2009年2月12日木曜日

ぐい呑:1980年へのタイムトラベル


● ぐい呑:五千円  銀座三越 昭和55年12月08日


 小さい頃のことだが、2,3年に一度くらいだったと思うが年末に畳干しをする。
 畳を上げて、日向に干し、バタバタ叩いてホコリをたたき出す。
 畳を上げるとき、ただむやみに上げると、敷きこむとき大きさがあわずにああでもないこうでもないということになり、一苦労してしまう。
 よって、畳の敷きこみの図をメモって、またどこにどの畳をいれるかを記しておかないといけない。
 畳下の床には新聞が広げられていて、これを交換しないといけないのだが、2,3年前のでちょっと変色していてマンガなどあると、ついついのめりこんで見てしまい、作業がおろそかになる。
 おそらく、この経験は多くの人がもっているのではないかと思う。
 なんとなく、身近の古いものがフット現れてくると、気が吸い込まれてしまうものである。

 先日、中古本コーナーで買った本がある。
 その一冊が下の田久保英夫著「雨飾り」である。
 奥付は画像で見るように「1980年6月30日 第一刷発行」、すなわち初版本である。





 1980年6月というと「29年前」。


 この本にいくつかのペーパーが挟まれていた。
 すべて1980年もの。
 畳に敷いた少し昔の新聞を見るよりさらに、というより十分に古い活字文。
 その一つは下のこの作品に対する書評。
 週刊朝日のもので、日付は「'80 8.15」とある。
 ということは、発売されてすぐに購入し、週刊誌からの書評を切り抜いて挟んだものと思われます。



 クリックすると大きくなりますので楽に読めますが、縦書きでちょっと意識がズレますのでタイピングしておきましょう。


 戦後、姦通という言葉は失せた。やがて、不純異性交遊とか、よろめき婦人とか、情事とかいう言葉が、現れては消えた。そして、 そこを遠く通り越した今日では、セックスをめぐる状況は、なにがなんだか分からないものになった、というのが適切である。
 と同時に、男と女を結びつけるもの、その原点にあるものの形が、見えにくくなった。もはや恋愛などという言い方は古めかしい。
  こういう、デカダンスの現象とは異なるが、日常のなかの意味や価値が解体していく時代に、ぴったり自己の資質の波長の合う作家がいる。それがこの小説の作 者である。だから彼は、まるで今日状況そのものを透視するレントゲン技師の手つきで、底に潜在するセックスの戯れの図を、慎重に検査してみた。
 すなわちこの小説は、作者にとっては、自分の文学の可能性を賭けた試みであり、力いっぱいの制作である。
  作者はうまい構図を選び出す。主人公は(小説家だが)、最初からセックスについて四分五裂の状況というか、わけの分からぬ状態のなかにおかれている。つま り彼は、一方では、別居して妻と離婚話を進めているところであり、他方では、もう数年の間、美容院経営者の女と関係を持っている。ところがいま、その女に は新しい男が出来つつある気配があり、またさらに、美容院勤めのもう一人の女からは誘惑されて、彼女のマゾヒステイックは体質に、新しい性の深淵を垣間見 たりしているところだ。
 この作者の官能描写には定評がある。その技巧はここでも極めて見事に発揮されている。女が主人公の唇にチーズを押しつけ ながら、しだいに「少しづつ耳朶まで赤く」なり、「ああ、厭。ばかね」とつぶやいて、白い作業服のホックを「音を立てて」はずすあたり、うまい、と思う。 --そしてそのとき、主人公は、こんな感想をいだく

 <麻屋は最初の自分の熱は、この少しも意識に犯されない肉に触れ、それを通じて、ずっと深く下りていける気でいたせいだ、と思った。だから、この部屋へくるのに、鉱夫が坑道をせっせと下りてくるように、勤勉だった>

  セックスとは、実は、微細な「意識」の問題にほかならない。作者が透視しようとする、今日的な男と女のの愛の形=セックスの状況とは、いわば(堅苦しくい えば)、日常における生活意識の自己疎外の問題、にほかならない。主人公の離婚と孤立は、その自己疎外の結果であり、彼が関係する女たちは、生活意識から 追放された男の求める、意識に汚されぬものへの脱出口なのである。
 実は、この小説の主題は、以上のような静止した構図のなかに、一人の若い女子 学生の登場という、小説の新しい動力を導き入れ、--中年男と若い娘との間の、灼く、乾いて、苦い性的交渉、を描いていくものだが、その光景はさながら現 代的状況としてのセックスの一つのシンボルのようである。
 この小説、いわば遺伝子の仕組みを解明する最突端の科学者のように、男女の愛を描くこ とで熟達してきた小説の、その最突端も技術を行使して、生の微粒子であるところの意識がどんな作用によって、戯れにセックスの図を織りなしていくか、その 光景を撮影したものだ、といっていい。<蝉> 

 
 



 上記のカバー表紙の装画は棟方志功の版画で「湧然する女者達々 湧然の柵・没然の柵」(1956)とあります。
 また、扉カットは同じく棟方志功の版画で「星座の花嫁 星座の絵」(1928)です。


 挟み込まれていた2枚目は朝日新聞の「'80回顧 文学」である。



 1980年という今から29年ほど前に、いったいどんな小説が発表されたか、興味ひくところですがその一端をのぞき見ることができます。
 全文をコピーしたいのですが、ちょっとばかり長いので抜粋で。
 全文はクリックして拡大すれば読めます。
 取り上げられた作品はすべて網羅してありますが、興味がなければさっさと読み飛はしてください。


 老荘弱で多様な収穫 混沌が活力を生み出す
 80年代は、いわば「展望なき時代」としてやってきた。
  価値基準はますます多様化し、混沌の様相をさらに強めつつある。統一的なイメージなど求めようもないこの多元化した状況を嘆く声も多いが、同時にこの混沌 が一種の活力を生んでいることも確かで、1980年の文学界は、多様な活力が多様なままに多くの成果を実らせ収穫の多い年として記憶されるだろう。

 積年の課題を完成
 まず第一にあげたいのは、さまざまな作家が積年の課題、長編小説の大作として完成させたことだ。
  なかでも際立つのが81歳の長老、石川淳氏が1971年の執筆開始以来、ほぼ十年がかりで書き上げた1,440枚の大作「狂風記」上下巻で、今年最大の話 題作といってよい。「文芸」81年1月号の文学関係者ら103人によるアンケート「1980年の成果」でも、支持が一番多かったのは「狂風記」だ。
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 気骨の作家、大西巨人氏の4,700枚に及ぶ長編「神聖喜劇」全5巻が今年二十年ごしで完結したことも特筆に価する。旧帝国陸軍における主人公、東堂二等兵の格闘は、陸軍という組織を超えて、現代に通じる日本そのものをも鋭く批判的に浮きあがらせずにはおかない。ことにこの作品が、万能の記憶力をもつスーパーヒーローを主人公にすえることによって、「狂風記」とはまた別の形で、「純文学」に太い風穴をあけたことは十分注目していいことだ。

  さらに、12月までに160万部を超え、文学書としては今年最大のベストセラーとなった司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」全三巻がある。もともと司馬遷への思 いをこめて自分の筆名としたこの作家が、ついに本格的に「史記」の世界に取り組んだという意味で、これも多年の宿願を果たした作品だ。巨大な中国の歴史と大地を舞台に得て、司馬氏の筆はのびやかに躍り、作者特有の、現代の社会組織における指導者の資格への示唆をも二重映しにし、巻をおくのも惜しいほどの感興を与える。

 これまでの仕事の集大成という点では、今秋、「小説新潮」での約二年半にわたる連載を完結させた井上ひさし氏の2,300枚の長編「吉里吉里人」も実に読みごたえがある。現代日本の東北地方に誕生した独立小共和国の闘いとその崩壊を描く大作のなかに、井上氏は自分の思想とモチーフのすべてを投入した。この作品は改稿のうえ81年上半期に刊行の予定だが、闘う独立コミューンの物語という点で共通項をもつ大江健三郎の「同時代ゲーム」との比較論は、これからの刺激的なテーマになるはずだ。

 評論では、加藤周一氏の「日本文学史序説」(大佛次郎賞)も”積年の課題”グループに位置づけることができる。各領域の専門家の目から見て、この著の細部に問題があることはすでにいろいろ指摘されているが、古代から現代にいたる日本の文学史を、思想的な面をも重視しつつ、とにかく一人で書き切ってしまったこの知的力業は正当に評価しなければならないだろう。

 戦後の代表的な長編小説を縦横に論じた篠田一士氏の1,200枚の長編評論「日本の現代小説」も十年ごしの力作で、思えば今年は、私小説を排撃する長編小説論者篠田氏をいっそう伝気づけるような長編充実の年となった。

 戦後生まれの健闘
 第二の大きな流れとしてあげたいのは、戦後生まれの若手作家たちが、新しい完成と気力あふれる作品を次々に発表して成果をあげたことだ。
 なかでも評価していいのは、村上龍氏の「コインロッカー・ベイビーズ」だ。
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  都市化の波に荒廃の度を強めている近郊農村の姿を描いた立松和平氏の「遠雷」(野間文芸新人賞)は、当然描かれるべきでありながら描かれることのあまりす くなかった素材に取り組んでユニークだし、中上健次氏の「鳳仙花」、津島祐子氏の「燃える風」も力がこもっている。文芸賞受賞第一作が、宮内勝典氏の「グ リニッジの光を離れて」は、60年代末のニューヨークで働く日々を送った青春期の経験をういういしい筆致で描いて素直な感銘を残す。
 同じ若い世代のなかでも、より方法意識に敏感で洗練された作風としては、村上春樹氏の「1973年ピンボール」が出色だ。----
 都会的な感性の一つの極として、文芸賞受賞作、24歳の田中康夫氏の「なんとなく、クリスタル」も注目作だ。----

 中堅層はじっくり
 第三のグループとして、混迷する日常の中の生の姿をじっくりと追求する中堅作家たちの仕事をあげよう。
 たとえば、坂上弘氏の「初めの愛」であり、田久保英夫氏の「雨飾り」である。----危機的な様相のなかで日常の生を微細にみつめ、そこに苦しげな、しかし確かな意味を見いだそうとしている点は共通する。
 解決しようのない重い生と観念を追及する高橋たか子氏は「荒野」で充実した世界を切りひらき、森内俊雄氏は「微笑の町」で生の不気味な闇の層を描き出した。

  以上おおまかに大別した三群の作品をふり返るとき、その多様さ、多彩さに私たちはあらためて驚きを覚える。が、同時にこの文学の多様化をもってしても、私 たちがいま直面している生の混沌とした多元化にはとても及ばないという実感も強く残る。書く側も読む側も、さらに想像力と感性を全開にする必要がありそう だ。


 この中で複数回読んだのは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」。
 やはりベストセラー作品の貫禄、読みがいがある。
 井上ひさしの「吉里吉里人」はおなじくこちらで古本で手にいれた。
 が、どうも井上ひさし特有の言葉の壁にはばまれて半分ほどでギブアップした。
 村上龍の「コインロッカー・ベービーズ」は読んだかどうか記憶に定かでない。
 同じ村上でも村上春樹の「1973年のピンボール」は読んでいない。
 が、村上春樹の作品はいくつか読んでいる。
 とくにエッセイものは面白い。
 シドニー・オリンピックの観戦記である「シドニー」は実にオーストラリア人の特色を掴んでおり、隅からスミまで納得し「そうだ、ソウダ」と笑いこけてしまったほど。
 最近のものでは「走ることについて語るときに僕の語ること」は面白い。
 田中康夫の「なんとなく、クリスタル」も読んでいると思うが、記憶があいまいである。
 残念なことに、他の作品は読んでいない。
 ということは、昔は決して勤勉な読者ではなかったということ。
 こちらにきて、仕事のほかにやることがなく、ヒマができて、時間つぶしに中古本をジャンルを問わずに漁りはじめた、といったところが私の読書歴の主流を占めている。


 そして、最後にして3枚目がトップに上げた古き時代の領収書。
 「ぐい呑:5,000円 銀座三越 昭和55年12月08日」
 いまは落ち目のデパート業界だが、そのころの銀座の三越といえば、東京ナンバーワンのデパート。
 東京ナンバーワンということは日本のナンバーワンということ。
 品格がちがう、価格が違う、ビンボウ人が行って買い物のできるような場所ではない。
 この本の所有者はそこで「ぐい呑」を買っている。
 お正月用にお猪口6ケとお銚子1ケのセットで5,000円、てなところか。
 29年も前の5千円、いまなら2,3万円か。
 凝りに凝った焼き物の最高級品だろうと思う。
 お酒なんで、お腹に入ってしまえばどれも同じよ、なんて人種にははるかに縁遠いシロモノ。
 マスに一合入れてもらって、下のお皿にこぼれたヤツを「オットット、もったいない」なんてやからには不要のもの。
 いつも「鬼殺し」ばかり飲んでいては、オチョコにお金をかけるなんて発想はこれぽっちも出てこない。

 同じ三越でも私の行っていた三越は新宿の地下。
 ここの地下はどういうわけかいつもバーゲンセールの会場になっていて、庶民のお値段。
 ちなみに2,3年前にいったら、この新宿三越はなくなっていた。
 そのビルには大阪から進出してきた立ち読みokの書店をはじめとして、いろいろな店が入っていた。
 新宿の書店といえば紀伊国屋。
 ここは相変わらずの殿様商法、本の揃わないことおびただしい。
 ならと思って、この旧三越のビルの本屋にいったら、目的の本がちゃんと棚に並んでいたのにはびっくり。
 すごい、やはり大阪商法、ちゃんとお客の欲しいものを心得ている。

 初版本を購入された方は相当に階層のちがう読者のようだが、29年も昔の思い出を引き出してくれるようなモノに出会うとは、心ほのぼのとうれしい。
 新聞雑誌の切り抜き2枚と、買い物のレシート、それだけで十分タイムトラベルを楽しむことが出来る。
 ちょっとした、儲けものをしたような気分になる。

 なを、公開してしまいましたので、この切り抜き等は破棄します。
 昔の小さな新聞活字なので、実をいうとタイプするのが面倒であった。
 眼がショボショボしてしまった。


 田久保英夫についてWikipediaから。

田久保 英夫(たくぼ ひでお、1928・1/25---2001/4/14) 
 東京都台東区浅草生まれ。
 父は小峰秀次郎、母は田久保ハル。
 下町の料亭で育つ。
 慶應義塾大学フランス文学科卒業。第三次『三田文学』を刊行に参加。
 1954年、戯曲「金婚式」を同誌に発表。以後「三田文学」編集及び執筆に携わる。
 1959年、「緑の年」を発表し文壇デビューするが、幼少時の体験を描いた「解禁」(1961年)で芥川賞候補となり、注目される。
 「深い河」で芥川賞を受賞:1969年(41歳)。

 晩年は芥川賞選考委員。短編の名手と言われ、渋い味わい作品で静かな人気を保っている。 

●1969年、「深い河」で芥川賞

●1976年、「髪の環」(短編集)で毎日出版文化賞

●1979年、「触媒」(短編集)で芸術奨励文部大臣賞

●1985年、短編「辻火」で川端康成文学賞

●1997年、「木霊集」で野間文芸賞





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