた。
  価値基準はますます多様化し、混沌の様相をさらに強めつつある。統一的なイメージなど求めようもないこの多元化した状況を嘆く声も多いが、同時にこの混沌 が一種の活力を生んでいることも確かで、1980年の文学界は、多様な活力が多様なままに多くの成果を実らせ収穫の多い年として記憶されるだろう。

 積年の課題を完成
 まず第一にあげたいのは、さまざまな作家が積年の課題、長編小説の大作として完成させたことだ。
  なかでも際立つのが81歳の長老、石川淳氏が1971年の執筆開始以来、ほぼ十年がかりで書き上げた1,440枚の大作「狂風記」上下巻で、今年最大の話 題作といってよい。「文芸」81年1月号の文学関係者ら103人によるアンケート「1980年の成果」でも、支持が一番多かったのは「狂風記」だ。
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 気骨の作家、大西巨人氏の4,700枚に及ぶ長編「神聖喜劇」全5巻が今年二十年ごしで完結したことも特筆に価する。旧帝国陸軍における主人公、東堂二等兵の格闘は、陸軍という組織を超えて、現代に通じる日本そのものをも鋭く批判的に浮きあがらせずにはおかない。ことにこの作品が、万能の記憶力をもつスーパーヒーローを主人公にすえることによって、「狂風記」とはまた別の形で、「純文学」に太い風穴をあけたことは十分注目していいことだ。

  さらに、12月までに160万部を超え、文学書としては今年最大のベストセラーとなった司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」全三巻がある。もともと司馬遷への思 いをこめて自分の筆名としたこの作家が、ついに本格的に「史記」の世界に取り組んだという意味で、これも多年の宿願を果たした作品だ。巨大な中国の歴史と大地を舞台に得て、司馬氏の筆はのびやかに躍り、作者特有の、現代の社会組織における指導者の資格への示唆をも二重映しにし、巻をおくのも惜しいほどの感興を与える。

 これまでの仕事の集大成という点では、今秋、「小説新潮」での約二年半にわたる連載を完結させた井上ひさし氏の2,300枚の長編「吉里吉里人」も実に読みごたえがある。現代日本の東北地方に誕生した独立小共和国の闘いとその崩壊を描く大作のなかに、井上氏は自分の思想とモチーフのすべてを投入した。この作品は改稿のうえ81年上半期に刊行の予定だが、闘う独立コミューンの物語という点で共通項をもつ大江健三郎の「同時代ゲーム」との比較論は、これからの刺激的なテーマになるはずだ。

 評論では、加藤周一氏の「日本文学史序説」(大佛次郎賞)も”積年の課題”グループに位置づけることができる。各領域の専門家の目から見て、この著の細部に問題があることはすでにいろいろ指摘されているが、古代から現代にいたる日本の文学史を、思想的な面をも重視しつつ、とにかく一人で書き切ってしまったこの知的力業は正当に評価しなければならないだろう。

 戦後の代表的な長編小説を縦横に論じた篠田一士氏の1,200枚の長編評論「日本の現代小説」も十年ごしの力作で、思えば今年は、私小説を排撃する長編小説論者篠田氏をいっそう伝気づけるような長編充実の年となった。

 戦後生まれの健闘
 第二の大きな流れとしてあげたいのは、戦後生まれの若手作家たちが、新しい完成と気力あふれる作品を次々に発表して成果をあげたことだ。
 なかでも評価していいのは、村上龍氏の「コインロッカー・ベイビーズ」だ。
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  都市化の波に荒廃の度を強めている近郊農村の姿を描いた立松和平氏の「遠雷」(野間文芸新人賞)は、当然描かれるべきでありながら描かれることのあまりす くなかった素材に取り組んでユニークだし、中上健次氏の「鳳仙花」、津島祐子氏の「燃える風」も力がこもっている。文芸賞受賞第一作が、宮内勝典氏の「グ リニッジの光を離れて」は、60年代末のニューヨークで働く日々を送った青春期の経験をういういしい筆致で描いて素直な感銘を残す。
 同じ若い世代のなかでも、より方法意識に敏感で洗練された作風としては、村上春樹氏の「1973年ピンボール」が出色だ。----
 都会的な感性の一つの極として、文芸賞受賞作、24歳の田中康夫氏の「なんとなく、クリスタル」も注目作だ。----

 中堅層はじっくり
 第三のグループとして、混迷する日常の中の生の姿をじっくりと追求する中堅作家たちの仕事をあげよう。
 たとえば、坂上弘氏の「初めの愛」であり、田久保英夫氏の「雨飾り」である。----危機的な様相のなかで日常の生を微細にみつめ、そこに苦しげな、しかし確かな意味を見いだそうとしている点は共通する。
 解決しようのない重い生と観念を追及する高橋たか子氏は「荒野」で充実した世界を切りひらき、森内俊雄氏は「微笑の町」で生の不気味な闇の層を描き出した。

  以上おおまかに大別した三群の作品をふり返るとき、その多様さ、多彩さに私たちはあらためて驚きを覚える。が、同時にこの文学の多様化をもってしても、私 たちがいま直面している生の混沌とした多元化にはとても及ばないという実感も強く残る。書く側も読む側も、さらに想像力と感性を全開にする必要がありそう だ。


 この中で複数回読んだのは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」。
 やはりベストセラー作品の貫禄、読みがいがある。
 井上ひさしの「吉里吉里人」はおなじくこちらで古本で手にいれた。
 が、どうも井上ひさし特有の言葉の壁にはばまれて半分ほどでギブアップした。
 村上龍の「コインロッカー・ベービーズ」は読んだかどうか記憶に定かでない。
 同じ村上でも村上春樹の「1973年のピンボール」は読んでいない。
 が、村上春樹の作品はいくつか読んでいる。
 とくにエッセイものは面白い。
 シドニー・オリンピックの観戦記である「シドニー」は実にオーストラリア人の特色を掴んでおり、隅からスミまで納得し「そうだ、ソウダ」と笑いこけてしまったほど。
 最近のものでは「走ることについて語るときに僕の語ること」は面白い。
 田中康夫の「なんとなく、クリスタル」も読んでいると思うが、記憶があいまいである。
 残念なことに、他の作品は読んでいない。
 ということは、昔は決して勤勉な読者ではなかったということ。
 こちらにきて、仕事のほかにやることがなく、ヒマができて、時間つぶしに中古本をジャンルを問わずに漁りはじめた、といったところが私の読書歴の主流を占めている。


 そして、最後にして3枚目がトップに上げた古き時代の領収書。
 「ぐい呑:5,000円 銀座三越 昭和55年12月08日」
 いまは落ち目のデパート業界だが、そのころの銀座の三越といえば、東京ナンバーワンのデパート。
 東京ナンバーワンということは日本のナンバーワンということ。
 品格がちがう、価格が違う、ビンボウ人が行って買い物のできるような場所ではない。
 この本の所有者はそこで「ぐい呑」を買っている。
 お正月用にお猪口6ケとお銚子1ケのセットで5,000円、てなところか。
 29年も前の5千円、いまなら2,3万円か。
 凝りに凝った焼き物の最高級品だろうと思う。
 お酒なんで、お腹に入ってしまえばどれも同じよ、なんて人種にははるかに縁遠いシロモノ。
 マスに一合入れてもらって、下のお皿にこぼれたヤツを「オットット、もったいない」なんてやからには不要のもの。
 いつも「鬼殺し」ばかり飲んでいては、オチョコにお金をかけるなんて発想はこれぽっちも出てこない。

 同じ三越でも私の行っていた三越は新宿の地下。
 ここの地下はどういうわけかいつもバーゲンセールの会場になっていて、庶民のお値段。
 ちなみに2,3年前にいったら、この新宿三越はなくなっていた。
 そのビルには大阪から進出してきた立ち読みokの書店をはじめとして、いろいろな店が入っていた。
 新宿の書店といえば紀伊国屋。
 ここは相変わらずの殿様商法、本の揃わないことおびただしい。
 ならと思って、この旧三越のビルの本屋にいったら、目的の本がちゃんと棚に並んでいたのにはびっくり。
 すごい、やはり大阪商法、ちゃんとお客の欲しいものを心得ている。

 初版本を購入された方は相当に階層のちがう読者のようだが、29年も昔の思い出を引き出してくれるようなモノに出会うとは、心ほのぼのとうれしい。
 新聞雑誌の切り抜き2枚と、買い物のレシート、それだけで十分タイムトラベルを楽しむことが出来る。
 ちょっとした、儲けものをしたような気分になる。

 なを、公開してしまいましたので、この切り抜き等は破棄します。
 昔の小さな新聞活字なので、実をいうとタイプするのが面倒であった。
 眼がショボショボしてしまった。


 田久保英夫についてWikipediaから。

田久保 英夫(たくぼ ひでお、1928・1/25---2001/4/14) 
 東京都台東区浅草生まれ。
 父は小峰秀次郎、母は田久保ハル。
 下町の料亭で育つ。
 慶應義塾大学フランス文学科卒業。第三次『三田文学』を刊行に参加。
 1954年、戯曲「金婚式」を同誌に発表。以後「三田文学」編集及び執筆に携わる。
 1959年、「緑の年」を発表し文壇デビューするが、幼少時の体験を描いた「解禁」(1961年)で芥川賞候補となり、注目される。
 「深い河」で芥川賞を受賞:1969年(41歳)。

 晩年は芥川賞選考委員。短編の名手と言われ、渋い味わい作品で静かな人気を保っている。 

●1969年、「深い河」で芥川賞

●1976年、「髪の環」(短編集)で毎日出版文化賞

●1979年、「触媒」(短編集)で芸術奨励文部大臣賞

●1985年、短編「辻火」で川端康成文学賞

●1997年、「木霊集」で野間文芸賞





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2009年2月9日月曜日

傘と傘:写真ブログ


● 立派な橋だ:[傘と傘:写真ブログより]


 最初の読者になるゲームでは2本ほどの本の抜書きを載せただけで、最初の読者の登録があった。
 中身のまるでないものの読者になるということは、ゲームをやっているのだろうと思ったわけだが。
 本を読んでいて気に入った文章を見つけると抜書きしているのだが、それが10本ほど溜まって、一画面のスクロールでは全部見ることができなくなってきてしまった。

 そこで、index(home)を作った。
 いうなれば目次である。
 本の題名とその文章の出ている章名あるいは節名を記載し、それをクリックすると目的の抜書き文章を呼び出してくるという単純なもの。
 目次だから本の題名がズラリと並んでいるだけで、文字だけで何の変哲もない画面ページである。

 が、である。
 そこに最初の読者登録があった。
 今度も外国から。
 アメリカ、31歳、男性。
 名前のスペルからいくと、イタリアンかギリシャ人、あるいはスペイン人かも。
 おそらくラテン系。
 「どーにもわからなくなってきた」
 日本語がわかるわけでもないのに、どうして日本語文章だけのページの読者になるのだろう。
 やっぱりゲームか。

 使っているのは先にも述べたがグーグルである。
 そこで、画面のあちこちをクリックしてみた。
 らしい原因が一つ出てきた。

 「自己紹介:詳細プロフィールを表示」
 という欄がある。
 筆者の自己紹介といったものである。
 日本人の場合はホームページならいざ知らず、ブログだと匿名にする。
 適当な名前をつけておく。
 対して外国人の場合はどういうわけか、本名らしき名前をつけているのが多い。
 文化のちがいだろうと思う。

 韓国で問題を引き起こした「ミネルバ」はペンネームで、いまミネルバは一人か複数かといろいろ捜査が進んでいるようである。
 匿名で書き込まれたブログに警察捜査の手が入るというのも、お笑いものである。
 これではまるで、言論なき警察国家ではないだろうか。
 匿名でかかれたブログに政体が巻き込まれてオロオロするのはなんとも解せないが、その程度の文化レベルかと納得するしか、仕方がない。

 この「自己紹介:詳細プロフィールを表示」の欄をクリックすると、自分の書いた別のブログのリストが表示されるのである。
 無知なことに、知らなかった。
 書き方だけは教えてもらったが、書くのに専念していたせいか、それともロージンの習性で外のところを触ると画面が変わってしまい、元に戻せなくなって「助けをよぶ」ことになるので、それを嫌がって書くところ意外は触れないようにしていたためか、である。

 この助けを呼ぶことは、頻繁に起こる。
 助けがいるときはいいが、いないときはどうなるか。
 「ええいママヨ」で電源を切ってしまう。
 ここは停電がときどき起こる。
 「停電で突然、画面が落ちた」
 といっても、回りの人はそこそこ納得してくれるという、ありがたい環境である。
 とはいうものの、そう頻繁に停電はないから、予防のために知っている欄の必要な部分しか触らないようにしている。
 「触らぬ神にたたりナシ」である。
 
 出てきたブログのリストは、本体ブログを書くためのデータ・資料群である。
 言い換えると、きれいに飾り付けられた店頭ではなく、品物が乱雑に積み上げられている裏の倉庫の中みたいなものである。
 
 ブログを作るときはご存知だと思うがこういう順序になる。
 まず、「Eメールアドレス」を作り登録する。
 このとき、「名前」をあわせて登録する。
 これが骨格となり、この下でブログを作ることになる。

 ここまでは理解していた。
 このメールアドレスの下で各種のメモを作ると、それがアドレスにぶら下がった形で増えていく。
 そして、筆者(名前)のプロフィールをクリックすると、この各種メモの題名がリストとしてズラリと表示され、そこをクリックするとそのメモへジャンプするようになっている。

 ブログの各々は、個々で独立した関連性のまったくないものだと思っていた。
 メールアドレスでつながっているとは、考えもしなかった。
 メールアドレスとは、通信メールで使うときは「たった1個」のアドレスであるが、それでブログを作っていくと「複数個」のブログの統一したアドレスになるのである。
 同じアドレスをもった「連結ブログ」になってしまうのである。
 ブログを書くものにとって、メールアドレスにおけるメールの交換機能など不要なのである。
 あったとしても、ほんの少し、なくてもいいほどの価値しかないのである。
 アドレスとは通信機能よりも発信機能のほうがはるかにウエイトをしめるのである。

 プロフィールをクリックすると、同じメールアドレスにぶら下がったメモ用ブログの題名がズラリと画面に出てくる。
 その中のどれか一つに読者登録しておけば、その画面に出てくる「プロフィール」をクリックすることで、同じメールアドレスの下で作成された全部のブログを見ることができるというシステムになっていたのである。
 「マルデ知らなかった」

 だが、これは私想像していたものと合わない。
 というのはあるものは私のなかの「性格A」で書いている。
 が、別のブログは性格Bで画像を選んでいるものもあるし、性格Cでメモっているものもあるのである。
 連結ブログだと、性格がゴチャ混ぜになってしまうのである。
 これは考えないといけない。
 性格AならA型ブログで、BならB型ブログでまとめないといけない。

 動きがとれなくなったら電源を切るつもりで、逆探索をやってみた。
 この最初の読者になった方を調べてみた。
 この方、数十のブログの読者になっている。
 日本語サイトのものは2つで、私のものと「生きている意味は生きている日々だ」というブログ。

 これがすごい
 自己紹介欄には「傘と傘」という名前がついている。

 このサイトから抜粋させてもらいます。

☆2009年1月19日
 デジタルカメラ賞受賞

 江田島フォトコンテストで、
デジタルカメラ賞を受賞した。
 審査員:写真家「藤原隆雄」氏
 賞金 3万円
 副賞 いちじくゼリー・マーマレード・牡蠣らーめん

 表彰式が2月1日にあるようだ。
 最近コンテスト入賞が続いている。
 良い。

☆2009年1月19日
 受賞

 マイコミジャーナル主催の、チョットだけ大きなコンテストで、マイコミジャーナル賞を受賞した。
 応募総数4,667作品中、最優秀賞を含め7作品に賞が与えられた。
 本当は最優秀賞の賞品(Nikon D700)が欲しかったけど‥。
 でも、良かった

 マイコミジャーナル賞品
 外付けHDD:My Book Essential 1TB/SILKYPIX Developer Studio 3.0/高級写真用紙8種セット
 

審査員のコメント
ま るで絵画か映画の1シーンのような、哀しいまでの美しさと引き込まれるような静寂が感じられます。こういう場面に出会うというのも、ただ運がいいというの でなく、きっと作者の熱い情熱にも似た強い「写欲」がこの情況に出会わせたのでしょう。直線で構成された画面と、窓枠の中の人物の折り曲げた体の曲線が、 なんとも穏やかで秘めやかな空気感を醸成しています。非の打ち所のない構図ですが、その上、過不足のない見事な露出ワークが印象的で優れた作品に創り上げ ていると感じました。(真島満秀 氏)


 写真ブログなのです。
 「傘と傘」さんはどうも準プロの写真家らしい。 
 その写真が実にいい。
 トップに載せた写真は「橋の下」という題のものです。
 勝手に使わしてもらっています。
 こういうの、著作権侵害に該当するのだろうか。
 出所は明記してあります。
 コメント不可の匿名で書いていますので、クレームのつけようがないが。
 もし、何かあったらすぐに削除しますので、使わしてください。

 しかし、2009年2月4日の書き込みには

 ポートレートってなんだ?!
 写真を始めてはや7ヶ月。
 まだまだわからない事が多い。

 とある。
 ということは、アマチュア。
 写真をはじめて7ケ月で、こんないい写真が撮れるものなのだろうか。

 傘と傘の写真ブログサイトを載せておきます。
 ちなみに、このサイトには19の読者登録がなされています。

★ 
生きている意味は生きている日々だ
http://tabibitosankagetsu.blogspot.com/

 今日みたら20の読者増えていた。


 そこで大きな疑問が出てくる。
 写真サイトなら日本語の文章などいらない。
 写真を見て楽しめる。
 傘と傘はその楽しみを十分供給して余りある内容を持っている。

 が、ロージンのサイトには確かに写真は載ってはいるが、お手軽な1万円少々のコンパクト・デジカメで撮った日常のものやガソリン価格の看板ていど。
 傘と傘に比較しうるようなものは一つとしてないのである。
 ちょっと変わっているかなというのは、忘れないように読んだ本のカバーをスキャナーで撮ってメモにしている、といったところが画像のすべてである。
 たしかに本の装丁・装画は面白いものがある。
 でも、とりたててアート的というわけでもない。
 なにしろ、ドンと真ん中に題名と著者名が入っており、画像単独でみたら破綻していると言っていい。

 では何故、日本語文章も読めない人がこんなブログの読者になろうとするのだろう。
 ワカラナイ?
 不思議。

 
 なを、今後につくるサイトはブログの孤立性を高めるために、連結ブログを回避するための手段を講じる予定です。
 それをどうやろうかといま考えているところです。



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2009年2月5日木曜日

「www.」:ぶろぐこわい


● まんじゅうこわい


 先日、豪州落語会について書きましたが、そのキーワードでインターネットを検索してみた。
 下記の3つがありました。
 抜粋で紹介します。


★ Gold One にほんブログ村
http://www.goldonegolfschool.com.au/blog/index.php?itemid=858

 落語会にいってきました。
 昨日、ざこば師匠の落語会がありました。
 オーストラリアではめったにないチャンス。
 いってきましたよ。
 とっても面白くて、ずっと笑っていました。
 いや~、ほんとにお話が上手。
 あっというまの1時間半でした。

 落語は飛行機に乗ったとき、必ず聞きます。
 「おち」がいいですよね。

 こんな本があるの知っていますか?
 絵も面白いし、話も面白い。
 読み手によって話の面白さが変わるのもいいですね。

 「落語絵本まんじゅうこわい(落語絵本2)」

 トップの写真がその本です。



★ naoco's magazine
http://www.couture-naoco.com/blog/index.php?itemid=788&catid=8

 子は鎹: こんにちは

 昨夜、このゴールドコーストでなんと日本の関西落語を楽しむ機会がありました。
 「桂ざこば・豪州落語会」がコンラッドホテル内で開催され、友人から招待券を頂き、ざこば師匠の落語を聞いてきました!!
 本当におもしろく、たくさん笑い♪久しぶりの日本文化に感動しました☆

 最初のお話は「子は鎹(かすがい)」でした。
 私は「子は鎹」ということわざは聞いたことがあり、意味も理解していたのですが、ざこば師匠が「ではこの鎹は何か皆さんご存知ですか?」と聞かれたときに・・・私は分かりませんでした。
 会場に来ていた日本人約150人の内、半分程の人達も私同様に鎹を知らないようでした。
 ざこば師匠が鎹を実際に取り出し、これが鎹で、柱など2本の材木をつなぐコの字型の釘ですと見せて説明をしてくれて初めて知りました。
 昨夜はたくさん笑い・1つ賢くなりました。

 2月16日のTBSでざこば師匠のオーストラリア滞在が放映されるそうです。



★ 勇祐の今日も元気でホオ~ホケ教!! 
http://ameblo.jp/yusuke-yamazaki/entry-10195919579.html

 豪州落語:年一回ざこばさんの落語が行われる。
 生まれて初めての落語のライブに‥‥
 コンラッドホテルのボールルームをしきって、こじんまりとしたホールながら観客席は大入り満員。

 ざこばさんは私のお気に入りのひとり。
 たかじんの番組のコメンテイターとして出演。
 彼のちょっと場違いな存在ながら、そのコメントは少しずれているものの庶民性に溢れており、聞きたいけど、言いたいけどちょっと‥、と言うようなコメントを代弁してくれる。
 根っからの大阪のオッチャン。

 二席の落語も知らず知らずのうちに吸い込まれて、久しぶりに大笑いさせてもらった。
 ひょっとして、アルツになったのではと思わせるような間合い。
 これがまた、絶妙。
 話にもしっかりメッセージが込められていて‥‥。


 これらはgoogleとyahooのトップ100からの引いています。
 つまりこの3本ともgoogleとyahooのトップ100以内に入っています。

 ところで、ロージンが書いたものはどうか?

 淋しいことにyahooでは検索されないのです。
 影も形もないのです(
100番以上は「検索対象の価値なし」と思っているため、実行しませんのでどうなっているかについては判りません)。
 まあ、その程度のものか、と無理にあきらめてもいいのですが。
 なにしろ「桂ひろば」を「桂ハカバ」にしてしまったのですから。

 が、しかしです。
 これをgoogleでやると、なんとなんとトップで出てくるのです。
 「なぜ?」と考えてみた。
 答えは、おそらくgoogleのサイトを使っているせいだろう。
 googleの検索システムが「己がウエブサイトを優先的にサーチ」するという形でプログラミングされており、利用者お客様へのサービスといったところではないかと思う。
 もちろん当然のことながらyahoo検索ならyahooブログがまずはじめに検索されることになる。

 前に書きましたがテクノラテイから「この筆者はあなたですか」とのメッセージのあるサイトがあります。
 今日、改めて見てみるとこういう風なメッセージになっています。
『 
 メンバー登録
 このブログにオーナーはあなたですか。
 もしあなたがこのブログを書いている本人であればテクノラテイにメンバー登録(無料)してください。
 ランキング 2,526,000


 この「テクノラテイ」なるものがメンバー登録を薦めているサイトはyahooではまったく検索に出てきません。
 考えられることは、テクノラテイというのはgoogle系で、yahooはgoogle系を無視しているということ、である。
 もちろん、逆もしかりである。
 ワールドワイドといっても、決して素直な形でのワールドワイドではないと思う。
 資本主義的ワールドワイドウエブである。
 これを忘れると、世界をナナメに見てしまうことになる。
 自分の見ているものが、世界に流布していると勘違いしてしまう。
 あくまでも、資本の論理で動いているということを忘れてはならない。 
 
 ざこばが前回の6年前に開いた落語会の正式名称は「新春ゴールドコースト寄席」である。
 新春は抜かして「ゴールドコースト寄席」で検索してみる。
 googleのトップで出てきたのが2チャンネルニュース。


★ 落語:ざこば「ニューヨーク寄席」、赤字覚悟の自主公演(来年1月)
http://mnews.news2ch.net/read.php/1062281457/
2003/08/31
 人気のベテラン落語家・桂ざこば(55)が来年1月22日に、
米・ニューヨークで落語公演を行うことが30日、分かった。
海外での公演機会も多いざこばだが、ニューヨークでの公演は初めて。
ニューヨーク公演にも「普通に頑張ります」と特に意識はなさそう。

 昨年1月にはニュージーランドで、
今年1月には豪・ゴールドコーストで公演を開催してきたざこば。
ざこばはライフワークとして年1回の海外公演を行っている。
来年は「約17年前に行ったニューヨークにもう一度行きたい」と希望していた通り、
同地での落語会が決定した。

 「英語落語なんてできへん」と本人も笑うように、
過去の海外公演も現地在住の日本人や日本語を理解する人を対象に日本語で実施。
今回の公演は「本音は赤字でもいい」という覚悟で自主公演で行う。
今回のニューヨーク公演には兵頭ゆきらが駆けつける予定だ。

◆ 協会復帰こだわらず ◆
 上方落語協会を脱退しているざこばは、同協会の桂三枝新会長(60)に、
協会復帰のラブコールを送られているが
「自分なきあとが心配だし、弟子が戻りたいというなら、全然反対しない」と従来の姿勢


 そして「2009年1月20日:豪州落語会」は10番以内に入っている。
 ではyahooならどうかというと、まったく「ゴールドコースト寄席」で引き合うサイトは出てこない。
 ちなみに検索は上記をみればわかるように「ゴールドコースト寄席」の一語で検索されているわけではない。
 イタリック体で示したように「寄席」と「ゴールドコースト」の二語で行われている。
 また、二語の出現順序は前後しても支障ないようである。
 

 ところで話は変わるが、私のものは昔の日記からのコピーであり、2チャンネルニュースは日本発である。
 ということは、このキーワードにあたる「ご当地発」のサイトはないのである。
 
 今回の公演はざこばのテレビの海外ロケのオマケで開かれたもの。
 それに対して前回は本格的な取り組みとして開かれており、よって宣伝も行き届いており観客動員数も多かった。
 今回は上のように3,4本のブログがあるのに、前回の公演は何故ゼロなのか。

 理由は非常に簡単である。
 インフラの整備がされていなかったから。
 専用電話回線を使ってのホームページはあった。
 そのプロバイダーも数多くあった。
 でも、お金をはらってホームページを開く個人はいない。

 インターネットが普及するには個人が参加することが不可欠である。
 個人が参加するには無償でなければならない。
 そのためには営業主体のホームページレベルではどうにもならない。

 個人が参加するということは、百人百様の気まぐれな発想と行動力から、それをフォローするために、とてつもない速さと容量空間が必要となる。
 Telstra(日本のNTTにあたる)が「BIGPOND」をはじめた。
 インターネット専用の回線を敷設したのである。
 「ブロードバンド」、すなわち大容量、超高速のデータ通信である。
 そこではじめて個人がサイトをもち、ブログが動きはじめた。

 ゴールドコースト寄席が開かれたころは、ビッグポンドがようやく動き出したころで、まだ個人が通信に使うほどにまでポピラーにはなっていなかった、ということである。
 ブログがお手軽に使えるほどの状況ではなかった、ということであろう。
 よって発信サイトがない、といっても不思議はない。


● [Big Pond]より


 だが、現在は200人ほどの落語会に関して少なくとも4本のブログが発信されている。
 もしかしたら100番以降に、もう2,3本あるかもしれない。
 客観的に考えてみて、というより常識的に見て、これは「恐ろしい」ことである。
 この、すべてのブログに画像が添付されている。
 とてつもないほどの情報量である。

 「まんじゅうこわい」ならぬ「ぶろぐこわい」である。

 なにしろ「ミネルバ」の前例がある。
 桂ひろばが桂ハカバに改名することはないにしても、昨今のインターネットの影響力は頗るに大きいようだ。
 オークションが行われ多額の金銭が動き、googleはサイトの広告費用で運営され、マイクロソフトを追撃しているという。

 なにか、おおきな「文化のうねり」が感じられる。
 ほんのここ数年で。
 何かが変わろうとしている。
 行き着く先はわからないが、間違いなくどこかに向かって疾走している。

 ロージンには便利になったその軒先をちょっと借り受けて、
 箴言(いや暴言かな)
をふりまくことによろこびを感じる程度のことしかできない。



[注:ミネルバとは]

★ 朝鮮日報 【コラム】「ミネルバ」逮捕と両極端論 2009/01/15
http://www.chosunonline.com/article/20090115000044

 いわゆる「ネットの経済論客」と呼ばれる「ミネルバ」の逮捕について、韓国社会では激しい論争が再び表面化している。
 言うまでもなく、逮捕に賛成する側と反対する側との対立だ。
 その裏側には「共同体の保護が先か、個人の自由が先か」というより大きな課題が潜んでいるほか、政治的な利害関係も絡んでいる。

 ミネルバ逮捕を支持する側は、「共同体の保護」を強調する。
 「ミネルバは虚偽の事実を流布し、根拠のない予測で外国為替市場や国家の信認度を大きく低下させた。
 そのため刑事処罰は妥当」という考え方だ。
 一方これに反対する側は、「ネット上での匿名による自由は最大限保障されるべきだ。
 個人の自由な意見の提示を法律で規制するのは、維新の時代にあった人権弾圧や政治的報復と同じだ」と主張する。

 双方とも一方的な主張を展開しているため、どちらも問題点や歪曲(わいきょく)が数多くみられる。
 逮捕賛成論者は、ミネルバが書いたという280 件の文章の中で、法に抵触するような「虚偽事実の流布」に当たるのは2編に過ぎない点を見逃している。
 反対論者は、経済に関する予測や予言などの個人的な意見や主張までもが処罰の対象になっているわけではないにもかかわらず、表現の自由そのものに規制が加えられているかのように訴えている。
 ミネルバに適用された電気通信基本法は、存在しない事実をあたかも存在するかのように偽って流布した際の処罰を定めたもので、単に個人の主観的な考えや意見の開示を問題にしているわけではない。
 この点を見過ごして、「それなら天気予報が外れた時も処罰せよ」と主張するのは単なるこじつけに過ぎない。

 「共同体の保護」と「個人の自由」は二者択一の問題ではない。
 どちらも必ず重要なものだ。
 共同体の保護ばかりを強調すると、何の罪もない個人が処罰を受ける可能性もある。
 一方個人の自由ばかりを重視すれば、実際に法を犯した人物が巧妙に法から逃れるケースも出てくるだろう。
 無実の人が処罰されることはあってはならないが、違法行為に対してはそれ相応の処罰が行われるべきで、それがなければ社会全体が被害を受けることになる。

 問題は、時代の流れに合わせてこの二つの優先順位を適切に調整することだ。
 過去の維新時代や第五共和国の軍事政権時代には、国家の安全保障や社会正義という大義名分の下で、個人の自由が無残にも踏みにじられてきた。
 強制連行や拷問が相次ぎ、政権への批判は直ちに刑務所行きを意味していた。
 このような社会では、個人の自由を保護することの方が、より重要な価値として考えられるべきだろう。

 しかし民主化・情報化が実現した最近では状況が異なる。
 とりわけネット上の無法地帯は自由の枠をかなり前から超えてしまっている。
 根拠のないうわさや虚偽の主張、扇動で狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)騒ぎが起こり、悪質な書き込みで罪のない人を死に追いやる事態にまで発展している。
 ミネルバ逮捕に反対する勢力も、逮捕状を出した判事の個人情報をネットに公開してサイバーテロを加えている。
 このような状況では個人の自由よりも共同体の保護の方が重要視されるしかない。
 ただし、それでも厳格な証拠と法に沿った手続きが前提となるべきなのは言うまでもない。
 ミネルバが本当に虚偽の事実を流布し、社会全体に害悪をもたらす目的があったのかについては、取り調べと裁判の結果を見て判断すべきというのはこういうことだ。

 共同体の保護と個人の自由。
 これは韓国社会において今後も常に大きな課題となるだろう。
 最近国会で問題となっている「覆面デモを禁ずる法律」もその一つだ。
 韓国社会ではこの問題についてバランスのとれた議論を行うよりも、政治的な立場からの争いに没頭している。
 何が正しくて何が誤っているのか、本当に意味することは何なのかについては関心がないのだ。
 これでは社会の発展は遠い先の話になるだろう。




【社説】ミネルバに振り回された韓国社会の水準がむしろ問題 朝鮮日報

  裁判所は20日、「ミネルバ」というペンネームを使い、インターネット上で経済問題の論客として知られたパク・デソン被告に無罪を言い渡した。経済学を専 門に学んだことがない30代の無職の青年パク氏は、世の中にあふれる経済知識や経済情報をつなぎ合わせて、昨年7月30日に「為替両替業務、8月1日に全 面中断」、同年12月29日には「政府がドル買い禁止を公文書で緊急通達」といった文章を公開するなど、経済関連の文章計280件を発表し逮捕された。

 パク氏の予言は運良く当たったものもあるが、間違っているもの も多い。昨年7月にパク氏は物価高騰を予言し、「コメ、ツナ缶、トイレットペーパー、飲料水、せっけん、即席めんを半年分買いだめしろ」と呼び掛けたが、 実際には物価は8月以降下落した。彼は英国系銀行HSBCの正式名称に「香港上海」が入っているという理由で、同行を中国系銀行と誤解し、おかしな文章を 書いたこともあった。それでも数多くの経済学者、政府官僚、メディア関係者、経済分野の現業従事者はパク氏の文章の問題点やうそを指摘するどころか、大統 領府(青瓦台)の経済担当首席補佐官まで務めたある左派経済学者のように、彼を「自分が知る限り最も優れた国民の経済の師匠」だと持ち上げるとんでもない 事態が起きた。

 ネットユーザーにとって、インターネットは誰でも自由に空間の制約を受けず、文章を公開できる自己表現の貴重なツールだ。ネット掲示板「アゴラ」 には、多いときには1日に4万件もの文章がアップされる。そんなネット上の文章一つ一つについて、うそかどうか、悪意がないかを司法の尺度で判断すること 自体が無理だ。しかし、パク氏のケースは特殊だった。彼は昨年9月にリーマン・ブラザーズの破産などを予測したところ、偶然にもそれが的中し、彼の文章を 37万人が参照した。彼を「経済大統領」として追従する人々も現れた。それほどの影響力を持てば、自分の文章が社会に混乱と被害を与えないように注意すべ き責任がある。

 オフラインとは違い、インターネットはデマでもあっという間に全国民に広がる力がある。インターネットの流言飛語をふるいにかけられなければ、韓国社会にいつ第2のミネルバ、第2の米国産牛肉輸入反対運動のような水準が低い出来事が起きるか分からない。







【追記  2009/04/07】
 25todayにブロードバンド建設のニュースがありましたので載せておきます。

★ 連邦政府、ブロードバンド建設企業設立に
http://www.25today.com/news/2009/04/post_3313.php

コンロイ通信相の「秘策」発表

 連邦政府は、全国高速ブロードバンド建設計画の入札募集を実施していたが、4月7日、ケビン・ラッド連邦首相、スティーブン・コンロイ通信相、リン ゼー・タナー予算相が並んで記者会見を開き、「ブロードバンドを21世紀インフラストラクチャと位置づけ、ネットワーク建設のために企業を設立する」と発 表した。
 ネットワークは近代オーストラリア史上最大の単一インフラストラクチャ計画になるとして、企業は政府と民間企業の合弁だが民間出資額は49%を超えな い。
政府・民間合弁設立の理由として、入札に参加したAcaciaコンソーシアム、オプタス、カナダのAxia NetMediaのいずれも政府の基準に合格しなかったためとしている。
 国内最大の通信事業者で最大の通信網を持つテルストラは、ジョン・ハワード前政権 時代から政府と対立を続けており、入札にもわずか12ページの企画書を添えただけで、ほとんど門前払い同様に排除された。
 しかし、公社時代の遺産としてブ ロードバンドのネットワークを持つテルストラ抜きにプロジェクトが可能なのかという疑問が常に出され、コンロイ通信相が「秘策を用意している」と語ってい た。
 記者会見では、「政府・民間合弁の新会社設立にはテルストラにも参加を呼びかける」と語った(訳注:テルストラ社は、強気と対決姿勢が目立ったソル・ トルヒーヨ社長が最近巨額の「手切れ金」で退陣している)。
 合弁企業は、早ければ2009年中期からTAS州でブロードバンド・ネットワーク敷設作業を始め、最大430億ドルを投資して、7年から8年で完成させ る。政府は当初47億ドルを投資するが、ネットワークがフル稼働を始めてから5年以内に合弁の政府持ち分を売却する予定。
 高速ブロードバンド・ネットワー クは最大で現行の「100倍」の速さになり、全土の「90%」を光ファイバーで結ぶ。
 タナー予算相は、「新会社はオーストラリア・ポストに似た組織で、政府は資金をBuilding Australia Fundから調達し、その後も必要であればAussie Infrastructure Bondsで調達する。
 重要な問題は、今の時代にオーストラリアは高速ブロードバンドなしでやってゆけないということだ」と語った。(AAP)





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2009年2月3日火曜日

FAX大明神:お世話になりました

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● 十数年、お疲れ様、お世話になりました。


 fax が機能を停止した。
 といっても沈黙してしまったわけではない。
 逆に動かすと止まらなくなってしまったのである。

 送信原稿を入れる。
 [P01]というメーセージが出て、1ページ目をジジジジージーを読み込みはじめる。
 原稿が1枚なら、原稿を読み終わったとき、発信がはじまるのだが。
 原稿がないのに、ジジジジージーと読んでいる。
 終わらない。
 つまり、紙の終わりを検出するセンサーが機能していないということ。
 いつまでもジジジジージーと読んでいる。
 これではどうにもならんと、リセットボタンを押すと止まりはするが、データは発信されない。
 
 よく今日まで動いていたものだと感心してしまう。
 十数年前、こちらに来たとき日本に帰る人から購入したもの。
 それからいままで故障なしで動いてきた。
 昨今は読み込みのローラーが古くなったようでスリップするのか、普通の紙では読み込んでくれない。
 よって2枚をセロテープで貼って厚手にして送っていた。 
 不都合はそれだけ。
 修理屋をよぶような故障は出なかった。

 といっても、周囲にはfaxを使っている個人はなく、故障したらそれで廃棄してインターネット通信に移行している。
 よって、このfaxも年に数度くらい、情報を得るために企業向けて使っているに過ぎなくなってきた。
 でも昔は重宝して、存分に使わしてもらったのだが。

 この機械、ひじょうに重い。
 計ってみた。
 
 
● 7kg:クリックすると大きくなります。
  下の赤い部分が「kg」表示。

 7kg。
 似通った大きさにプリンタがある。
 昔のリボン式も重かった。
 これとどっこいどっこい。
 鉄の塊とまではいかないが、重量感ずっしりでなんとなく安心感があった。

 昨今のパーソナルプリンタはひじょうに軽い。
 そのかわりよく壊れる。
 キャノンは1年少々、エプソンは買って3カ月でダメになった。
 保証範囲だったので買い換えた。
 パーソナルはやめて「office」と名づけのあったものにした。
 でもでも紙を送るとき「ガガガガガー」とすごい音がして、壊れるんのではないかとドキドキものである。
 よって、なるべくプリントアウトはやめて、画面をじっとにらんで覚えるようにしている。
 この電子の世の中に、なんとも進歩しないものである。
 まあ、ペーパレスにはもってこいだが。
 紙送りのシステムなど昔から変わっていまいに。
 メカ式から電子式になったのだから、心臓に悪い音を出すのはやめて欲しいものだと思っている。



 これまでいくついものプリンタを購入したが、故障してあたりまえという感覚になった。
 ここでは修理という概念がないので、品質管理がゼロ。
 保証期間が切れたら終わり、そう思って使っている。
 でなくても、日本より値段は高いし、品数はすくないのに、さらに修理不能となれば、あきらめる以外に手立てはない。

 その前のは、キャノン。
 これは日本から娘が担いできた。
 さすがに日本製の製品。
 これは数年以上もった。
 その前は、出たての海外学生向けの安物キャノン。
 これはすぐにぶっ壊れた。
 修理屋へ持っていったら、修理費の方が高いから新品を買ったほうがいいといわれた。
 よほどのものでないかぎり、修理屋は修理しない。
 なにしろ、数社の製品を一手にあつかうのだから、部品もマニュアルも揃うわけがない。
 [office]プリンタの重量は5kgと出た。  
 
 これから比べれば、このfax、よくもよくもここまでもってくれたものだと呆れるほどに感心してしまう。
 ここまで機能してくれれば、申し分ない。
 では、感謝しつつ廃棄させてもらいましょう。
 と、実行しようとしたがそうは問屋が卸してくれなかった。
 これを外したら、電話が反応しなくなった。
 ヤバイ。
 また付け直した。
 ペンチでコードをチョッキンしなくてよかった。

 電話とfaxの切り換え式になっているため、faxと電話が信号でつながっているのである。
 よって、fax機がないと電話が使えなくなってしまう。
 それも手動式。
 スイッチで電話とfaxを切り替える。
 その後、電子音で自動的に電話とfaxを切り替えるタイプが出たが、ということはこれはその前の形式。

 操作の難しいのは苦手。
 電話も留守番電話すら使ったことがない。
 まして携帯電話など、とてもとても。
 子どもの携帯が鳴っていても知らん顔。
 何しろ機能がありすぎる。
 携帯でゲームが楽しめます、とあるが私からみると携帯電話それ自体がゲームみたいなものだ。
 
 やっと近ごろパソコンのメールが使えるようになった。
 2年ほど前にブログの作り方を教わった。
 でも写真を入れる方法がわからなかった。
 四苦八苦でやっと理解した。
 やっていると面白くなってきたので、めったやたらと写真を載せた。
 7,8年も前の娘のコンパクト・デジカメで撮ったもの。
 望遠なし、1回の制限枚数fineモードで22枚。
 若き頃のフィルムカメラの枚数と同じと思って、使わしてもらった。

 だが、あまりにお手軽なのでついつい凝ってしまい、レベルの高い写真を撮るために最新型デジカメを送ってもらったほど。
 もともと写真嫌いだから、撮る方も苦手。
 ところがこの最新型、数百葉の写真がいともあっさりと、それもタダで撮れる。
 「数百枚がタダで、タダで
 写真がタダなんて、発想はまるで考えられなかった。

 「老兵は、去り行くのみ
 ウンウンと、妙に納得してしまう。

 ここまで枚数が多いと、嫌いとか好きなどという次元ではない。
 ただシャッターを押すだけ。
 が、コンパクトタイプなのでシャッター動作がワンステップ遅れる。
 決定的チャンスなど、いつも見逃し。
 シャッターを押したときがそのチャンスなはずであるのだが、ガシャリという音はその後に聞く。
 ただ枚数だけが増えていく。
 こうなると、ほとんどどんなに撮れたかなんて期待しない。
 ただ、出てきた中から、らしそうなのを選ぶだけ。

 面白いので、いつも持ち歩いていた。
 でも、ちょっとした不注意でコンクリートの床に落としてしまった。
 ほんの「さっきのこと」
 ロックが外れてバッテリーがポンと飛び出した。
 もうこれで衝撃度合がわかる。
 つまり、ボツ。
 昨日faxに続いて今日はデジカメ。
 壊れるときは壊れる。
 faxは十数年使った。
 対するこのデジカメ正味たった3カ月の寿命。
 「そんなもんさ、人生は

 コンパクト・デジカメなのでさほどに高価ではない。
 安価といっていい。
 難しい機能のついていないもの、ということで決めた。
 壊したものと同じ製品を量販店で買ってくれ、と日本にメールした。
 「同じもの」を、と強調して。
 別のものはいらない。
 性能がよくても理解するに苦労を強いられる。
 せっかく解かったのに、また一から出直しはお断り。
 ここ3カ月、この安物のデジカメで結構、いや本当に遊ばせてもらった。
 ちょっと遊びすぎたほど。
 3カ月も遊ばせてもらえば、壊れたとはいえこの費用は安い。
 なにしろフィルム代、現像代が無料。
 つまりランニングコストがゼロということ。
 イニシャルコスト分は十分回収した。
 上の3枚の写真は、そのデジカメの最後の映像となった。


 カメラで撮り、あるいはスキャナーしてパソコンで送れるのでfaxはいらない。
 プリンタは「All-in-One」なので、スキャナーとコピーがついている。
 プリンタを動作させると
「ガガガガガー」で心臓に悪い。
 コピーも同様、
「ガガガガガー」
 紙が動くのは怖い。
 いまこの機能も中でもっともよく使っているのがスキャナー。
 こいつは便利だ。

 なんでもかんでもスキャンしてインターネットに載せる。
 インターネットを「私用に不毛に」使っている様な気になるが、ブログの元締めさんが使っていいと言うからいいのだろう。
 少し使ってもたくさん使ってもインターネットの料金は同じらしい。
 ビデオでも載せないかぎり、もらえるメモリ容量を超えることはまず不可能。
 写真を何枚のせても、ダラダラとした文章を書き込んだとしてもたかが知れている。
 まあ、ビデオ撮影機を使うことはないだろう。
 きっと説明書きを読んでいると、理解不能でやめたくなるだろうから。

 一眼レフの高級デジカメが流行っていると聞いたが、果たして十分に老人たちが使いきれるのだろうか。
 衰えた頭を活性化するには、いいオモチャかもしれないが。
 私にとって難しい機械は、己が無能さを認識して愕然とするだけのモノ。
 いまのところコンパクト・デジカメとスキャナで十分楽しめている。


 faxのマニュアルをひっぱりだしてきた。
 そして表紙をスキャンした。






 裏表紙の一番下段の文字を拡大してみます。
 「CANON INC 1988      PRINTED IN JAPAN 」
 ということは、今をさかのぼることはるかに「21年前」
 それからオマエは、健気によく動いた。
 文句も言わず、他人様に手をわずらわすことなく。
 オマエは「機械のカガミだ」


 電話とつながっているかぎり、廃棄できない。
 この場所に鎮座することになる。
 3カ月のデジカメはお払い箱。
 やはり年期のあるものは、「あるだけ」の価値があるようだ。

 「FAX大明神」
の称号を贈らねばなるまい。

 そして、いつか廃棄処分になった日には、針供養ならぬ「FAX供養」をしないといけないだろう、などと楽しみなことを考えている。


 今日これで2本目のブログ。
 faxとデジカメと続けて壊れなければ、普通のこんなことがありました風の記事になっただろう。
 人生というのは不思議なもので、起きない時は「本当に何も起きない」
 なんでこんなに平穏なのだろう、とその昨日と同じ今日の連続が恐ろしくなるほど。
 ところがおき始めると続く。
 「二度あることは三度ある」という。
 しかし、三度目はまず起きない。
 そして、もし三度目が起きたときは、ひじょうに大きな災害になるので、二度起きたら注意しろということ。

 しばらく写真がつかえないので、お休みになるかもしれない。

 いやいや、スキャナーは動くし、古い写真もある。
 どこからか画像をひっぱってきて、なんとか文章化しようとする。
 インターネット上には画像が溢れている。
 世の中、真面目に向かい合おうとするからネタがつきる。
 正直に生きようとおもうから皆と同じになる。
 誰が書いても同じなら、書いてもおもしろくない。

 斜にかまえて、厭味に書いていけば、そこそこネタは拾える。
 いやだな、こういう人。
 なんとも、淋しいことだ。

 でもそのさみしさが 「カ・イ・カーン!

 長い間お世話になった「FAX大明神」の話でした。 



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本の書き込み:きれいに読むことはない

  
● 書き込まれた文
  <クリックすると大きくなります>


 本を開いたら、カバーの折り返しのところに
読者の書き込みがあった。
 ひじょうに珍しい。
 鉛筆で日付は「1991.8」
 この本は1990年09月印刷発行の初版本。
 よって、発行されてすぐ買って読んだということのようです。

 名前は「サンヅイ」に「皆」かと思うのですが、正しくはわかりません。
 手持ちのイージーなコンピュータ辞書にないもので。
 書き込みを画像で載せてありますので、みてください。
 辞書にあるものでちかいものは「潜」で、とりあえずこれを当てておきました。


 最近とても読みたくて読んだ本です。
 私は時々、男になりたいと思うんです。
 子供の頃もそう思ってたから(兄ばかりのせいでしょう)、女の方が得だと兄達は言いました。
 でも、この頃は女とか男ではなく、人間はみんな同じかなと思ったり、性別のない仏様がいいと思ったり。
 でもこの作家、男だな-と思います。
 うらやましい。
     1991.8.       潜子


 「この作家、男だな-と思います」と。
 重たい言葉である。

 
日野啓三の「どこでもないどこか」
 もちろん古本で買ったもの。
 ちょっと中身を抜粋で。


● どこでもないどこか


 東京は映像に食いつくされている。
 東京はすでに映像の廃墟だ。

 ソウル
 ここでは多くのものが「いかにも」本物だ。
 多分、人たちは自分の考えと行動の多くの部分を意識しているのだろう。
 はっきり、言葉にするだろう。
 自分が毎日みている街の姿さえ怪しんでいるような人間はいないらしい‥‥。

 東京そのものが方向も意味も見定め難いまま、自分でもよくわからない未来へと、のめり出し始めている、そう思う。
 この無意識さ、無方向さ、本物らしさの希薄さが東京なのだ。
 明確には気がつかないうちに、1980年代に入ってから、ある一線を越えてしまったに違いない。

 表現するということ、
 生きるということを無限に越え出てゆく、
 少なくとも越え続けてようこうとする人間がいなかったら、
 何となく生きて、
 何となく書いて、
 何となく死んでゆくだけの者ばかりだったら、
 人間なんて何の意味があるのか。
 ひと思いに滅んだ方がよいのではあるまいか。

 彼の写真は、そこに何が写っているかということより、
 何が写されていないかということ、
 ファインダーの外に追い出されたものの方が重要なのだ。
 東京は写っていない。

 写真集をくり返し眺めていると、たとえ地の果てまで出かけたとしても、これ以上、カメラを通して世界を越えてゆけるか、という疑問が自然に浮かんでくる。
 才能は純粋であればあるほど、自分が到達できる究極の状態をも予感してしまうらしい。
 自分の才能の限界ではない。
 その「表現手段に固有の限界」をだ。

 「無意味と偶然に耐えられぬ人間たち」は、星座などという形を勝手に仮構する。
 恒星と星雲とが、地球からほぼ同じ程度の明るさに並んで見える、ということだけのことで。
 歴史というものはそんなものではないか。
 個人の生涯も。
 闇に消え残った幾つかの記憶の陰影を、意味ありげに結びつけて、一つの筋道と物語をつくり上げる。
 いまの自分の期待、悔恨、幻想にしたがって、くり返し作り直す。

 「ここでもなく、あそこでもなく、どこでもないどこか」、
という言葉を、熱気と絶望のたそがれの街をさまよい歩きながら、憑かれたように呟き続けていた‥‥。



 昔から「本はきれいに読む」ものであると教えられてきた。
 「書き込み」などとんでもない、と。
 でも、昨今はそうだろうかと疑問視しています。
 本が貴重品で高かった時代ならいざしらず、このご時世です。

 子どもの頃は街の何処にでも印刷屋さんがあって、数人の職人さんが棚から小さな鉛の活字を拾っていました。
 そして、朝から晩までバッタンバッタンと紙を繰る音が鳴り響いていました。
 友だちのお母さんは製本の内職をしていました。
 1mくらいの印刷された紙がドサリと持ち込まれ、それをページにあわせて竹べらで折っていく作業です。
 そんな時代では本は限りなく貴重でした。

 でも印刷屋さんの大半は町から消えました。
 せいぜい名刺やレターペーパーを作ってくれる印刷屋さんしかありません。
 その印刷屋さんも単に取り次ぐだけ。
 実際の印刷はしていない。

 今はコンピュータの世の中。
 文書データがストックされているデイスクをいれるとあっという間に印刷ができます。
 家庭でも本が作れるほどです。
 本はどのくらい安くなったのだろうか。
 手間のかかる印刷屋さんの人件費はきれいになくなった。
 すべてについていえるが、モノの値段の半分は人件費が占めている。
 それが限りなく少なくなっていけば、相当に安価になる。

 昔、平均賃金とは「大工さん一日の手間賃」を基準にしていた。
 いまもそうなのだろうか。
 判りやすいせいか、あるいはデータが比較的正確であるという条件からか、新規大卒者の平均年収を基準にしてしまうのが今日このごろである。 

 たとえばこの本、1990年印刷で210ページで「1,300円」とある。
 16年後
(2006年)の直木賞をとった東野圭吾の「容疑者Xの献心」は、352ページで「1,600円」である。
 逆にさかのぼること15年の1975年の石川達三の「金環食」は、266ページで「880円」とある。  
 30年で本の値段は倍にしかなっていない。
 大卒の初任給は何倍にあがったか。
 読み捨ての文庫本もでているのが昨今の出版事情。
 ブックオフなどの中古本店が軒を連らねるている。
 さほどに、膨大な書籍が巷に溢れている。
 きれいに読んで飾っておくのは、住宅スペースの無駄遣いになってくる。

 辞書もきれいに使えとも言われました。
 でも、子どもには
 「辞書は汚く使え」
といってきました。
 辞書は個人個人が持つものです。
 お兄ちゃんのものを妹が使うといったことは、はるかな時の向こうのことで、今ではもはやないでしょう。
 私はひく度に赤鉛筆でアンダーラインを引いていきました。
 他人のもっている辞書があまりにきれいだと、
 「こいつは辞書を引かないで判るほどの天才か、それともアクセサリーで引いたこともないほどのバカか」
と思ったほどです。

 一般に読書というのは、主にストーリーだけを追うものになりやすい。
 刑事もの、冒険もの、スパイもの、恋愛もの、推理小説もの、ホラーもの、時代劇もの、みな同じ。
 そして、どこかでハッピーエンドで終わることを期待している。
 もしそれが、ハッピーエンドでなければ「**賞」という候補になる。
 ストーリーを追わないということは、登場人物の心理を追うことになる。
 その心理描写が「
**賞」の重要な基準になる。

 知っている方がテレビ界をベースにした小説を書いて出版した。
 その本をもらった。
 通常なら裏に著者のサインがあるものであるが、それがなかった。
 「いわく、書き込みがあるとブックオフで安くなるから」
 ストーリーものは読んですぐブックオフとなる。
 ナナメに読んでもかまわない、時間つぶし。
 「きれいに読む」とは、「高く売る」意味ではなかったはずだが。

 でも心理モノとなるとそうはいかない。
 行間にキラリと光る文章があったり、本全体が一体となってはじめてその息づかいが聞こえてきたりするからだ。
 そして読む時期にも大きく左右される。
 同じものを十年の月日をおいて読むと、まるで違った感想が生まれてくる。
 自分の成長か、あるいは老化が目に見えてわかる。

 よって、心理モノは読んですぐにブックオフとはなりにくい。
 この本、その典型。
 何時読んだかで心の琴線に触れるか否かが決まってくる。
 衝撃がなければ、「何を言っているのだろう」とブックオフへ。
 胸にひびけばバイブルほどにもなる。
 
 胸に響いたなら、「書き込みをすべきである」
 「本は汚く読め」
 汚く読んだ本はブックオフにはいかない。
 十年後、あるいは二十年後、その書き込みが己が人生をふりかえる糧になる。
 古本の面白さは、この書き込みにある。
 前の読者の感想心理がはるかな時を経て、文字という媒体を通じてのぞける。
 きれいに読んだ本にはそれがない。
 きれいに読んだ本には感動がない。
 きれいな古本が欲しかったらamazonで買えばいい。
 つまり古本という名の新本。

 久しぶりにで会った感激。
 「書き込み」
 本が生きてくる。
 ささやきかけてくる。
 うれしくなってくる。
 1991年、今から18年まえの書き込み。
 その感動が短い文の中から甦ってくる。
 心が通じ合ってくる。

 書き込みをされた方が18年後の今、この本を読むチャンスがあったら
 「
この作家、男だな-と思います
と、同じ感慨をもらすだろうか。
 それを想像するだけでもうきうきしてくる。

 きれいな本はモノ。
 書き込みがあると、ヒトになる。
 字間に「人」が見えてくる。

 きれいに読む必要はない



 日野啓三を Wikipedia から。

 東京生まれ。
 父親の仕事の関係で小中学校を朝鮮で暮らし、敗戦後父親の故郷、広島県福山市に引き揚げ、東京大学文学部社会学科卒業。
 読売新聞社外報部に勤めて、ベトナム戦争中のサイゴン、また軍政下のソウル特派員として取材し、作家の開高健らと知り合う。

 文芸評論を書いた後、戦争体験や韓国女性との結婚を題材に小説を書き始め、1974年『此岸の家』で「平林たい子文学賞」、1975年「あの夕陽」で芥川賞受賞。

その後1982年、幻想的作風の『抱擁』で泉鏡花文学賞、1986年『砂丘が動くように』で谷崎潤一郎賞、『夢の島』で芸術選奨文部大臣賞。

 1987年芥川賞の選考委員に加わる。
 1993年、癌に侵され、その体験を描いた『台風の眼』で野間文芸賞で、1996年近未来小説『光』で読売文学賞、2000年、芸術院賞、日本芸術院会員。
 ほかに代表作として『天窓のあるガレージ』がある。

 2002年10月14日大腸癌にて死去するまで読売新聞社編集委員の地位にあった。
 葬儀委員長は詩人の大岡信がをつとめた。

 アニメや漫画に対しても関心を抱き、「伝説巨神イデオン」「装甲騎兵ボトムズ」などを絶賛するなど、優れた作品に対しては相応の評価をしたが、「若者に媚びているだけ」という批判もあった。




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2009年2月2日月曜日

ダウンタウン・ヒーローズと薬師丸ひろ子

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● ダウンタウン・ヒーローズ


 「これ、面白い」
 家人がそういった本があった。
 「ダウンタウン・ヒーローズ」

 読み始めたが、ダメ。
 出だしがいけない。
 高校生と娼婦とイレズミ。
 まるで、作られた世界。
 そのまま書棚に戻ってしまった。

 数年前に日本食品店の2階にある古本コーナーで見つけた。
 別に見つけたわけではない。
 ズーッと長い間そこにあった。
 タイトルに触手が動かなかった。
 ダウンタウン・ヒーローとはヤクザものか。
 長い間飾られて、買い手がつかなかったのであろう、ちょっと表紙が黄ばんでいた。
 「まだ置いてあらあ」といったところ。

 時が流れて、「わいそうだ、我が家に引き取ってやろう」とホトケ心で買ってきた。
 それから、またしばらく書棚でホコリをかぶっていた。
 その本を家人が読んだようだ。

 今回ページを開くにあたって、前回のこともあり、途中で本箱戻りとならないようインターネットで調べてみた。
 ところがびっくりすような情報が出てきた。
 これ、1988年に映画化されていたのです。
 手持ちの本は1986年発行1987年第5刷。
 映画化はこの翌年にあたる。

 監督はあの寅さんシリーズの山田洋次。
 そして主演はなんと「薬師丸ひろ子」



 映画についてはたくさんのサイトで紹介されています。

★ シネリエ CINELIER -映画のソムリエ- ダウンタウンヒーローズ
http://www.cinelier.jp/list/200711/03.html


★ ダウンタウン・ヒーローズ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~dragnet/yanagiba/hiro.html

●あらすじ
<思いっきりバンカラ あきれるほど純情>
 映画「ダウンタウンヒーローズ」は、「夢千代日記」「花へんろ」などで知られる脚本家、早坂暁が旧制 松山高校時代を振り返って書き下ろした自伝的小説を、同年代の映画作家である山田洋次が映画的に脚色し、 ドラマ化したものです。

 物語は、松山高校の寮生活者たちの奔放な生活ぶりを追って展開します。
 志麻浩介(中村橋之助)は、『県女のマドンナ』と噂される 房子(薬師丸ひろ子)と知り合い、片思いに身を焦がします。
 そんなある日、文化祭の演劇コンクールに 「理髪師チッターライン」の出し物で参加しようと計画をまとめた寮生たちは、アガーテ役として房子に 白羽の矢をたてます。

 浩介の必死の説得で房子を主演女優に迎えた一同は演劇コンクールで大成功をおさめます。
 この舞台で演出家をつとめたオンケルは房子に恋をして、結局、手痛い失恋のために学校を去っていきます。
また、ある時、逃亡してきた遊郭の娼婦を、学生寮にかくまうことになった1週間は、一同にとって 笑うに笑えない珍事、難事がもちあがります。

 そして1年後、松山高校は愛媛大学となって、寮生たちは全国に散っていくわけですが、彼らにとって この短い学生生活は永遠に忘れられない体験であり、赤々と燃える青春そのものでした。


 薬師丸ひろ子といえば「セーラー服と機関銃」の
 「カ・イ・カーン!
で一世を風靡したカワイコちゃん。

 主題歌は下記で。

★ You Tube 音楽館のページ 薬師丸ひろ子
http://www.ahatk.net/YTmusic/SailorfukutoKikanjyuu_HirokoYakushimaru/SailorfukutoKikanjyuu_HirokoYakushimaru.html

 かわいいですね、YouTubeの薬師丸ひろ子。
 下に映画の予告編も入っています。
 「
カ・イ・カーン!」もあります。


 「オー、とびっくり」
 こりゃしっかり読まないといけない、と思いページをめくっていく。

 なぜイレズミをすることになったか、その部分を抜粋で。

 「早坂の一生を決定するにしては、今夜の仕事は小さすぎる。
 わしの一世一代の仕事を見て、それで刺青を決めておくれんか」
 「一世一代----」
 「早坂、泥棒の中で、一番難しい泥棒は何か知っとるかいね」
 「‥‥金庫か」
 「ふ、ふ、ふ」
 「ピアノか」
 「もっともっと難しい」
 「人間!」
 「オモシロイ‥‥」
 「‥‥‥」
 「準備に一ト月かかるけん、その間にゆっくり考えてくれ」

<略>

 「‥‥何を盗るのか、教えてくれ」
 「家の中のもので、盗るのに一番難しいものだ」
 「‥‥いくら考えても判らん」
 「ジュウタンだ」
 「ジュウタン!」
 「そうだ、絨毯が一番難しい。
 考えてもみい、絨毯を盗るには、まずその上にのっているものを退かせなくちゃならん。
 ピアノも、本棚も、金庫も、ソファーも‥‥
 それもすべて音を立てずにだ」

 考えただけでも気が遠くなる。
 「上物を退けてからも大変じゃ。
 絨毯を丸めて運び出すのだが、5メートルの絨毯は丸めても5メートルの長さがある。
 これを見つからんように屋外まで持ち出すのが第二の難関じゃ」
 そんなこと独りで出来るわけがない。
 「独りでやる。
 独りでやるからこそ「一世一代の盗み」というもんぞね」
 「今までに盗った人間はおるのかいね」
 「おる。
 愛知県のムラシマ・カイチ、
 神奈川県のヒラノ・トウイチロウ。
 三人目が多分わしになる」
 オンケルの目は輝いて、力があった。

 とうとうその日がやってきた。
 珍しく晴天が続いた朝に、「今夜にする」とオンケルは宣言した。
 「今日が今年で一番湿度が低い」
 松山測候所で調べてきている。
 「だから今日がいちばん絨毯が軽い」

 家庭教師が終わってから、門を出るふりをして庭にひそむ。
 仕事は12時からはじめて、4時間をかける。
 何しろピアノや本棚を一人で移動させるのだ。
 「あけ方の4時に、運がよければ裏のコンクリート塀を越える。
 それまでに、家の中で電灯が明るくついたり、大声がしたら遠慮なく帰ってくれ。
 また、4時すぎて出てこなくてても、帰ってくれ」

 4時になった。
 邸内からは何んの音もせず、また塀の上にはオンケルの姿もあらわれない。
 4時を10分まわった。
 ----失敗したんだ。
 その時、コンクリート塀の向こうに、ゆっくり姿を見せてくるものがあった。
 ----絨毯だ!
 
 「急げ、夜が明ける」
 重い絨毯をリヤカーにのせて、道後公園まで運んで、リヤカーごと放置した。
 朝になってペルシャ絨毯と判って大騒ぎしたが、遂に犯人は判らずに終わった。

 私はこういう訳で背中に刺青をした。
 こうして私は医者になることから脱走でき、大きな会社に勤めることからも、免れることが出来たのである。


 これ、「ウソのような本当の話だろうか


 ところで、である。
 この本、薬師丸ひろ子のイメージで読んでいくととんでもないことになる。
 映画の青春物語、薬師丸の女高生物語などではないのである。

 <思いっきりバンカラ あきれるほど純情>
 などというのは映画のストーリー。

 <思いっきりナンパ あきれるほどナナメ>
 強いていえば娼婦物語、ヤクザ物語なのである。
  
 「
県女のマドンナ」と噂される 房子(薬師丸ひろ子)というのは、本文ではちょっと顔出す通行人Aといった役どころにすぎないのである。
 主役は娼婦のイチ子、そして脇役は同じく娼婦の咲子なのである。
 山田洋次は脚本を書くとき、薬師丸ひろ子を使って見事に転本したのである。

 例えばこうである。

 「玉取り」とは、実にすさまじい刺青であった。

 「玉取りを彫るんは、これが最後じゃろうと思うけん、一生懸命、立派な冥土の土産になるように彫らしてもらいます」 
 冥土の土産についてはちょっと注釈をしておきたい。
 刺青は、「地獄への唯一の土産」とされている。
 どうせ刺青を彫るような連中は地獄へ堕ちるにきまっているが、さて閻魔大王の前に立たされた時に、刺青が役に立つというのだ。
 なんでも閻魔サンは「大の刺青好き」だそうで、見事な刺青だと、諸地獄の中でも一番楽な「眠り地獄」へ送られる。
 そこはともかく眠っていればいい地獄である。
  日に一度は亡者の審判に疲れた閻魔サンがやってきて、刺青を鑑賞して一息つくというのである。

 彫りは三日彫って四日休み、三ケ月かかった。
 さて問題の刺青、玉取りだが、一口に言えば蛇が玉を取ろうとしている図柄である。
 蛇は二匹の大蛇である。
 一匹はイチ子の右肩から胸元へ斜めに下りてきて、左乳房のところで乳首に向かって大きく口を裂いている。
 胴体は背中を這って尻尾が太腿を一巻きしている。
 もう一匹はすさまじい。
 反対に右乳房を尻尾で巻くと斜めに左肩へあがり、背中を這って頭は左の太腿に到る。
 そして、ずるりといった感じで鎌首をイチ子のあそこへ入れているのだ。

 なんとも恐ろしくて生々しい構図であった。
 彫源によると日本で玉取りを彫った女は明治以後十人もいないのだという。
 そうでなくても刺青は痛いのに、一番敏感な乳房やあたりや、なかでも股間の最も秘所の部分まで彫り針を突き立てるのである。




 薬師丸ひろ子の主演映画の原作ということがないなら、この手の内容はあまり肌に合わないので、前回同様、書棚に戻ってしまったことだろうと思う。


 イチ子の玉取りが完成した。
 「これで終わった。イチ子さん、よう辛抱したな」
 彫源は涙声のような、くぐもった声で言った。
 「ほんとに、ご苦労さん」
 「ありがとうございました」
 一糸まとわぬ姿でイチ子は正座して彫源に頭を下げた。
 「さあ、もう一度、ゆっくり見せとくれ」
 「はい」
 イチ子は少し恥ずかしそうに顔をあからめて立ち上がった。

 見事な刺青だった。
 イチ子は両手で股間を隠しているので丁度、大蛇の頭を両手でおさえる形になった。
 「手を離して‥‥」
 彫源が静かな口調で言ったので、イチ子は両手を離した。
 大蛇の首がイチ子の股間に消えている。
 そのもぐり込んだ首のためにイチ子のそこは、薄い紅色で裂けているように見えるのだった。
 「でけた‥‥」
 彫源は両手で手を合わせるようにしてつぶやいた。


 あまりにナマナマしい文章。
 どうみても、薬師丸ひろ子主演の映画にはならない。


 原作とまるで違うダウンタウンヒーローズ。
 薬師丸ひろ子主演の予告編をYouTubeでどうぞ。

★ 薬師丸ひろ子 時代[ダウンタウン・ヒーローズ予告編]
http://www.youtube.com/watch?v=N7k6ZhCWq3U



 著者の早坂暁について Wikipedia を載せておきます。

 業新聞編集長を経て『ガラスの部屋』(1961年、日本テレビ)で脚本家デビュー。
 以後、1000本以上の映画やドラマの脚本、小説を手がけ、人間をテーマにした独自の作風を築く。
 ドキュメンタリーや舞台脚本、演出も手がける。
 代表作は「夢千代日記」「花へんろ」「天下御免」「ダウンタウン・ヒーローズ」「華日記」「戦艦大和日記」など。
 新田次郎賞、講談社エッセイ賞、向田邦子賞、放送文化基金賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、芸術祭優秀賞、放送文化賞ほか多数の受賞歴がある。
 現在、勉誠出版から初の単行本化となる長編小説『戦艦大和日記』をはじめ、『ダウンタウン・ヒーローズ』『公園通りの猫たち』など小説・エッセイ作品の完全収録を予定している『早坂暁コレクション』を刊行中。

 遍路道の商家で生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接してきた経験や、妹を原爆で亡くし、被爆直後の広島の惨状を見ていることなどから、遍路(四国八十八カ所)や原爆に関する作品や論評、活動も多い。
 一例として、広島に投下された原子爆弾による被害を当時まだ学生だった体験者が綴った絵本の企画・編集などをおこなっている。(『あの日を、ぼくは忘れない』『あの日を、わたしは忘れない』勉誠出版、2008年)

 必殺シリーズのオープニングナレーションを多数手掛けている。 

 大学時代に銭湯でたまたま渥美清と知り合い、何度もプライベート旅行に行くなど親友となった。
 渥美清には、初期のテレビドラマ「泣いてたまるか」や、土曜ワイド劇場の第1回作品の「田舎刑事」シリーズなどの脚本を書いている。



【 装画・本文絵   伊藤方也 】


















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