2009年2月3日火曜日

本の書き込み:きれいに読むことはない

  
● 書き込まれた文
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 本を開いたら、カバーの折り返しのところに
読者の書き込みがあった。
 ひじょうに珍しい。
 鉛筆で日付は「1991.8」
 この本は1990年09月印刷発行の初版本。
 よって、発行されてすぐ買って読んだということのようです。

 名前は「サンヅイ」に「皆」かと思うのですが、正しくはわかりません。
 手持ちのイージーなコンピュータ辞書にないもので。
 書き込みを画像で載せてありますので、みてください。
 辞書にあるものでちかいものは「潜」で、とりあえずこれを当てておきました。


 最近とても読みたくて読んだ本です。
 私は時々、男になりたいと思うんです。
 子供の頃もそう思ってたから(兄ばかりのせいでしょう)、女の方が得だと兄達は言いました。
 でも、この頃は女とか男ではなく、人間はみんな同じかなと思ったり、性別のない仏様がいいと思ったり。
 でもこの作家、男だな-と思います。
 うらやましい。
     1991.8.       潜子


 「この作家、男だな-と思います」と。
 重たい言葉である。

 
日野啓三の「どこでもないどこか」
 もちろん古本で買ったもの。
 ちょっと中身を抜粋で。


● どこでもないどこか


 東京は映像に食いつくされている。
 東京はすでに映像の廃墟だ。

 ソウル
 ここでは多くのものが「いかにも」本物だ。
 多分、人たちは自分の考えと行動の多くの部分を意識しているのだろう。
 はっきり、言葉にするだろう。
 自分が毎日みている街の姿さえ怪しんでいるような人間はいないらしい‥‥。

 東京そのものが方向も意味も見定め難いまま、自分でもよくわからない未来へと、のめり出し始めている、そう思う。
 この無意識さ、無方向さ、本物らしさの希薄さが東京なのだ。
 明確には気がつかないうちに、1980年代に入ってから、ある一線を越えてしまったに違いない。

 表現するということ、
 生きるということを無限に越え出てゆく、
 少なくとも越え続けてようこうとする人間がいなかったら、
 何となく生きて、
 何となく書いて、
 何となく死んでゆくだけの者ばかりだったら、
 人間なんて何の意味があるのか。
 ひと思いに滅んだ方がよいのではあるまいか。

 彼の写真は、そこに何が写っているかということより、
 何が写されていないかということ、
 ファインダーの外に追い出されたものの方が重要なのだ。
 東京は写っていない。

 写真集をくり返し眺めていると、たとえ地の果てまで出かけたとしても、これ以上、カメラを通して世界を越えてゆけるか、という疑問が自然に浮かんでくる。
 才能は純粋であればあるほど、自分が到達できる究極の状態をも予感してしまうらしい。
 自分の才能の限界ではない。
 その「表現手段に固有の限界」をだ。

 「無意味と偶然に耐えられぬ人間たち」は、星座などという形を勝手に仮構する。
 恒星と星雲とが、地球からほぼ同じ程度の明るさに並んで見える、ということだけのことで。
 歴史というものはそんなものではないか。
 個人の生涯も。
 闇に消え残った幾つかの記憶の陰影を、意味ありげに結びつけて、一つの筋道と物語をつくり上げる。
 いまの自分の期待、悔恨、幻想にしたがって、くり返し作り直す。

 「ここでもなく、あそこでもなく、どこでもないどこか」、
という言葉を、熱気と絶望のたそがれの街をさまよい歩きながら、憑かれたように呟き続けていた‥‥。



 昔から「本はきれいに読む」ものであると教えられてきた。
 「書き込み」などとんでもない、と。
 でも、昨今はそうだろうかと疑問視しています。
 本が貴重品で高かった時代ならいざしらず、このご時世です。

 子どもの頃は街の何処にでも印刷屋さんがあって、数人の職人さんが棚から小さな鉛の活字を拾っていました。
 そして、朝から晩までバッタンバッタンと紙を繰る音が鳴り響いていました。
 友だちのお母さんは製本の内職をしていました。
 1mくらいの印刷された紙がドサリと持ち込まれ、それをページにあわせて竹べらで折っていく作業です。
 そんな時代では本は限りなく貴重でした。

 でも印刷屋さんの大半は町から消えました。
 せいぜい名刺やレターペーパーを作ってくれる印刷屋さんしかありません。
 その印刷屋さんも単に取り次ぐだけ。
 実際の印刷はしていない。

 今はコンピュータの世の中。
 文書データがストックされているデイスクをいれるとあっという間に印刷ができます。
 家庭でも本が作れるほどです。
 本はどのくらい安くなったのだろうか。
 手間のかかる印刷屋さんの人件費はきれいになくなった。
 すべてについていえるが、モノの値段の半分は人件費が占めている。
 それが限りなく少なくなっていけば、相当に安価になる。

 昔、平均賃金とは「大工さん一日の手間賃」を基準にしていた。
 いまもそうなのだろうか。
 判りやすいせいか、あるいはデータが比較的正確であるという条件からか、新規大卒者の平均年収を基準にしてしまうのが今日このごろである。 

 たとえばこの本、1990年印刷で210ページで「1,300円」とある。
 16年後
(2006年)の直木賞をとった東野圭吾の「容疑者Xの献心」は、352ページで「1,600円」である。
 逆にさかのぼること15年の1975年の石川達三の「金環食」は、266ページで「880円」とある。  
 30年で本の値段は倍にしかなっていない。
 大卒の初任給は何倍にあがったか。
 読み捨ての文庫本もでているのが昨今の出版事情。
 ブックオフなどの中古本店が軒を連らねるている。
 さほどに、膨大な書籍が巷に溢れている。
 きれいに読んで飾っておくのは、住宅スペースの無駄遣いになってくる。

 辞書もきれいに使えとも言われました。
 でも、子どもには
 「辞書は汚く使え」
といってきました。
 辞書は個人個人が持つものです。
 お兄ちゃんのものを妹が使うといったことは、はるかな時の向こうのことで、今ではもはやないでしょう。
 私はひく度に赤鉛筆でアンダーラインを引いていきました。
 他人のもっている辞書があまりにきれいだと、
 「こいつは辞書を引かないで判るほどの天才か、それともアクセサリーで引いたこともないほどのバカか」
と思ったほどです。

 一般に読書というのは、主にストーリーだけを追うものになりやすい。
 刑事もの、冒険もの、スパイもの、恋愛もの、推理小説もの、ホラーもの、時代劇もの、みな同じ。
 そして、どこかでハッピーエンドで終わることを期待している。
 もしそれが、ハッピーエンドでなければ「**賞」という候補になる。
 ストーリーを追わないということは、登場人物の心理を追うことになる。
 その心理描写が「
**賞」の重要な基準になる。

 知っている方がテレビ界をベースにした小説を書いて出版した。
 その本をもらった。
 通常なら裏に著者のサインがあるものであるが、それがなかった。
 「いわく、書き込みがあるとブックオフで安くなるから」
 ストーリーものは読んですぐブックオフとなる。
 ナナメに読んでもかまわない、時間つぶし。
 「きれいに読む」とは、「高く売る」意味ではなかったはずだが。

 でも心理モノとなるとそうはいかない。
 行間にキラリと光る文章があったり、本全体が一体となってはじめてその息づかいが聞こえてきたりするからだ。
 そして読む時期にも大きく左右される。
 同じものを十年の月日をおいて読むと、まるで違った感想が生まれてくる。
 自分の成長か、あるいは老化が目に見えてわかる。

 よって、心理モノは読んですぐにブックオフとはなりにくい。
 この本、その典型。
 何時読んだかで心の琴線に触れるか否かが決まってくる。
 衝撃がなければ、「何を言っているのだろう」とブックオフへ。
 胸にひびけばバイブルほどにもなる。
 
 胸に響いたなら、「書き込みをすべきである」
 「本は汚く読め」
 汚く読んだ本はブックオフにはいかない。
 十年後、あるいは二十年後、その書き込みが己が人生をふりかえる糧になる。
 古本の面白さは、この書き込みにある。
 前の読者の感想心理がはるかな時を経て、文字という媒体を通じてのぞける。
 きれいに読んだ本にはそれがない。
 きれいに読んだ本には感動がない。
 きれいな古本が欲しかったらamazonで買えばいい。
 つまり古本という名の新本。

 久しぶりにで会った感激。
 「書き込み」
 本が生きてくる。
 ささやきかけてくる。
 うれしくなってくる。
 1991年、今から18年まえの書き込み。
 その感動が短い文の中から甦ってくる。
 心が通じ合ってくる。

 書き込みをされた方が18年後の今、この本を読むチャンスがあったら
 「
この作家、男だな-と思います
と、同じ感慨をもらすだろうか。
 それを想像するだけでもうきうきしてくる。

 きれいな本はモノ。
 書き込みがあると、ヒトになる。
 字間に「人」が見えてくる。

 きれいに読む必要はない



 日野啓三を Wikipedia から。

 東京生まれ。
 父親の仕事の関係で小中学校を朝鮮で暮らし、敗戦後父親の故郷、広島県福山市に引き揚げ、東京大学文学部社会学科卒業。
 読売新聞社外報部に勤めて、ベトナム戦争中のサイゴン、また軍政下のソウル特派員として取材し、作家の開高健らと知り合う。

 文芸評論を書いた後、戦争体験や韓国女性との結婚を題材に小説を書き始め、1974年『此岸の家』で「平林たい子文学賞」、1975年「あの夕陽」で芥川賞受賞。

その後1982年、幻想的作風の『抱擁』で泉鏡花文学賞、1986年『砂丘が動くように』で谷崎潤一郎賞、『夢の島』で芸術選奨文部大臣賞。

 1987年芥川賞の選考委員に加わる。
 1993年、癌に侵され、その体験を描いた『台風の眼』で野間文芸賞で、1996年近未来小説『光』で読売文学賞、2000年、芸術院賞、日本芸術院会員。
 ほかに代表作として『天窓のあるガレージ』がある。

 2002年10月14日大腸癌にて死去するまで読売新聞社編集委員の地位にあった。
 葬儀委員長は詩人の大岡信がをつとめた。

 アニメや漫画に対しても関心を抱き、「伝説巨神イデオン」「装甲騎兵ボトムズ」などを絶賛するなど、優れた作品に対しては相応の評価をしたが、「若者に媚びているだけ」という批判もあった。




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