2009年2月20日金曜日

美の科学:美しいものは生き残る


● 美の科学:美しいものは生き残る

 

 1年半くらい前のことだと思う。
 新しい日本食料品店のGマートがオープンした。
 そこに、この本があった。
 手にしてパラパラとページをめくったが購入はしなかった。
 
「なぜ美人ばかりが得をするのか」この題名が気にいらなかったのである。
 2週間ほどして行ったら、まだ売れずにあった。
 ならばということで買った。
 $1.50、日本円で150円ほど。
 買ったはいいがそのまま棚に置かれたままであった。

 今回、はじめて読んでみた。
 面白い。
 名前からして、ミーハーかウラっぽいかのどちらかだろうと思っていたが、ちゃんとした専門学術研究書であった。


● 2001/02


● 原本 1999
 SURVIVAL OF THE PRETTIEST
   The Science of Beauty


 読み終わってから、インターネットを検索した。
 小説類とはちがって、しっかりとした理論的意見が数多く公開されていた。
 そのいくつかをを抜粋で載せておきます。
 興味がなければ読み飛ばしてください。


★ 関心空間
http://www.kanshin.com/keyword/927948

 原題は「美しいものは生き残る。美の科学」
 著者(ハーヴァード大)も訳者も女性で、その分、シビアな客観性。
 健康・強さ・生殖能力の高さ、健康な子供をつくるという生物として求められる能力、身の回りの生活の中でも、映画・TVをみても、ビジュアルは別格。
 美とはなにかという話はあるが、生後3ヶ月の赤ちゃんでも美女がわかるというすごさ。

 進化の過程で生存のために選択されてきた感覚としての美を解説した書。
 たっぷりいろいろな事例を紹介していている、洋の東西を問わず美は追求されるし、見た目で人を判断するのは人のつね、人を見て人を判断するのはもともと人に備わった能力と写真家の橋口譲二氏も述べるところ、人相は人を語るのは、うなずけます。
人は美しいものが好きなんです、美を求めるサガ。可愛いという言葉も同じ。

 認知科学の最新研究と、進化心理学の知見をもとに、古代の美の定義から、男女の性戦略、育児の秘密、美容整形事情にいたるまで、広範なエピソードをまじえて美の本質に迫り、美しさの謎を解く画期的な本。

---目次---
1章: なにが美しさをきめるのか
 美を数値であらわそうとした人たち、悪魔の美しさと神の美しさ、ほか
2章 :美人は赤ん坊にでもわかる
 本能か学習か、生まれつきの不平等、セックスにおける美の効果 ほか
3章: 男は写真で、女は履歴で相手を選ぶ
 美にひそむ進化の働き、美人はしあわせか ほか
4章 :人はなぜ髪と肌にこだわるのか
 隠すか・見せるか、ブロンド美人は天使か悪女か ほか
5章 :顔は多くを物語る
 風土と顔の造作の関係、美しさを感知する脳の働き ほか
6章 :サイズが肝心
 くびれたウエストはなぜ好まれるのか、やせた体・太った体 ほか
7章 :ファッションの誘惑
 おしゃべりな服、スーパーモデルとブランドものの体 ほか
8章 :声、しぐさ、匂い、そしてフェロモン
 美の体験は思考をとめる、美を生みだすもの  ほか




★ 古本屋の殴り書き
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20080519/p1

 「まともなコラムニストが読めば、死ぬまでネタには困らないだろう」――と思わせるほど、てんこ盛りの内容だ。
 タイトルはやや軽薄だが、内容は“濃厚なチョコレートケーキ”にも似ていて、喉の渇きを覚えるほどだ。
 著者は心理学者だが、守備範囲の広さ、興味の多様さ、データの豊富さに圧倒される。
 アメリカ人の著作は、プラグマテイズムとマーケテイングが根付いていることを窺わせるものが多い。


 人びとは美の名のもとに極端なことにも走る。
 美しさのためなら投資を惜しまず、危険をものともしない。
 まるで命がかかっているかのようだ。
 ブラジルでは、兵士の数よりエイヴォン・レディ(エイヴォン化粧品の女性訪問販売員)のほうが多い。
 アメリカでは教育や福祉以上に、美容にお金がつぎこまれる。
 莫大な量の化粧品――1分あたり口紅が1484本、スキンケア製品2055個――が、売られている。アフリカのカラハリ砂漠のブッシュマンは、旱魃(かんばつ)のときでも動物の脂肪を塗って肌をうるおわせる。
 フランスでは1715年に、貴族が神にふりかけるために小麦粉を使ったおかげで食糧難になり、暴動が起きた。
 美しく飾るための小麦粉の備蓄は、フランス革命でようやく終わりを告げたのだった。
」 
 最初っから最後までこんな調子だ。
 学術的な本なんだが、「美の博物館」といった趣きがある。
 雑学本として読むことも十分可能だ。
 それでいて文章が洗練されているんだから凄い。

 手っ取り早く結論を言ってしまうが、「美人が得をする」のは遺伝子の恵みであり、進化上の勝利のなせる業(わざ)だった。

 美は普遍的的な人間の経験の一部であり、喜びを誘い、注意を引きつけ、種の保存を確実にするための行動を促すもの、ということだ。 

 美にたいする人間の敏感さは本性であり、言い換えれば、自然の選択がつくりあげた脳回路の作用なのだ。

 私たちがなめらかな肌、ゆたかで艶(つや)のある髪、くびれた腰、左右対称の体を好ましく感じるのは、進化の過程の中で、これらの特徴に目をとめ、そうした体の持ち主を配偶者に選ぶほうが子孫を残す確立が高かったからだ。

 私たちはその子孫である。

 科学的アプローチをしているため、結構えげつないことも書いている。
 例えば、元気で容姿が可愛い赤ちゃんほど親に可愛がられる傾向が顕著だという。
 つまり、見てくれのよくない子に対しては本能的に「劣った遺伝情報」と判断していることになる。
 更に、家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高い。

 ビックリしたのだが、生後間もない赤ん坊でも美人は判るらしい。
 実験をすると見つめる時間がが長くなるそうだ。
 しかも人種に関わりなく。
 するってえと、やはり美は文化ではなく本能ということになる。
 また背の高さがが、就職や出世に影響するというデータも紹介されている。
 読んでいると、世間が差別によって形成されていることを痛感する。
 そう、「美は生まれながらの差別」なのだ。
 ただし、それは飽くまでも「外見」の話だ。
 しかも、その価値は異性に対して力を発揮するものだ。
 当然、「美人ではあるが馬鹿」といったタイプや、「顔はキレイだが本性は女狐(めぎつね)」みたいな者もいる。
 男性であれば、結婚詐欺師など。


 人びとは暗黙のうちに、美は善でもあるはずだと仮定している。
 そのほうが美しさに惹かれるときに気持ちがよく、正しい世界に感じられる。
 だが、それでは人間の本性にある矛盾や意外性は否定されてしまう。
 心理学者ロジャー・ブラウンは書いている。
 「なぜ、たとえばリヒャルト・ワーグナーの謎に関する本が2万2000種類も書けるのか。
  その謎とは、崇高な音楽(『パルジファル』)や高貴でロマンチックなな音楽(『ローエングリン』)、おだやかな上質のユーモアにあふれる音楽(『マイス タージンガー』)を書けた男が、なぜ熱心な反ユダヤ主義者で、誠実な友人の妻(コジマ・フォン・ビューロー)を誘惑し、嘘つき、ペテン師、策士、極端な自 己中心主義者、遊蕩(ゆうとう)者でもあったかということだ。
 だが、それがいったい意外なことだろうか。
 本当の謎は、経験を積み、人格や才能にはさまざまな矛盾がまじりあうことを承知しているはずの人びとが、人格は
道徳的に一貫しているべきだと信じている、あるいは信じるふりをしていることだ。






★ Ania雑記
http://gabbiano.exblog.jp/7985826/

 若者の顔をみていたら、彼らの顔はひところより男女の差がなくなっているなあと感じる。
 男の子の顔がやさしげだ。女性に近づいているような感じ。
 それは変化、遺伝子戦略となり進化の方向になるのだろうか。

 で、数年前に購入した本を思い出しました。
 脳、認知科学の研究者で心理学博士ナンシー・エトコフ著の本書。
 原題は「SURVIVAL OF THE PRETTIEST:The Sciece of Beauty」。
 話題それますが、英語が超苦手な私でも読んだあとで、この邦題に「なぜ美人ばかりが得をするのか」は違うんじゃないのか?

 本書の紹介文が

 認知科学の最新研究と、進化心理学の知見をもとに、古代の美の定義から、男女の性戦略、育児の秘密、美容整形事情にいたるまで、広範なエピソードをまじえて美の本質に迫り、美しさの謎を解く

 なら、生存、戦略、なんかの言葉を使った方が内容をよくあらわしていると思う。
 邦題のほうが手に取る人も多いのかもしれませんが。

 内容は面白いです。
 ですが本としては若干中途半端な印象です。
 一般向けの解説文なのか、学術書なのか方向性がいまいち明確じゃない。
 美に関する引用論文のデパートにちょっとしたエピソードが加えてある感じ(まあ深く知りたければ引用論文を読めばいいのだけれど。)
 これは論文じゃなくて一冊の本にまとめたってことは、著者は何かを伝えたかったに違いないと思うのだけれど、はたしてそれは何なのだろうか~と、はたと思まいました。
 各章は興味深いく面白い内容です。

 で、最初戻って、顔のつくりにおける「美」とは「平均」という話。
 研究調査結果によれば、文化圏をまたがっての「美」とはシンメトリーであり平均である。
 つまりは、私たちはシンメトリーであり平均であることを「美」と感じているのか。

 シンメトリーは、生き物としての生物学的、遺伝的な面から説明がつき抵抗力・生存能力・生殖能力が高いということのシグナルであり、それが総合的な最適性の目安となる。
 平均化された顔を美しいと感じる傾向は、複数の文化圏をまたがっても意見の一致がみられ、同一文化圏だとより強く一致する調査結果とのこと。
 平均は、人間の 心の中にある「まざりあった記憶が作り出す典型的イメージ」の複製であり、「複数の人間の顔を平均すると個人個人の顔の欠点が取り除かれる」。
 そういえば年末にオダギリジョーと結婚を発表した香椎由宇ちゃんは100万人に一人という左右対称性を持つ顔なんだそうな。

 さらに。
 女性の場合は平均より、より女らしい特徴を強調したほうがより魅力的であるという調査結果に対し、一部の研究では男性の場合はわずかに女性化された顔のほうが魅力を感じる結果もあるらしいのです。
 なるほど~。そんな感じがしますです。
 タッキーやら岡田君やらHey!Say!JUMPの山田君とかは、女の子のように優しげな顔ですもん!
 ヨンさまなんか非難浴びるのを覚悟で言えば、おばさま顔だと思うもの。

 しかし。
 シ ンメトリーで平均に近い顔は生存能力の高い配偶者の目印となるけれど、魅力的な異性は必ずしも誠実ではないわけですよ。
 それは別物。
 だって逆に美しさを武 器に強い生殖能力を持って今まで生きのびてきたわけだから、いっぱい子孫を残そうとしそうですよ。
 一緒に生きていくパートナーとしてはいかがなものか、と 思うわけです。
 まあ、美しい顔立ちの人ってそんなにたくさんいるわけじゃないから、美以外の他の能力に長ける戦略を持つ遺伝子君も、がんばっているわけですね。
 だからバランスする。

 著者は最後に、美人ではなかったけれど抑制と知識と誇りと力をもつ作家のジョージ・エリオットと恋人たちのエピソードを例にあげ、
  「美は訪れを待つものではない。美は生み出すものだ。」
と締めくくっています。

 しかしながら「生み出された美」を本当に理解する、される ためにはかなりの知性が必要ではないかと思われるのです。
 目一杯前向きに考えると「美」というより「魅力的」になるためには、やはり日々自分を磨くことが大事なんですね!
 でも、目的が平均からの差異を埋めるためだけじゃなく、より美しいパートナーを求めるためだけでなく、いや、そうなってしまったとしても(うははは)、「美を生み出す」こと自体に向かう、「魅力的」化はそのおまけ、のほうが楽しいもんね!




★ AmlethMachina's Headdoverheels
http://amleth.blog119.fc2.com/blog-entry-129.html

 生き延びるものが一番かわいいーなぜ美人ばかりが得をするのかー
 ナンシー・エトコフ著「なぜ美人ばかりが得をするのか」(草思社)の話である。

 はっ きり言ってこの邦題はヒドすぎる。
 原題は「適者生存(Survivalof the fittest)」をモジって「Survival of the prettiest」。
 「美しいものは生き残る」あるいは「適美生存」、はっきり「生き延びるものが一番かわいい」とした方がいいと思う。

 いわゆる通俗的な脳本とは一線を画す非常に学術的な内容であり、進化心理学、行動心理学的なコンテクストから美人(美男)であるということがどういうことなのかから始まり社会学的なコンテクストにまで展開する。

 こ の中では「生存に有利な形質を選択する行為が美しい、魅力的だと感じることの本質なのだ」という種の保存に忠実な身も蓋もない理論が展開される。
 一切観念 的な美については議論されることはない、潔いほど。
 ここでは赤ちゃんでさえ無制限に可愛いとは定義されない。
 生き残る可能性の高い赤ちゃんを可愛いとする 心理的メカニズムが展開される。

 「美人だから得をする」ということではなく「生き残る可能性の高い特徴を魅力的、美しいと感じるメカニズ ム」についての言及なのだ。
 だから、「生物学的な生存競争に直接さらされることのない現在、社会的コンテクストにおいて如何なる要素が生存に有利だと判断 されるのか」ということが後半で展開されていく。
 この著作の前半では生物学的美が敢然として存在するかのように見える。
 しかし、このメカニズムを字義通り 解釈すると全ての環境に適応可能な遺伝形質が存在しないように観念的な理想美は否定される。
 単に社会を含む生存環境に最も適応する形質や象徴を魅力的だと 感じるという以上の意味はない。
 
軽く読めるし、馬鹿バラエティ番組、何十本分のネタが詰まっており、読む人の抽斗に応じていくらでも展開 できそうな内容だと思う。
 またタンク・ガールやらココ・シャネル、アレクサンダー・マックイーン、ガリアーノ、アントワープ6への言及ぶりがツボを押さえ ていて個人的にはポイント高いぞ。





★ 得にならない美をめぐる考察
http://www006.upp.so-net.ne.jp/ott/bookreview15.htm

 どういう風に紹介したらいいか、ちょっと迷う本だ。「お手軽な似非科学本」とか「チープなダーウィニズムの臭いがする俗悪な読み物」とでも言ってしまえば簡単に通りそうだが、それだけではちょっともったないな気もするのだ。
  ちょっと手にとるのがためらわれるような表紙をめくってみよう。

 第一章で著者はこう言う。「多くの知識人は美はとるに足りないものだと指摘する」。普通そ ういう認識はなかなか共有できないと思うのだが、そんな「知識人」の代表として挙げられているのが、アメリカのフェミニスト、ナオミ・ウルフの著作『美の陰謀』である。なんとまあ。やはりアメリカのフェミニズムはそれだけ力があるということか?
 『美の陰謀』はなかなか面白い本だ。

  この本は美がこの社会のなかでいかに機能しているか、を説いた本。「男性社会」は女性の美を礼賛することで、女性の欲 望をその中に限定し、男性が女性を支配しているという社会のあり方を隠蔽し、そのシステムを維持する。現代において、美は金儲けの手段であり、この社会の あり方を存続させるための強力な切り札である、というような。美しくなろうとして化粧やダイエットに投資しつづける女性は、男性に搾取されている、という のだ。
  確かに、現代のアメリカを代表するフェミニストが書いただけあって、素晴らしく威勢がよくて、やや乱暴な書き方ともいえる。読んでいると、あたかもどこか の男性たちが共謀して美という概念を作り出したかのような錯覚さえ、おぼえる。もちろん、ちょっと筆がすべってしまったとしても、ナオミ・ウルフはそんな ことを言いたいわけではない。
  でも、そんな錯覚がありえてしまうくらい、私たちは「美とは何か(この場合あくまでも人間の)」についてはっきりと理解していないし、そのことを正面から 考えないことに慣れきってしまっている。この本の著者はそこに苛立っていたのであろう。じゃあ、科学的に「美」をとらえるとしたら、それは何なのか。簡単 にいうと、この本の狙いはそこにある。
  よく考えてみると、確かに人の美しさには、タブーと言えるような側面がある。女性誌などに載っている有名女優やモデルのインタビューなどの取り上げ方ひと つを見ても、彼女の美しさをあくまでもモノとして、あるいは生物学的なものとして限定することはありえない。書き手は、意識してか、あるいは無意識のうち にか、その美しさをその人間の内面的なものの現れとして描こうとする。あるいは、美しさはときに服装や化粧といったものの効果にすり替えられる。人の美し さはただ見れば自明のことであるから、であろうか。それにしても、なんだかちょっと気持ち悪い。
 著者は同じような事例として、相手が美人であるときとそうでないときの人々の対応の違いに触れている。つまり、人は外見の美しさをたびたび、別の性質(たとえば頭のよさ、性格のよさ)と混同してしまうということだ。

  そんなわけで、著者は人間の美しさについて、それをひたすら生物学的な特徴として考察する。シンメトリー、皮膚の肌理、肉づきのよさ、などなど。それは若 さとか、健康とか、生物としての強さとか、そういう言葉に置き換えられるものだ。人間は先天的にこの「美しさ」というものを感知する能力をもっている、と いうことだ。
  美しさは文化的な概念だとか、美しさは見る側のなかに存在するとか、そういういわば「文系的な」美のとらえ方と真っ向から対峙しようとする。それはそれで 結構いさぎよい態度なのではないか、と僕はちょっと感心した。細かい議論はチープだし、論証の過程などはかなり杜撰ではあるけれども、先にふれた「美をめ ぐるタブー」に挑戦する試みとしては、評価できるのはないか。
「心 がけが容姿に現れる」とか「自分を磨く」「美しさを手に入れる」といった常套句はまさにこの生物学的な「美しさ」を隠蔽するための言葉といっていい。そう 考えると、人の美しさをあくまでも生物学的な特徴と考えることは、フェミニストであるナオミ・ウルフの主張とも重なってくるのではないか? なんだかおか しなことになってしまった。

「美」はあまりにも多くの意味を引き受けた言葉だ。

おまけに、何を美しいと思うかは、プライヴァシーの領域というか、神秘的な領域として守られている。だからこそ「陰謀」が成り立つということは確かだ。
  もちろん、ナオミ・ウルフをはじめフェミニストたちがこの本を受け入れる見込みはまったくない。なんといっても著者は、男が女を容姿で選ぶのは生物の行動 として根拠がある、などと言っているのだから。その結果、世の女性たちが血眼になって男性を惹きつけるために化粧やらエステやらに投資するのは当然とい う、結論になる(本書)。





★ まずは読め。話はそれからだ。
http://skywriterbook.blog68.fc2.com/blog-entry-310.html

 誰もが美人を好きでありながら、美人だから許されることがあるんだとは 言えないのが社会通念だ。
 しかし、我々が生きるリアルな世界はヒトの評価が外見で左右されるべきではないという理想を拒絶する。

 本書で 指摘されているのは実に驚くべきほどの、美人と美人以外との間にある壁である。
 命の瀬戸際にあって、美人は不美人より助けを与えられる可能性が高い。
 当然 のことながらセックスや結婚の機会は美人が圧倒的に多い。
 男で言えば、美男は他の人より給料が高く、出世する傾向にある。
 たとえ能力が同じだったとして も。

 どれほど見識ある人々が他人を外見で判断してはいけないと述べたとしても、悲しいほどに外見に囚われるのが人類なのだ。
 はっきり 言って、これらの事実を前にすると「外見で判断せず中身で判断して欲しい」などと言いながら髪を染めたり相応しい服装を取らないなどの“反抗的と思われる ”行動をとるのは大間違いであるということになる。

 美人であるかどうかは悲しくなるほどに我々の生活を左右し、操るものなのだ。
 なにせ、赤ん坊ですら美人と不美人を判定して美人を長く見つめるという。
 ここまでくると、美人好きは遺伝子に組み込まれたシステムで、無視するわけにはいかないということが分かるだろう。

  本書はそんなある意味で救い難い命題がどれほど威力を持っているのかを紹介している。
 美しさとはどのようなものなのか、美しい人々はどのような得をしてい るのか、美人であることと幸せであることはどう結びつくのか。
 どうしようもなく自分の外見に囚われずにはいられない性を持つ我々には身につまされる話が多 い。
 そして、同時に自分たちの意識しない本性に気づくきっかけにもなる。

 残念なことに見た目ほど重要なファクターはない、と言っても過 言ではないのがこの世の中で、それはそれで諦めるしかないことなのだろう。
 類人猿が人類へとつながる進化を遂げる過程の中で、美人を選ぶことの利点が生物 学的に組み込まれてしまっているのであれば、その事実から目をそらしても仕方が無い。
 中身が勝負だなどという前に、まずは現実から見つめるという意味で大 変に役に立つ本だろう。

 顔の造形だけではなく、ファッションやスタイルなどの外見、フェロモンなどの嗅覚への刺激、声の調子など、およそ美について当てはまるものであれば広く取り上げているのも面白い。
 こうして美と美がもたらす影響について考えてみるのもいいだろう。

  とかいいつつ、個人的には権力欲も金銭欲もほとんど無く、色欲も人並みより劣る私には読み物としては面白かったのだけれども自分の身で切実に考えるには至 らなかった。
 とはいえ、中身はダメ人間だけど一見すると真面目そうな外見と長身痩躯であることは面接に強い理由になっているのかもしれない。
 だとしたら、 今の奴隷労働的な状況から抜け出すのに、良い資質をもっているのかも。かも。
 さあ、頑張ろう!(なにを?)




★ 京都大学生協書評誌/綴葉 2004年10月号
http://www.s-coop.net/teiyo/0410/tokushu.html

なぜ美人ばかりが得をするのか
ナンシー・エトコフ著 木村博江訳 草思社

 アテネ・オリンピックの新体操を見ていた時、友人の一人が言った。「やっぱり同じくらい技術があればきれいな人の方が得だね」と。
 採点に関してそれはな いし、そもそも「きれいな人」とは白人のことか、と思いつつも、その意見を完全に否定するのは意外に難しいと感じた。
 私たちは何を「美」と感じ、そのこと が他のことへの判断にどの程度影響するのだろう。

 著者は心理学者で、本書の分析は認知科学と進化心理学の成果を取り入れたものである。
 帯には「『美人』のナゾを科学が解く!美しさのヴェールをはがす最 新理論」などと書いてある。
 しかし、本書を読み終わったとき、これは「美しさのヴェールをはがす最新理論」などではないと感じた。
 何故なら、本書で明らか にされている「理論」というのは、生殖能力の高さを示す特徴を美と感じる、といった最新でも何でもないものだからである。
 むしろ、本書の面白さは「美しさのヴェールをはがす」ことにではなく、そのヴェールをエッセーのような形で紹介している点である。
 「美人は善人か」「女 性ヌードは誰が見るのか」「女は管理職に向かないか」「刺青やピアスのメッセージ」「ブロンド美人は天使か悪魔か」「やせた体、太った体」「デザイナー信 仰」「声の魅力」…などなど。
 これを見ると「美」の「本質」が生殖に結びついた単純なものであるにしても、それを取り巻く「現象」は文化や時代によって大 きく異なることがわかる。
 特にファッションやステータス効果に関する事例と考察は興味深い。
 本書が訳者の言うほど「科学的」なものであるかはいささか疑問である。
 しかし、ユーモアに満ちた「美」のアンソロジーとしては魅力的なものには違いない。(柳)




★ ちょっと厳しいポップ心理学 2001/3/31 
http://www.ywad.com/books/928.html

 「美人」あるいは「人の美しさ」をテーマとするポップ心理学。

 行動生態学・進化心理学の知見をベースにしている、『優生学の復活?』が心配しているような「生物学的決定論」寄りの本で、このジャンルだととりわけフェミニズム流の文化的決定論が仮想敵となる。

  翻訳出版の時点で削除されたのかもしれないが、参考文献・引用文献のリストがないこともあって、隙が大きすぎるという印象を与える本だった。特 に、人間を被験者とする心理学的実験や調査の結果をどのように引用して利用するかという点での難しさを痛感した。偏見であることを承知で言えば、その手の 研究は結論先にあっての予定調和的なものが少なくなく、それらを本書のような明確な主張を打ち出す本の根拠として引用するのは八百長くさいのである。

 また、著者はアメリカ人であり、これはアメリカ人の読者を対象として書かれた大衆向けポップ心理学の本なのだが、日本人の立場として読んでいると、自文化中心主義からの脱却がいかに難しいかということがよくわかる。最近では『銃・病原菌・鉄』に関して同じような苦情を述べたが、こちらはもっとまずい。まあ、竹内久美子級の本ということで。

  なお、訳者あとがきから、訳者が原題の意味を理解していない様子がみてとれる。"Survival of the Prettiest"は、"Survival of the Fittest"、すなわち「適者生存」(または「最適者生存」)と訳される言葉をもじったものだ。


 いろいいろな方がいろいろな感想をかかれています。
 私が読み終わってちょっとうれしかったのは、引用されている著作に若いときに読んだもがあったことです。

 デイズモンド・モリス「裸のサル」
 ソースタイン・ヴェブレン「有閑階級の理論」

 これにデビッド・リースマン「孤独な大衆」とか、E・H・フロム「自由からの逃亡」などを加えると、学生時代のテキストになってしまいます。



 この本に挟み込まれたいた草思社の2001・2の出版案内をコピーしておきます。





 


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