★ 昭和54年4月 第九刷
昨年のジャパン・デーで購入した本。
たくさんのくくられた本の束が売りに出ていた。
だいたい4冊ほどが一束で4ドル(400円)の値段。
一冊あたり100円見当。
その中にあったのだが、なぜか上巻と下巻が別の束にくくられていた。
どうなるかわからないが、とりあえず出店の方に注文を出してみた。
もし、できないといわれたら二束一緒に購入するつもりでいた。
「そうですね、読めないですよね」
と言ってくれて、束をばらして一緒にしてくれた。
ちょっと手間をかけさせてしまった。
「あとがき」から抜粋で。
『
昭和52年7月から昭和53年8月までに「週刊読売」に連載した。
最初同誌編集部より相談かたがたの依頼は、誰か日本海軍提督の伝記を書いてみないかとのことであった。
十年前に「山本五十六」を出した自分がもう一度興味をもって取り組めそうな提督があるとすれば、結局、米内さんということになるでしょうが、米内伝はすでに幾つも出ていますからと、私は答えた。
短いものながら戦後早く小泉信三氏の「米内光政」と題するすぐれた文章があり、それを収めて緒方竹虎氏の「一軍人の生涯」がある。
かって米内海相の秘書官をつとめた実松譲大佐の大作「米内光政(新版)」は比較的近著で、現在書店の店頭に並んでいる。
私があらためて筆を執るのはいかにも屋上屋の感じがするし、とりわけ実松さんに対して失礼な気がする。
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小金井に住む74歳の元海軍大佐は、道が分かりにくかろうと、町の辻に立って待っていてくださった。
家へ入って私の来意を聞くなり、
「そりゃ君、米内さんについてなら書くこと未だいくらだってあるよ」
と言い出した。
「お書きなさい、お書きなさい。僕のあの本の中に書かなかった話があるからそれも話します。ノート持って来ましたか。忘れるといかん。メモをおとりなさい」
当の実松氏からこういうかたちですすめ励まされようとは思っていなかった。
私は一種の戸惑いを覚えながら、そんなに言って下さるならやってみますかネ、先人の記し残した落穂を拾うつもりで米内光政夜話のようなものでも書きましょうかと言って、実松家を辞去した。
米内評伝(「山本五十六と米内光政」)を書いた今一人の海軍軍人高木惣吉少将からは、自分のどの著作のどの部分でも自由にお使いくださいという鄭重な手紙を頂戴した。
米内大将の嗣子米内剛政氏は
「色々書いてくださる方があるんだし、お書きになるのは御自由だが、おやじのことなんか今の若い人はもう知らないんじゃないですか。名前の読み方だってコメウチさんか、せいぜいヨネウチさんですからね」
と、笑っていた。
のちに雑誌新連載の広告を見て、
「ベイナイコウセイ(米内光政)ってなんですか。アメリカの政治のことでも書くんですか」と私のところに聞きに来た高校生もあった。
あのいくさで日本本土が戦場にならず、国が分割もされず、私どもが今こうして安穏に暮らしていられるのに米内光政という一海軍軍人がどのような役割を果たしたか、きれいに忘れ去ってしまっていいのか知らんという思いが執筆中度々胸を去来したのも亦事実である。
落穂拾いのつもりで「回想米内光政」と題して書き始めたが、だんだん正面切った米内伝のようになって来た。
完結後「回想」はとった方がよくないかという意見が出、その方がすっきりするように自分でも思うものの、これだと実松譲氏の著作と同じ標題になる。
再び実松氏に手紙で伺いを立てた。
折り返し、
「どうぞ、どうぞ。そんなことちっとも構いません」
という返事が届き、それで連載中の「回想」の二字は削ることになった。
以上、執筆の動機と題名決定の経緯のみしるして、ここにお名前を挙げなかったすべての関係者への謝辞に代えたいと思う。
昭和五十三年十一月 阿川弘之
』
ところで、読み終わってみると「よくわからない」というのが感想。
以前に同じ著者の「暗い波濤」を読んだことがあるが、あれはのめりこんで読んだ。
でもこれは、焦点がつかめない。
イライラしてしまう。
ちょびっと読んではおき、チョビット読んではおいている。
似通った例では司馬遼太郎の「翔ぶが如く」がある。
これが司馬遼の作品かとおもうほどにひどく読むのがつらかった。
ただ、ガマンガマンで最後の巻までたどりついたことを記憶している。
あれは異常といえるほどであったが、これはもう少しトントンといって欲しかったと思う。
この本の後ろに「阿川弘之自選集全十巻」が載っている。
その中には山本五十六、暗い波濤、軍艦長門の生涯が乗っているが米内光政はない。
戦争とはわけがわからぬものであるが、一人の人物に焦点をあわせているかぎり、その部分だけでもわけが分かっていないと、その人物からみる戦争がつかまえられなくなる。
わけが分からないが二乗で増幅されているような、ヘンな気分になってくる。
やっと動き始めるのは下巻の後半から、敗戦へ向けてからである。
それでも読み終えて、やっぱりわからい。
米内光政とは何者であったのか、著者じたいも掴んでいないのではないかと思ったほどである。
ただエピソードを羅列したにすぎないように思える。
本題が「回想 米内光政」だというから、それでもよかったのかもしれないが。
「米内光政」で読むとすべてが曖昧模糊になってくる。
そういえば、終わりの方に面白い一話が載っている。
『
業を煮やしたウエッブ裁判長(東京裁判)が、「それでは返事にならぬ」と腹を立てて
「こんなアホな総理大臣、見たことがない」
と、罵ったが、米内はカエルのツラに水のような顔をしていた。
ウエッブとは正反対の印象を受けtのは、東京裁判の主席検事ジョセフ・キーナンであった。
「
あれは米内が畑をかばったのだ。
日本側の証人を何百人も見たが、あんな人はいない。
国際軍事法廷で普通の人間に「あれだけの芝居」が出来るものではない
」
と、大いに興味を示し、この年12月一時帰国の前「米内提督へ」と自筆ペン書きの丁寧な招待状を送り。一夕宿舎の三井ハウスで非公式のデイナーを共にしてアメリカへ去った。
』
ということは、阿川弘之ですら人物像をつかめていないほどのヌーボーだったのかもしれない。
読者の読後感想をインターネットから拾ってみた。
「買ったよ!米内光政(新潮文庫)レビュー」というサイトをコピーします。
長いですので興味がないなら読み飛ばしてください。
● 文庫版の表紙
『
★ 「買ったよ!米内光政(新潮文庫)レビュー
http://4101110069.kattayo.com/
最後の海相
司 馬遼太郎氏のような主人公を一から追ったものとは違い、最初から他の人からの伝聞や 資料を元にした推察などで進められ、歴史に無知な者としては、最初誰が誰やら混乱をきたした。ただそれでも読み進めるにしたがって、だんだん米内さんに引 き付けられている自分に気付く。 そして、彼に接した人物たちに、まだ無名であったにもかかわらず「海軍は米内光政ではないか」と 言わせるだけの彼の「何か違うな」と思わせるものは、彼らに語ってもらうのが一番わかりやすく、 説得力のあるものになったのではないかと思う。 また、阿川氏自身が米内があの時勢に異常なまでに冷静であったように、 客観的に米内を見つめた結果なのかもしれない。 写真を調べると、整った顔立ちながら長身で、この人がじっと黙って座っていたらかなり気になるなと思った。
膨大な資料と証言
元 海軍主計大尉である阿川弘之氏の、海軍提督三部作の第2冊。先に発表された「山本五十六」同様、執筆当時存命だっ た井上成美元海軍中将に取材を行っているため、半分井上の伝記のようにもなっている。戦争へと進む時流に全力で抗するも、結局は止められず、最初の一手を 自ら打たねばならなかった山本の悲哀と悲惨を描いた前書と違い、この作品は奇妙な明るさがある。それはひとえに米内の人柄の故だろう。
自分もかくありたい。
戦 前の宰相、米内光政の伝記。 当初は無口で鈍重といわれ、首相時代についたあだ名は「金魚大臣」(=見た目が立派なだけで役に立たない)。 しかし首相を退任した後、いざ日本の敗戦が濃厚になったとき、海軍大臣として終戦に向けて尽力した。 米内はとても器の大きな人だったといわれており、それは「人の使い方」について語った次の言葉からも伺える。 ------------------------------------------- 人にはそれぞれの能力があるからね。 物サシでいうと横幅が広いのもあるし、 縦に長いのもある。 物サシの具合をよく見て、その限度内で働いている間は、 僕はほったらかしとくよ。 ただ、能力の限界を越えて何かしそうになったら、 気をつけてやらなくちゃいかん。 その注意をしそこなって部下が間違いを起した場合は、 注意を怠った方が悪いんだから、 こちらで責任を取らなくちゃあね。 -------------------------------------------
阿川さんは「トリオ」で考えていたのであろう。
阿川さんが、数ある帝国海軍の提督の中で米内〜山本〜井上を取り上げたのは、この三人を帝国海軍の最後の良心、期待の星として捉えていたと思われる。 したがって、別々に書かれているが、この三人が、太平洋戦争の海戦に反対し続け、心ならずも、米内さんは政治に翻弄され、山本さんは、最も戦いたくな かったアメリカに先頭切って戦わざるを得ず、井上さんは、目立たずに海軍兵学校超で終戦を迎える。 この本の大半は他のレビュワーも評しているように井上成美物語ではないかとすら思えるが、三冊(山本五十六は上下巻だが)まとめて読めば、阿川さんの真 意が分かるのではあるまいか。 このような人たちが正当に発言できず、その声が反映されなかったことは、日本帝国海軍の悲劇であろう。
無私のすさまじさ
米内という人は作中で何度も語られるが、寡黙でその心中を読み取りにくい人物であったという。こういう人を小説の 題材として描くにはどうしても周囲で接した人々の証言が重要な鍵となってくる。著者はそれが為に多くの米内を知る人の証言・伝聞を調べ上げ、彼の事績をつ むいでゆく手法をとった。 前半中盤までそのエピソードや人の証言、文献の引用が多いため、読むに少し辟易する部分もある。しかし、後半、米内が小磯国昭内閣海相として政界に復 帰、終戦に尽力する過程から物語に哀愁が帯び始める。米内のよい部分もマイナスとなるエピソードも、総合的に書いて彼の人となりを浮かび上がらせるという 構成だが、最終的には成功しているといえる。阿川氏の小説手法は、題材とする人間の周囲を克明に描く事で、主人公の確かな手触り、実像を浮かび上がらせよ うとするものなのである。 日本最後の海軍大臣として、血圧250を越える身体で終戦の為に闘った米内。寡黙で断片的な発言が多かっただけに、その評価は分かれるところである。作 中でもその評価の二分した様が何度も描かれる。しかし米内自身の言葉に表れずとも、その意志の明確なる様を、周囲の人々の動きや言葉によってこの小説は強 く描きあげている。小説の題材になりにくい無口な主人公を「無私」ということを鍵に巧みに描きあげた本書は名著である。 大勢が誤った方向に進んでゆくとき、いかに己の考えを偏らせないで一定に貫くという事が難しいか、よくよく思い馳せてみれば米内のすさまじさが解る気が する。気力の充実した若いうちに読むことをおすすめしたい本である。
井上成美を書きたかったのか?井上成美で始まり、井上成美で終わります。200pまでは米内光政が主人公でなくてもいっこうにかまわない進め方 です。 基本的に海軍と天皇が善、陸軍が悪のイメージで話は進みます。特に、山本・井上・米内は殆ど善、だんだんいらいらしてきます。これは著者のエピ ソードを繋いでストーリを進めるという手法が私には合わなかったせいもあります。感情移入しにくかったです。 読み終わって、元々戦争において陸軍に悪い イメージを持っていたのですが。この本を読んで、大東亜戦争に負けたのは海軍が大きな要因で、戦争の実態を誤魔化していたのは海軍が大きな原因をしめてい たのではないかと思いました。
沈黙の提督
山本五十六、井上成美と並ぶ阿川氏の提 督三部作の一つ。国を挙げての熱狂の中、命を懸けて三国同盟に反対し、日 本を終戦に導いた沈黙の提督米内光政。私観を一切廃し、米内の半生が史実を元に淡々と描かれており、数々のエピソードを通じて、その苦悩、その人柄を窺い 知ることができる。狂騒の時代に、軍政家としてでなく人としてよくぞ冷静なる判断を下してくれた、と読後に一服の清涼感さえ覚える一書である。
』
● 巻末 阿川弘之自選作品
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