2009年2月25日水曜日

雪ダルマとハーフマラソン

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● お雛様


 ブログでいかにもつまらないのは、その人や家族の写真、あるいは友人の写真などが満載されていて、内容があまりにも個人的なもの。
 「別にアンタの写真など見たくはないよ」
と、思ってしまう。
 ちょうど、他人の家にいってアルバムを見せられるときの心境と同じ。
 でもブログって、日記なのだからそうなってしまって当然なのだが。
 でもやはり他人が読むと、「間違いなくつまらない」

 今回の内容はその典型。
 利己的な内容で面白くありませんので、下記をクルックすれば抜け出られるようにしてあります。

【Home】


 まず、警告を発してから、おもむろにとりかかる。
 以降はアンタの責任。

 お雛様を飾った。
 娘はもう数年、日本で常住しているので、ここしばらくお雛様を出すことはなかった。
 が、最近まで干ばつを伝えられたこの地も今夏はとてつもない超異常気象。
 雨が降りっぱなし、蒸し暑く、その陽気につられてふだんなら赤茶けて見るも無残になる芝がボーボーになり、あまりに地面が水を含みやわらかすぎて芝刈りもできないほど。
 カビでも生えたらちょっとヤバイな思って、虫干しを兼ねて久しぶりにお雛様を出してみた。
 
 このお雛様の当のお相手たる娘は学校を終えて1年こちらで勤めたあと日本へいった。
 日本の空気が肌にあったのだろう、ズーと居付け続けになっている。
 それから1,2年たって私が久しぶりに日本に出かけたとき会ったら、プルンプルンに肥えていた。
 太ったのではなく、肥えたのである。
 「オー」と手をあげ、そのままごろりと畳に寝転んでしまった。
 何しろ体を動かすことが大儀に思えるほどのもの。
 「まるで雪ダルマ」
 コロコロとよく肥えたものだと、変に感心してしまった。
 色白なので、雪ダルマがピッタンコの「オスガタ」

 こちらで勤めていたころは、肉類は一切食べず、よって家族の食卓に姿を現すことはなかった。
 ために、娘と食卓を囲んだ記憶の映像がない。
 自分で作って皆の食事が終わってから一人ひっそりとささやかな食事をしていた。
 その娘がなぜに雪ダルマになってしまったのか。

 答えは和菓子。
 こちらで育ったため和菓子の味を十分に知らなかった。
 日本に住み始めて「こんなにうまいものがあるのか」と開眼。
 家人の実家がもらい物の多い家だったので、和菓子がくると一人で一箱あけてしまうほど。
 ついに動くのも大儀なほどの雪ダルマになってしまった。


 小学校から中学時代は十分な運動量をこなしていた。
 ハーフマラソンに出場したのは小学生のとき。
 1996年のこと。
 そして「2位」の栄冠に輝いている。
 ハーフマラソンというのは距離「21キロ」のランニング&ウオーキング。
 普通に歩くと5時間ほど。
 結構、長い。
 それを走ったり、歩いたりで3時間ほどで戻ってきた。
 なを、写真の電光掲示板は見るように故障している。
 ビッグイベントにしてはみっともない姿。


 カテゴリーは「14歳未満:Under 14」、つまり13歳以下。
 2位となれば「スゴイ」となるのだが。
 よくみてください。
 そのカテゴリーの参加者は2人。
 つまり「ビリ」。
 3位はいない。
 ちなみに1位は、日本から遠路このマラソンを走りにきた少女。

 2位の賞金はたしか「100ドル」
 娘はこれに「がんばったで賞」を加えて、欲しかったオーデイオを買った。
 Sanyo製。

 このとき着けたゼッケンが残っていましたので載せておきます。


 「749」、上の写真を拡大しますと、その番号がうかがえます。
 この裏にマイクロチップの取り扱いが載っている。
 このときすでに、マイクロチップが導入されていた。



 これ以下、終わりまでハーフマラソンの話が続きますので、興味のない方はクリックしてください。

【Home】



 翌年も参加する。
 ハイスクールに進学しているので、中学生である。
 が、「14歳未満」のカテゴリーが廃止されすべて「18歳未満」になってしまう。
 中学生が高校生にかなうわけがない。
 タイムは「3:28:56」で、前回より30分くらい悪い。
 どうしてだろう。

 
 なをタイムに「net time:ネットタイム」と「clock time:掲時タイム」がある。
 参加者が多いと先頭がスタートして、集団の最後尾がスタートラインにたどりつくまで数分かかることがある。
 そのハンデを修正するために「net time」があり、スタートラインを通過したときマイクロチップが動作をはじめ、ゴールラインを越えたときにチップがストップするという、実質のコース所要時間を計測している。
 公式タイムは掲時タイムであるが、カテゴリー順位はネットタイムで統計される。


 
 この年、泊まりがけのマラソン遠征をする。
 場所はサンシャインコーストでおこなわれた「ヌーサ・マラソン」



 現在、ヌーサマラソンはフルマラソンが廃止され「ヌーサ・ハーフマラソン」という名称になり、コースも海岸沿いの往復10kmのコースを2周する形に変わっている。
 このころはまだ一部の幹線道路を使っておこなわれていた。



 ヌーサマラソンは泉州マラソンと提携しており、日本の実業団選手も顔を見せていた。
 このときの優勝者は伴選手で、KURASHIKI-SHI とある。
 ヌーサ・マラソンがハーフマラソンに移行したため、泉州マラソンは現在、ゴールドコースト・エアーポート・マラソンとの提携に移っている。


● Noosa Marathon


 タイムは「2:51:48」と、ついに3時間を切ってくる。



 1998年、中学2年生。





 3年連続の出場。
 タイムは「2:45:35」



 この年はツーウンバに遠征し、ジエットコースター・コースに挑戦する。
 ツーウンバは「フラワーフェステイバル」で有名なところ。
 そのお祭りにあわせて、地元のランナーズクラブがハーフマラソン大会を開催する。

 「ジェットコースター・コースとはなに」
と思われるでしょう。
 下のコース案内を見てください。
 なんとポイントポイントに「海抜」が書き込まれているのです。
 こんなコース案内みたことありますか。




 最も低いところが「550m」、最高点が「710m」、高低差「160m」のコースになります。
 160mとはほぼ50階建てのビルの高さに相当する。
 15kmまでは上ったり下ったりで、いやになってくるコース。
 でも、面白い。
 上りの最後は40mを一気に上がる。
 この上りは鍛えてないとまず歩きになる。
 そして、下りの最後は南北ホントウに真直線の下り坂4キロを転げるように降りていく。
 が、下り終わってから約1キロほどの平坦路がある。
 これがとてつもなくキツイ。
 素人版「箱根駅伝:6区山下り」みたいなもの。
 下り坂のツケがくる。
 フクラハギがパンパンになっており、一歩歩くのもシンドイくらいの状態。
 強烈な足への負担で、下手にすると肉離れを起こす。


● フェステイバルで宿舎がとれず、街外れの商人宿に泊まる

 このコースで雪ダルマは念願の「カテゴリー優勝」を果たす。
 18歳未満のジュニヤ部門である。

 ただし、総合結果は「ビリ」
 皆が走り終わっているのに、まだ走っている(歩いている)。
 いったいどうしたのだろうと、オフィシャルがゴールから迎えにきたほど。
 ドローを楽しみに参加者は待っている。
 が、なかなかラストランナーがやってこない。
 前の走者が走り終わってから約40分後にゴール。
 その間のアナウンスは
 「いまだ女性のジュニヤチャンピオンは走っております」
だったとのこと。
 つまり、18歳未満での女性の参加者は娘一人だったということ。
 でも優勝には間違いない。
 ちなみにローカルイベントで賞金レースではないので、トロフィーのみ。
 所要時間「3:25:50」


● TOOWOOMBA HALF MARATHON 20-9-98
  1st FEMALE - U/18



 そして、中学3年生になる。
 中学最後のレースは「15歳以下」のカテゴリーで「3位」を獲得する。
 今度はビリではない。
 5人中3位である。
 そこそこ納得のレース。
 タイムも過去最高を出す。

 タイムは「2:39:58」


 この写真は公式のもので、下に金文字で「THE GOLD COAST COURAN COVE HALF MARATHON 1999」と印字されているが、コピーの際の光の具合で見難くなっている。
 拡大すると、わずかに判別できます。
 ゼッケン番号は「869」である。

 このときのカテゴリーチャンピオンは同じハイスクールの同学年生。
 彼女は朝礼の時間に校長からコールをうけ、学校賞を贈られた。
 娘はお呼びでなかった。
 変名でエントリーしていたため、入賞したことを校内の誰も知らなかったのである。
 日本からの参加者が多いレースなため、学校関係者はまるで気がつかなかったらしい。
 でも、同じハイスクールから入賞者が2名も出るとは珍しいことである。

 このレースにはさらに大きな話題がある。
 これは「JAL」がスポンサーになった最後のイベントであった。
 JALはスポンサー料を払い込んで、手を引いたのだが、主催者がどうもそのスポンサー料を飲んでしまったらしく、レース後、真っかっかな赤字を残して倒産。
 よって、レース賞金が未払いになった。


● 「3位賞金50ドル」が近々、小切手で支払われますという通知


 優勝したアフリカからの招待選手には賞金が支払われず、弁護士を通じて訴訟になった。
 であるからして、カテゴリー別の入賞者の賞金など支払われるはずもない。
 今後どうするか入賞者が集まってミーテイングをしましょうというレターが送られてきた。
 もちろん、中学生がいってどうなるものでもないので参加はしなかった。

 果たしてその後どうなっただろうか。
 裁判沙汰になったため「ゴールドコースト・マラソン」という名称はしばらく使えなくなり、「ゴールドコースト・シテイ・マラソン」に変更された。
 最終的に娘が賞金を貰うことはなかった。






● 最後に汚点を残した「JALゴールドコースト マラソン」
 

 なをこのマラソン、現在は地元飛行場の国際空港への昇格を記念して、飛行場がメイン・ズポンサーとなり「ゴールドコースト・エアポート マラソン」として続いています。
 この昇格により、日本人にとっては地元からダイレクトに東京・大阪に飛べるため以前から較べると格段に便利になりました。


 話によると、雪ダルマは最近はスマートになったという。
 派遣社員で勤めているが、部屋を借りているため、家賃を稼ぐために、週末は別のところでアルバイトしているという。
 いわゆる「ワーキング・プア
 一丁30円のお豆腐で暮らす毎日だという。

 ビンボー、大いに結構。
 飽食の時代から「貧食の時代」へ。
 歴史は大きく変わろうとしている。
 これは、ちょっとオーバー。
 ただ、お金を稼げないだけ。

 となると雪ダルマ変じて「イタモメン」か。

 お雛様はいつもいつもふくよかな顔をしていらっしゃる。





【Home】




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